■(第28話)トロピカル~ジュ!プリキュア「文化祭!力あわせて、あおぞらメイク!」感想
(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第28話より)
文化祭です。トロピカる部はコスメ実践や研究発表をやることになりました。涼村さんの趣味全開。
一同がそれぞれの力を発揮して進める中、ふとローラは気が付いた。みのりは文学部の方をやりたいんじゃなかろうか。それを聞いた涼村さんの唖然顔が可愛いです。まぁ今の今まで自分の得意なコスメ推しだったわけで、「実はまずかった?」の焦りは分かる。
色々と気をもんだりはしたものの、先輩は先輩でちゃんと楽しみ、自ら選んだ上でトロピカる部を続けていらっしゃった。
予期せぬ期待もしなかった何かが、無関係に思えることに役立つのは往々にしてある。結果的に足が生え活用しているローラや、ペンギンオブジェを探すことで方針が決まったトロピカる部のように。
みのりん先輩も「小説に役立てよう」と思ってトロピカる部の活動を始めたのではないし、今も「小説に活かすために」活動しているのではない。ただそれはそれとして、今の活動は小説にも役立つはず。彼女に欠けていた「自分の体験」を今まさに積み上げています。
映画のコラボ相手のハトプリが「他人の事情は分からないが、お手伝いならできる」だったのに対し、トロプリは「何が自分の解決になるか分からなくても、一番大事なことをやっていれば助けになる」のように思えます。こうしてみると綺麗に対称になっていて、お互いを補ってる感が素晴らしい。
一方でどちらも「外見の変化(ファッション、メイク、プリキュア化)」をきっかけにしているのも面白いです。
中身を変えるのは大変だけど、外見を変えればつられて中身も変わるかもしれない。
花咲さんの場合は、来海さんがきっかけだった。みのりん先輩の場合、自分で自分にメイクしている。どちらが良い悪いといったことでなく、「他者を助ける」と「自分を助ける」の違いが表れています。
強いてあげれば、トロプリは「自分の変わりたい意思」をハトプリよりも強調しているのかもしれない。
第9話にて、ゲストの女優さんは中身の伴わないメイク作戦を試みて失敗しています。今回のサマーの変身口上「メイクは気合いだ」からも、「まず気合い(変わりたい気持ち)があって、それの表出としてメイク」に見えます。
思えばハトプリのデザトリアン療法だって「変わりたい」の想いが迸っていた。花咲さんも頻繁に「変わりたい」とおっしゃっていた。なので根っこは同じと思われますが、当時はあまりその観点は気にならなかったような…。もしかして映画で少し補完されたりするのかしら。
(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第28話より)
文化祭です。トロピカる部はコスメ実践や研究発表をやることになりました。涼村さんの趣味全開。
一同がそれぞれの力を発揮して進める中、ふとローラは気が付いた。みのりは文学部の方をやりたいんじゃなかろうか。それを聞いた涼村さんの唖然顔が可愛いです。まぁ今の今まで自分の得意なコスメ推しだったわけで、「実はまずかった?」の焦りは分かる。
色々と気をもんだりはしたものの、先輩は先輩でちゃんと楽しみ、自ら選んだ上でトロピカる部を続けていらっしゃった。
予期せぬ期待もしなかった何かが、無関係に思えることに役立つのは往々にしてある。結果的に足が生え活用しているローラや、ペンギンオブジェを探すことで方針が決まったトロピカる部のように。
みのりん先輩も「小説に役立てよう」と思ってトロピカる部の活動を始めたのではないし、今も「小説に活かすために」活動しているのではない。ただそれはそれとして、今の活動は小説にも役立つはず。彼女に欠けていた「自分の体験」を今まさに積み上げています。
映画のコラボ相手のハトプリが「他人の事情は分からないが、お手伝いならできる」だったのに対し、トロプリは「何が自分の解決になるか分からなくても、一番大事なことをやっていれば助けになる」のように思えます。こうしてみると綺麗に対称になっていて、お互いを補ってる感が素晴らしい。
一方でどちらも「外見の変化(ファッション、メイク、プリキュア化)」をきっかけにしているのも面白いです。
中身を変えるのは大変だけど、外見を変えればつられて中身も変わるかもしれない。
花咲さんの場合は、来海さんがきっかけだった。みのりん先輩の場合、自分で自分にメイクしている。どちらが良い悪いといったことでなく、「他者を助ける」と「自分を助ける」の違いが表れています。
強いてあげれば、トロプリは「自分の変わりたい意思」をハトプリよりも強調しているのかもしれない。
第9話にて、ゲストの女優さんは中身の伴わないメイク作戦を試みて失敗しています。今回のサマーの変身口上「メイクは気合いだ」からも、「まず気合い(変わりたい気持ち)があって、それの表出としてメイク」に見えます。
思えばハトプリのデザトリアン療法だって「変わりたい」の想いが迸っていた。花咲さんも頻繁に「変わりたい」とおっしゃっていた。なので根っこは同じと思われますが、当時はあまりその観点は気にならなかったような…。もしかして映画で少し補完されたりするのかしら。