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穴にハマったアリスたち

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メンタルヘルス・マネジメント検定試験 3種 … の蛇足

2011年04月27日 | 王様の耳はロバの耳
昨日の記事にコメントを貰ったので、ちょっと補足してみる。

(昨日の記事より)
メンタルヘルス・マネジメント検定3種の試験問題の例:
 「上司に叱責されるのは、本人の能力が低いことが原因なのだから、ストレス要因にはならない。○か×か?」

これに対して「ストレス要因にはならない。叱責を受け入れて、伸びていくことが大事だ。むしろ叱責されずに無視される方が辛い」とのコメントを貰いました。

まず、これが一般的な正論と言うのは分かる。
同時に一般的な煽り文句であり、多少意地悪く言えば、反論を期待して、挑発を意図していることも分かる。
そこは分かるのだけど。違和感を覚えたのは、もしかして大前提を知らない(「無視している」のではなく、「根本的に知らない」)のでは?と思ったから。

というのも、「人は幸せであっても鬱になる」点。

上記の例の回答は「×」。ストレス要因になる。
但し「褒めてあげないとダメだから」とか「叱責は悪いこと。優しくしよう」とか、そういう理由じゃない。
「良い悪いに関わらず、どんなことであってもストレス要因になるから」が正。
要は「~はストレス要因になるか?」という問いは、「~」の部分が何であるかに関係なく、全て「ストレス要因になる」が正解なんです。
どうもこの基本的な前提が抜けてるんじゃ?という気がした。

上の例に絡めて言うと、実際の試験でもこういう問題が出ます。

試験問題の例:
 「努力の甲斐あって成果を出すことができ、上司からも称賛され、めでたく昇進した」
 「この昇進は本人も望んだことなので、ストレス要因にならない。○か×か」

答えはノータイムで「×」です。ストレス要因に成りうる。

背景としては「昇進すると責任が増えて大変だから」というのもありますが、ポイントとしては「環境が変化し、しかも自分の意思で変更することが出来ないから」。
言い換えると「選択肢のない状況に置かれるから」。
昇進はめでたいけれど、環境が変わる。そして元の環境に戻ることが出来ない。(降格という手はありますが、基本的にはそれ自体が嫌がられる)

「問題がない」とか「望みが叶う」というのも、状況と捕え方によってはストレスになってしまう。
冷静に周りを見てみれば、こういうケースは沢山あるし、一般的にも受け入れられてる考えだと思います。
例えばマリッジブルーとか典型。

「満たされない大富豪」とか「不老不死を実現した超人の憂鬱」とか「長すぎる平和は腐敗を生む」とか、割と普通にある題材です。
「震災のニュースを見て、努力もしていない自分が幸せでいていいのだろうかと悩む」とかも似た問題。
自分自身は幸せな状態でも、ある状況を解決する手段を自分が持ち合わせていないので気を病んでしまう。

逆に言えば、「変更可能」だったり「選択肢がある」状態なら、ストレスの度合いは下がる。
これも日常的に頻繁にあります。
「御社のベストソリューションはこれです!」と一つだけ案を持っていくよりも、「A案とB案を用意しました。ご検討ください」と持っていった方が、一般的には受けがいい。
相手に選択権を(建前上であっても)与えた上での変化だから。
(これを逆に利用しているのが、「○○しないとお前は死ぬ」と選択肢を封じた上で恐怖を煽るやり口。選択肢がないのは極めてストレスなので、解決しようとして騙される。緊急時にデマが横行するのも似た理屈)

よく言われる「計画を立てたら、次にマイルストーンを設定し、進捗を把握できるようにしよう」とか、「作業を指示するときは、まず目標を伝えてからした方がよい」とかも、本質は一緒だと思ってる。
「今、自分がやっていることは、好ましい結果に向かい続けている」という「困難を解決できる」認識が得られるかどうかは、ストレスに大きな影響を与えるはず。
原発関連で避難している方から「とにかく復興までのスケジュールを示してくれ」と非難が挙がっているのも同様。
避難生活がきついというより(もちろんそれ自体も過酷ですが)、「解決策がない(見えない)」ことの方がストレスになる。
人はゴールがなきゃ走れない。もしもフルマラソンが、「ゴールまでの距離は毎回変わります」「今回のゴールが何キロ先にあるか分からないし、途中の距離表示もありません。時計の持参も禁止します」なんてルールだったら、完走できる人は変態ですよ。

