ということで、とりとめもなく辰吉丈一郎の思い出、7回目。
辰吉丈一郎の世界挑戦は、誰がそうせないかんと決めたんや、という一般ピープルの疑問をよそに、当初予定?の7戦目からひとつだけ猶予が加わった末、8戦目で決まりました。
期日は9月19日、守口市民体育館。
辰吉が苦闘の末引き分けたトーレス戦から一週間後、91年の2月25日、難攻不落と目されていたメキシコの長身ラウル・ヒバロ・ペレスをスピードと手数で圧倒し、王座を奪取した痩身の技巧派、グレグ・リチャードソンへの挑戦です。
アマチュア歴270戦260勝15敗。レナードやスピンクス兄弟と近い世代で、USAゴールデングローブと、AAU選手権を制覇した、アメリカ軽量級屈指の名選手。
プロ転向後、日本の専門誌でも、選手紹介ページに早くから紹介されていた選手です。
初防衛のビクトル・ラバナレス戦も接戦、辛勝と伝えられましたが、映像見ると確かに苦しいところもあったものの、細身の代わりに、異様に足が速く、手数が出て、ヒット率も高い。
確かに悲しいくらいパンチ力に欠ける...ように見えるが、打ち込み体勢を取らないだけで、いざ鎌倉、と抜刀したときどうなのか、知れようはずもなし。
ここまでのキャリアで、スピード勝ち出来る相手には快勝するが、そうでない場合、苦しいところも見える辰吉にとり、相性的に、あまり良い的だとは思えませんでした。
しかし、強豪揃いのバンタム級歴代王者の中では、これでもまだ、与し易い部類ではある。それも事実だったのでしょう。
陣営はパショネス戦の前と違い「バンタム、ジュニアフェザーの両方で交渉」している、と報じられたとおり、どうでも世界戦を組まないかん、という前提で動いていたようです。
このときの王者は、WBAバンタム級がルイシト・エスピノサ、ジュニアフェザーは攻防兼備の強打ルイス・メンドーサ。
WBCバンタムがリチャードソン、ジュニアフェザーはというと、6月に畑中清詞を番狂わせで破ったダニエル・サラゴサでした。
ルイシト、メンドーサ共に圧倒的に強く、選択肢としてはWBC方面だったのでしょう。
もしここで、畑中に勝ったとはいえ、抜群に冴えた試合をしたわけでもないサラゴサと組んでいたら...若き122ポンドの辰吉丈一郎は、ひょっとしたら「老巧」の境地を極めきる前のサラゴサを圧倒していたのかもしれません。
しかしサラゴサには、他に闘わねばならぬ試合があり(畑中との再戦交渉もあったか)また畑中戦での負傷もあって、この年9月の再来日は不可能だったのでしょう。
そういうわけで、グレグ・リチャードソンの来日が決まりました。
スピードと手数、フットワークで辰吉の攻撃力を無力化せんとする技巧派に、辰吉はどういうスタイルで対するのだろうか、と思いつつ、辰吉世界挑戦決定を報じる専門誌を読んでいたら、恒例の王者来日前インタビューに、リチャードソンが取り上げられていました。
「(辰吉戦を決めたのは)私ではなくプロモーター」
「もう一試合だけ、私の試合の権利を持っているナチョ・フィサーの希望通りに闘うことにしました」
「ただひとつだけ納得出来ないのは、アメリカには長い間、いくら頑張ってもタイトルに挑戦出来ずにいるファイターが沢山いるのに、日本のファイターはボクシングの経験が少なくても簡単にタイトル挑戦の機会が得られるということです」
「私は長い間、沢山の授業料を支払ってボクシングを学び、今ようやく栄冠を手にしました」
「願わくば、私と闘う辰吉が少なくとも20戦くらいは経験しているファイターであってくれたら、私の気持ちも、もっと満たされたものになるでしょう」
「もし辰吉がアメリカにいれば、6戦くらいの経験ではとても...タイトルに近づくことさえ不可能でしょう」
インタビュー全般から受けた印象は、大言壮語も悪口雑言もない、実直な人柄の持ち主だ、ということでした。
試合の展望を聞かれ「ファイターには色々なタイプがあるけれど、私は喋るのが苦手です」「リングの上ではベストを尽くして闘い、より力のある者が勝ち残れると思っています」とだけ、答えています。
しかし、そういう人柄のボクサーであるからこそ、自身と比べ、あまりに短く、乏しいキャリアでタイトル挑戦の機会を得た日本人と闘うにあたり、隠しきれない思いを語らずにはいられなかった。
勝手に「若き挑戦者に、飄々と対する王者」の構図を思い描いていた私は、言わずには居れぬ、という風情で語られる王者の「憤り」に触れて驚き、動揺させられました。
試合の日、リングの上でぶつかり合う、ふたつの思い。勝利によって、その思いを遂げられるのはどちらなのだろう。
そして、優勝劣敗の掟は、いつも残酷に、その行く手をふたつに分かつ。
思いの深さを、切なさを、重さを一切、斟酌することなく...。
この一戦に賭けられたものの重さは、自分が辰吉丈一郎に託す、壮大な夢と、それ故の危惧だけではなかった。
当然ながら、反対側のコーナーに立つ者にも、等しく、いや、それ以上の思いがある。
それに気づかされた、とても印象的なインタビュー記事でした。
そして、この記事の中には、もうひとつ見逃せない、重大な記述がありました。
リチャードソンが、辰吉の映像は見たか、と問われたときの答えです。
「ビデオテープで2試合見た。チューチャード戦、トーレス戦」というのが、その答えでした。
この「選択」が何を意味するかは、おわかりいただけるかと思います。
今風に言えば「情報戦」とでもなるのでしょうか。
辰吉側は、敢えて、岡部繁戦やパショネス戦を見せることはしていない。今なら通じない手法ではあるのでしょうが。
闘いは、ゴングが鳴る前から、すでに始まっているのだ。そう思った記憶があります。