穴にハマったアリスたち

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生きてくって感じ:ヒーリングっどプリキュア最終回感想

2021年02月21日 | ヒーリングっどプリキュア
花寺さんの1年の戦いが終わりました。
今年度は色々とありましたが、駆け抜けてくださった。ありがとうございました。

【後だしじゃんけんで振り返る】

プリキュアさんは例年、1話で印象に残ったことがテーマや展開に直結しています。「スタプリ」でいえば、「自由に自作の星座を作る星奈さん」。
第1話時点では「あぁ頭がキラヤバい娘だ…」と優しくスルーするしかなかったそれが、「ただの星の並びから12星座を見出すのはイマジネーションがあるからだ」からのどんでん返し「決まりきった星座を思い浮かべるのはイマジネーションの貧困から来ている」「もっと自由に星座を描こう」と続き、「人と人とのコミュニケーションももっと自由に考えよう」に繋がった。

「ヒープリ」第1話で個人的に最も気になったのは「『病気』は許容できない純粋悪に思えるが、その割には敵に人間味があり、敵もプリキュアサイドと同じような言動をしている」でした。
(ある意味、「スイート」の真逆です。スイートの場合「マイナー(悲しい)は悪ではない。だから和解しそうだが、敵が露骨に悪い奴らでその気配がない」)

今年度は特に病気には過敏な1年だったとはいえ、それがなかったとしてもやっぱり「病気」は生々しい。
「絶望」や「失敗」や「不幸」のような抽象的なものなら、「撲滅はできない。いずれ遭遇した時にまた乗り越えよう」といった「和解とまではいかずとも全否定はしない」展開もありえたように思う。でも「病気」は無理だ。なくせるならなくすのが一番だ。

また、春映画もその1年を象徴しています。
これまた昨年度の「スタプリ」でいえば、「根本から異質な相手には、こちらの思いはそのままでは伝わらない」。「オールスターズメモリーズ」からの熱い流れも、ピトンには関係ない。本編の敵幹部の皆々様の正にそれです。

秋にずれ込んでしまった「ミラクルリープ」を振り返ると、「生きるために前に進む。切り捨てねばならない寂しさはあっても」の強い意志に満ちている。
結果的にリフレインは助かりましたが、リープ中の戦闘では何の目算もなかった。あの時点ではリフレインはもちろんのこと、桜に宿るミラクルンすら「取り壊し」の可能性が大だった。それでも前に進む。

これらを見ると、ダルイゼンを初めとしたビョーゲンズとの和解はありえなかったし、予想もできた。
人間味があろうと、あちらにも生存を賭けた理由があろうと、こちらにはこちらの生がある。前に進むために必要ならば切り捨てる。たとえ寂しさがあったとしても。

同じことはホモサピエンスと他の生物にも言える。
「病気」と違い、根本から相反するのでないけれど脅威となれば生存をかけた戦いが始まる。描かれていませんが、「害虫(人間視点での)のヒーリングアニマル」とかもいるでしょうし。
多少踏み込むと「肉食動物が生きるために肉を食うのは良いのか」とか「草食生物による環境破壊」とか「植物が吐き出す酸素による大量絶滅」とかの話にもなってくる。
多様性を認めるが故の戦い。時には悲しい別れにもつながるが、それでも生きていくために戦う。

そう思うとビョーゲンズは「悪」ではなかった。「悪」ではないからこそ、和解できない。皮肉といえば皮肉だ…。

ところでサルローさんはもしやヒトを含むサル代表のヒーリングアニマルなのかしら。ヒトのヒーリングアニマルでもあるからこそ、思うところがあったのかもしれない。

【君を信じる。ために戦う】

以前の記事に関連して、「ヒープリ」と共通点の多い「ドキプリ」と比較してみる。

ドキドキプリキュアは「幸せの王子」をモチーフにしています。「幸せの王子は町の人を救うためにツバメを犠牲にした。ではツバメは王子を憎んだのか。王子はツバメを裏切ったのか」。
劇中において、プリキュアさんらは初手でトランプ王国の王様や王女様に切り捨てられています。
選ばれず、切り捨てられ、それでも戦った。
最終決戦でも、キュアハートを敵中枢に送り込むため、ダイヤモンドらは犠牲になった。一言でいえば自己犠牲です。

ではそれらは悪なのかといえば違う。「愛に罪はない」「そんな二択を迫る方が悪い」。
価値観を共にする大切な人を守るためならば、自己犠牲も厭わない。君を信じる。ために戦う。

またドキプリの敵幹部イーラたちは最終的に生存しています。和解とまではいかないまでも、敵対関係はかなり解消されていた。
途中のエピソードでも分かりあっていたり、交流も深まったりした。

ではダルイゼンらのケースは何が違ったのか。
結局のところ「価値観が決定的に異なる」のがどうにもならなかったのだと思う。

イーラたちはジコチューなだけで、根底となる価値観は共通している。劇中でも「ジコチュー」と「愛」は表裏一体として扱われています。
一方、ダルイゼンらは違う。彼らにとっては、花寺さんが生活している環境は(我々でいうところの)「糞便にまみれた腐臭漂う不潔極まりない環境」なんでしょう。
42話にてダルイゼンは下水道に逃げ込んでいますが、彼にとってはアレが快適な環境のはず。もう根本的に生息域が違う。