確か一昨年「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」という映画がありました。
その中で「デスマーチ」の描写が出てくる。
映画では「困難な課題を達成するために、長時間の残業をしまくる」状況を指し、心象風景として「敵と激しく銃撃戦をする」様子が描写されていました。
でも、これは違うと思う。
正しく「デスマーチ」を反映した風景は「敵の姿すら見えないまま、砂漠の中を蜃気楼に向かって行軍している」のはず。敵(目的)の存在すら不明では、状況を打開する手段が、何もない。

私らにとって卑近な例を挙げるなら、「フレッシュ」の桃園さんが諸に該当します。
歴代「プリキュア」シリーズの中にあって、「フレッシュ」さんが異彩を放つのは、彼女達だけ「何かを取り戻す」戦いをしていない点。しかも具体的な目標もほとんどない。
あの子らはまず「平和で幸せな日常」があり、そこから「不幸」で削り取られていく構成です。
そのため、目先の戦いに勝っても何が得られるわけでもなく、相手に溜められた「不幸」は蓄積する一方。
(そして最終的にノーザさんが解き放った「不幸」の前に絶望する。基本的に連戦連勝だったはずなのに、あの状況を防げてない)

逆に状況的には最も過酷だったはずなのに、メンタル的にタフだったのが夢原さん。
「物語開始時点で、国が壊滅して国民も消滅」というのは、歴代でも最悪。
でも夢原さんの原動力は「希望」であり、これは状況を打破する方向に向かってる。
その上、「ピンキーを55匹集めれば願いが叶う」という分かりやすい数値目標付きの救済手段がある。
この状況は、むしろ「フレッシュ」さんよりも精神的には楽です。(まぁ結果的に、55匹の数値目標はシャドウ様のズルに頼りましたけれど)

ただ厄介なのは、では「目標」があればそれでいいかというとそうでもない。
今度は「目標を達成する」ことがストレスに成りえるから。(「目標」の存在自体が、選択肢を奪うことになる)
しかもいざ「目標」を達成できても、これまたストレスを生む。(達成しちゃったら、次の選択肢がない。仮に次があった場合、それはそれで今度は終わりなき行軍に陥る)

そんなわけで「良し悪しに関わらず、何であろうとストレス要因になる」。
だから件の検定試験も「メンタルヘルス・マネジメント」。ストレスは撲滅はできないので、管理(マネジメント)するしかない。
究極的には「ストレスがない」という状態も、ストレスに成りえます。

と、まぁそんな感じで。
思い返してみれば、「幸せであってもストレス要因になる」「というか、あらゆる状況がストレスだ」を知識として要求する問題が、結構出ていました。
不合格だった2割の人はこの部分で失点したのかな、と思えば割と納得出来る気がします。何か、思いのほか発見があったかもしれない。

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メンタルヘルス・マネジメント検定試験 3種

2011年04月26日 | 王様の耳はロバの耳
帰宅したらメンタルヘルス検定3種の結果が届いてた。無事に合格。

…まぁそれはいいのだけれど。

大阪商工会議所が執り行ってる試験で、3種は個人のメンタルヘルス管理を扱った試験です。
2種は職場全体の、1種は会社全体の管理が対象。
正直、これを受けたところで何か知識が増えたり役に立ったりとは思わなかったけれど、会社に対して文句をいうときの箔付けくらいにはなるかなと。
「会社のやり方は間違ってる」「いやそれはお前が知識がないだけだ!」というやり取りを事前に封じ込めるくらいには期待しても罰は当たるまい。
それに気晴らしに受ける分には悪くはないはず。

…くらいの感覚で申し込んでいたのですが。
試験日は去る2011年3月13日。例の大震災の2日後でした。
そんなタイミングで、しかも「メンタルヘルス」を扱った試験を強行するとか、何か悪い冗談を見た気分です。
問題文に「不幸な出来事が起こると誰しも心身に影響を受けるので、どうたらこうたら」みたいなことが書いてある。それ、今まさにこの瞬間のことでは…?
おかげでどうにも信頼がおけない資格になってしまった。

結果の方は、ほぼ満点を取って合格でした。
ここまで来ると喜んでいいのか分からない。「そもそもこの試験に意義はあるのか?」と疑問がわきます。
自動車免許の試験ですら、もっと点数低かった気がする。

私にも意地があるので補足しますが、別に自慢したいわけじゃない。
問題自体が簡単なんです。一般的な良識があれば、勉強時間ゼロでも合格できるはず。
例えば「上司に叱責されるのは、本人の能力が低いことが原因なのだから、ストレス要因にはならない。○か×か?」程度の問題が並んでる。

こうなると、合格率が気になるところ。
今回の第10回試験の結果は、合格率83.4%。おかしい。2割も失敗してるのか。
過去の第9回(86.8%)、第8回(88.7%)、第7回(84.2%)も大体同じくらい。
試験を棄権した人も含んでいるので低いのか?とも思いましたが、そういうわけでもないらしい。

わざわざこんな試験を受ける人ってのは、平均よりはメンタルヘルスに興味がある人だろうと思います。
「会社から指示されて、興味ないけど無理に受験した」人もいるだろうけど、それでも多少はマシなはず。
それにも関わらず2割の人が受験を失敗するというのは…。
この分だと、合格した人を評価するというより、落ちた2割の人に「その認識のままだと、精神を病む」とケアすることの方が大事な気がする。
そう考えると、結構怖い試験と結果だ…。

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Yahoo!特集:「“朝型人間”目指しませんか?」

2011年04月15日 | 王様の耳はロバの耳
Yahoo!さんのトップページが「朝型生活」特集だった。
私はこの朝型賛美がどうしても理解できない。
そんなわけで思うところを書いてみる。

大まかな疑問点はこんなところ。

(1)人間の体内時計は25時間弱なので、少しずつずれていく?

それならば当然、「夜型」→「超朝型」→「朝型」→「昼型」と遷移していくはずなのに、そうはならない。
結局「夜型」は「夜型」のまま。
従って(1)は経験的に受け入れられない。

(2)だから朝日を浴びてリセットする必要がある?

第一に、明りに反応するのだから「朝日」に拘る理由が不明。
起きたその時に陽光を浴びれば、そこでリセットされるので、それで済む話です。
「快適に起きたければ、目覚めてすぐにカーテンを開けよう」という程度の意味なら納得できるけれど。

次に、「起きたその時」が自然な覚醒のタイミングなのだから、わざわざ早い時間帯にリセットする理由が分からない。
「毎朝、遅刻している」等なら問題ですが、そうでないなら早い時間帯にリセットする必要性は何なんだろう?
そして「遅刻している」のなら、それはただ単に「早起きしよう」というだけのことであり、「リセット」効果の有無は直接には関係ない。
(早い時間に「リセット」されないから遅刻しているのではなく、根本的に時間が足りないから遅れている)

そしてそもそも非常に疑問なのですが、何時に起きようと、陽光を浴びるのは「起きた後」なんです。
要は「朝日を浴びて体内時計をリセットする」ためには、「朝早く起きる」必要がある。
でも「朝早く起きる」ためには「体内時計をリセットする」必要があるし、起きれているのなら「リセット」されてるんです。
何かおかしくないですか、これ?
「起きた後」の活動効率を上げるという意味合いなら、別に何時に起きようと陽光が出ていれば「リセット」されるので同じこと。

「目覚まし時計をセットするよりも、カーテンを開けたまま眠れ(そうすれば朝日で目が覚める)」といった理屈なら理解できるけど、そういう展開もあまり見かけたことがない。

(3)日光を浴びればリセットできる?

陽光にそんな神通力があるのなら、屋外に出るたびにリセットされるはずです。
ここまでくると、そもそも「体内時計をリセット」ってなんだ?という疑問すら沸く。
暗めの部屋で半日作業した後に外に出たら、「今が朝だ」と認識するの?

[追記]
 「体内時計を調整する体内物質は、朝方にしか分泌されないからだ」という説明を見ました。
 その「体内物質」とやらは、どうして朝方にしか出ないんでしょうか。
 「今が朝だ」と判断するための体内時計をリセットするために、日光を浴びようという話をしているのに。
 正確に朝を認識して分泌しているのなら、そもそも狂ってないですね、その時計。

また、時差ボケの説明がつきません。
陽光にそんな超パワーがあるのなら、すぐに適応するはずなのにそうはならない。
(実験により、光によるリセット効果は±3時間程度しかないことが分かっています)

(4)人間は太陽と共に生活してきたのだから、日の出とともに起きるのが自然で健康に良い?

必然的に「では夕方は日の入とともに寝るべきだ」と続くはずなのに、そういう説明は聞いたことがない。
この時点でただの戯言だと思ってる。
そもそも(1)と矛盾してます。

(5)寝る前にパソコンやテレビを見ると、眠れなくなる?