したがってジコチューのように「日常の交流を通じて歩み寄る」のは、ビョーゲンズにはハードルが高すぎます。
それは彼らの価値観を捻じ曲げている。あちらの視点で見れば、かなりグロテスクに思えます。

ストーリーとしても無理を感じますし、構成上の都合もあったようです。
アニメージュ2021年3月号掲載のインタビューによれば、元々オリンピック年で放送休止を想定し、話数が入れ替わったり季節がずれたりするのは織り込み済みだったとのこと。
対策として「敵幹部の言動は最初から最後まで一貫する」としていたそうです。
もうこうなるとビョーゲンズ側からの歩み寄りは絶望的です。価値観が異なる。利害が対立する。ならば戦うしかない。現実の人間同士と違い、もう生物種として価値観が違います。

【想いのループ】

ヒープリでは「力を貸してもらうために助ける」といった、見返り目的の行為は避けたそうです。
確かに「エレメントボトルを集めるために、エレメントさんを助けた」のではない。花寺さんの主治医は、後々花寺さんから励ましてもらいたくて治療したのでもない。
リターンを期待して助けるのではなく、助けたいから助けた。

ということは、仮にあの時ダルイゼンが「助けてくれればキングビョーゲンを倒すのを手伝ってやる」といったとしても、テーマ的には拒絶されたのでしょう。
逆にいえば、過去にダルイゼンが花寺さんらを見返り抜きで助けていたなら、受け入れてもらえる展開もありえた。
…のだけど、そうなるにはダルイゼンの価値観の変化が必要です。結局ここにぶつかってしまい、どうにもならない。

「病気」には本来は悪意はない。ウィルスは宿主に殺意を抱いたりはしません。だからこそ和解のしようがない。
憎みあってるのなら対話の余地もあるし、「憎悪の化身」とかなら「赦す」とか「愛」とかで解決できそうに思える。
でも「病気」だと「治療」しかなく、治療したら病気は死滅する。
打算や見返り目的で救っていたのではないのと同様に、打算や恨みで戦っていたわけではない。なんかこうしてみると「絶望の塊」とか「悪夢の象徴」とかの方がよほど可愛く思えてきた。「病気」は怖い。

【生きてくって感じ】

振り返ってみれば、競争や戦いの要素はずっとあった。

沢泉さんはハイジャンプ仲間だったり、弟だったり。
弟君が「僕も女将を目指す」と言い出した時には、「10年もしたら深刻な不和をもたらしそうだな…」とか思いましたが、競い合うことがテーマだったなら納得。

平光さんが家族に劣等感を抱きまくっていたのも、競争の観点だったんだろう。
彼女はかなり頑張って戦ってる。日常でもプリキュアでも。

思えば花寺さんも虚弱を克服すべくトレーニングに励み、経験不足に物おじせず積極的に動いていた。
一方的に庇ってもらう(たとえば重い荷物を持ってもらうとか)はあまりなかったように思う。

そしてこうしてみれば、次の映画(本来であれば、秋映画)で夢原さんと共演するのは至極当然の展開だった。
あのお方は歴代様の中でも、特に「ふりかかる火の粉は払う」ものな…。
価値観の異なる相手は名前すら呼んであげない。説得や交渉なんてしてる暇もない。だって夢が呼んでいるのだから。価値観の異なる相手にかかずらってる時間があったら、自分たちの夢を目指して邁進する。
(ところで、夢原さんは今のブンビーさんを何と呼ぶんだろう?)

例年であれば秋映画は、その年のテーマの集大成を扱っていました。
これまた「スタプリ」でいえば、ユーマとの交流と別れはフワのそれとほぼ同じ。宇宙ハンターとノットレイダーの皆様も対照的(価値観の異なるハンターは打倒している。誰かれ構わず和解はしない)。
次の映画を見れば、もっと「ヒープリ」を理解できるはず。楽しみです。

本編のラストシーン。花寺さんの「生きてくって感じ」は実に綺麗。
「生きてるって感じ」はある種の受け身だった。謎の難病から幸運にも生き延びて、周囲に感謝しつつ「生かされてる」感があった。
そこから強い意思をもっての「生きてくって感じ」。尤も元から強い「生きたい」を持っていたからこそ病気を乗り越えたんでしょうから、成長とか変化というより、決意が言葉になった感じかしら。
そんな未来は起きないことを祈る(起きないように私らも努めたい)ものの、「人類VSヒーリングアニマル」が仮に始まったとしても、彼女たちは戦うと思う。どういう形かは分かりませんが。

「歴代でもトップクラスに優しい良い子」「癒しやお手当て」と、見た目の表面的には柔らかいシリーズでしたが、内容は終始ハードだった。
敵は異様に強い。成長する、増える、工夫しながら同時に襲ってくる。戦闘曲もやたらに絶望感あって素晴らしかった。
振り返ってみれば、ずっとブレずにやってたのに、「柔らかい雰囲気」からのミスリードに勝手に陥っていた気もする。
やっぱりプリキュアさんは凄い。
コメント
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