ではどうして会社の昼休みにバタバタと寝ている人がいるのか。
考えられるのは、「夜よりも昼の方が眠気が強い(ヒトは元来夜型である)」か「パソコンを使用することによる活性化などたかが知れている」のどちらか。
まぁ「仕事では脳を使ってない」という可能性もあるのかしら。

(6)朝型は健康に良い?

根拠が不明。
朝型・夜型ともに、睡眠時間を8時間とすると活動時間は16時間。
この内、陽光を浴びる時間は…というと、それほど大きくは変わらない。
結局のところ屋内にいれば直射日光を受けないのだし、信奉される「朝日」も夜型であっても享受できる。
違いと言えば、ビルの外で太陽が昇っているかいないかだけ。何の影響が出るのだろう…?

(7)朝型は能率が上がる?

根拠が不明。
「能率の上がるピークの時間帯」に異なりがあるだけに思えます。
「早起きして出社前に作業をするとはかどる」というのは、
「起きた直後に活動すると良い」「出社前という時間の限られた状況だと集中力が増す」「早朝という時間帯には魔力がある」のいずれなのかはちゃんと考える必要があります。
なお一番最後が正解だとしたら、どうして文明は早朝の活動を主軸に発展しなかったのかも。


…と、そんな感じで、「現代人の生活は夜型に適応しており、朝型に合わせようとする発想自体が間違っている」というのが私の考え。

以前にも書きましたが、「体内時計を左右しているのは陽光ではなく、食事だ」という説に、経験上から賛同します。
(4)からの派生でいえば、元々ヒトは「日の出とともに起き、日の入とともに寝る」ように設計されてるのだと思う。
つまりは、本来ヒトは「夕方6時ごろには食事をとり、寝る」ことを想定している。

しかし現実には夕方6時に夕食を摂取している人は少数派だと思います。
社会人なら、いたって普通に9時10時になりかねない。
そして(3)により、「陽光のリセット効果は3時間しかない=それ以上にズレた生活をしていると永続的に時差ボケが発生する」ことが分かります。
本来は夕方6時に食事をとる想定なのに、10時に食べてしまったら、4時間の誤差。朝日様程度の時計調整では追いつかない。
これが放っておくと夜型になり、そのまま固定する理屈だと思います。(そして食生活を変えないままに朝型を目指しても破綻する理由)

私の経験上、これの証明は簡単です。
今まで「帰省したり旅行に行くと、普段よりも早い時間帯に眠くなる」ことが不思議でした。
旅行疲れ…という説明もありますが、移動しなかった日でもそれが起こる。
では普段の生活と何が違うか?といえば、「夕食の時間が早い」。
この影響で夜の眠りのタイミングが早まってるのだと思う。

そういったことを踏まえつつ。
Yahoo!さんの特集の中にあった「朝型に移行するにはどうすればいいか?」への回答は、「とにかく早い時間帯に夕食をとる」が正解かと思います。
「陽光の効果は薄い」「肝心なのは食事」「そもそも何故朝に拘る?」という3点は、非常に大事なんじゃないかな。
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東京都知事選と夢原理論

2011年04月13日 | 王様の耳はロバの耳
数日たったので、多少は大丈夫だろうと思いつつ。

東京都知事選の話。
基本的に、「政治」「宗教」「スポーツ」は揉める元なので親しい仲でも絶対に話題にするな、と言われています。
ですので、誰が当選したとかそれがどうだとかは置いておくとして、投票率が気になった。

まず前提として、私が見た範囲のブログ・Twitterのネット世界および知人・友人のリアル世界ともに、「選挙に行く」人ばかりでした。
(もちろん厳密には一人一人に「選挙に行きますか?」と聞いたわけではないですが。職場の定例会議でも「今週は選挙なので行きましょう」と話題に出るくらいには、みんな行く意思があった)
要は、「選挙に行くのが当たり前」であって、明示的に行かない人なんて見かけなかった。

で、実際の投票率ですが。
全体で50%強。更に(昨年と同程度だとすれば)20代30代の投票率は30%40%台。
つまり統計上は、自分と近しい世代は、3人に一人しか選挙に行っていない。

これは凄まじい疑念に駆られます。
「なぜ選挙に行かないんだ?」とか以前に、「その3人に二人の選挙に行かない人は、どこにいるんだ?」という意味で。
繰り返しですが、私の身近なところでは、ネット・リアルのどちらにおいても「選挙に行かない」なんて人はいないんです。みんな、どこにいるの?

恐らくは根本的に生息域が違うので、交わることがないのだろうと思う。
Twitterでいえば、クラスタが違う。
語弊がありまくる表現を使うなら、階層の違いなのでしょう。(どちらが優秀かというわけではなく)
つまり「3人に一人しか投票していない」は誤りで、正しくは「社会の1/3のグループしか投票していない」。
投票する人たちはするが、しないグループは徹底してしない。

これは二つの意味で恐怖です。
第一に、「社会の2/3は、交わることも理解し合うこともできない人たちである」という事実。
一時期は「一億総中流」とも言われた現代日本に住んでいると、「会話することすらできない階層社会」といったようなものは遠くの世界に映ると思う。
ですが、現実にこれは存在してるわけです。(注:どちらが偉いと言うニュアンスはない)
全く違う世界がそこにあるというのは、頭では分かっていても、こうもはっきりと見せられると怯みます。

第二に、彼らをどうこうする手段を、私らは全く持っていないということ。
「選挙に行こう」と呼びかけても、全くの無駄です。
根本的に、そんな呼びかけを見ていないから。

Twitter上などでは、盛んに「選挙に行こう」と呼びかけが起きていました。
でもそれを見るのは、上記の1/3のグループの人たち。最初から選挙に行く気のあるグループの人たちだけです。
本当に呼びかけが必要な2/3の人たちには、声を届ける手段がない。

それでも投票には行くしかないし、届かなくても声をあげるしかない。
本気で投票率を改善するように動きたいなら、別のグループにも接点のある人たちに頑張ってもらうしかない。
そこはそれでいいのですが、ここから派生する恐怖は、「世の2/3の人たちとは、(選挙に限らず)本質的に分かり合えない」ということ。

季節柄、新社会人になられた方も多いと思います。
高校や大学は、受験があるためにある程度グループが分けられる。
また学生同士は気の合う人たちと自然に集まるので、「分かり合える」人たちと行動を共にすることが多い。
でも社会に出てしまうとこれが成り立たない。同じ会社ならまだしも(それすらも厳しい。上述とは若干矛盾しますが)、取引先や客のような不特定多数になると、まず無理。
世の中の2/3は、「選挙に行かないのが当たり前」と考えている。それくらいに隔たりがある。

…しかも、政治的信念を話題にするのは避けたいので明言しませんが、弊ブログを見に来てくださってる層としては、割と共通して「絶対に許せない」に相当する候補者がいたかと思います。
そこに投票した人たちとも、恐らく分かりあえない。
そうすると、会話が成立する層というのは非常に限られます。
くどいようですが、どちらが優れているか、といった意味合いはありません。ただ単に「分かりあえない」というだけ。

私は「己の価値観と対立する相手は、会話も交渉も説得も不可能だ」という夢原理論を強く信奉していますが、それを改めて実感しました。
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東北地方太平洋沖地震 都市伝説と陰謀論の話

2011年03月25日 | 王様の耳はロバの耳
古い友人が被災地から引っ越すことになりました。
直接的に震災の影響ではなく、新年度になるからですが、まぁ個人的には一安心かなと。
そう思って「もうちょっとだから頑張れ」と声をかけたら、「むしろこれからだ」と言われた。そりゃそうだ。

そんなわけで、我が家もそろそろ日常に戻ろうと思う。コメントの返信もストップしてて申し訳ないです。


都市伝説の話。

時々書いてますけど、都市伝説とか超常現象とか好きです。
「何でそんなものが流布するのか」とか「真相は何なのか」とか「どうして人は騙されるのか」とかが面白い。
ひいては自分が騙されないためには何に気をつけないといけないのか、とか。

正直、関東大震災時のデマやオイルショック時の買い溜めは、遠い昔の馬鹿な出来事のように他人事に思ってた。
でも今も実際に起こる。「何でそんなものを信じるんだ」というレベルで流布するのが凄いやら怖いやら。
それと同時に、今まさに都市伝説の誕生するその渦中に自分もいるということが妙に新鮮です。不謹慎ではありますが。

どんなデマが出回ってるかは多くのまとめサイトがあるので省略するとして。

twitterのデマ発信源はつきとめられる

実際にやってみたら、確かに特定の一人が見つかった。
凄い時代になったものです。
デマや都市伝説の研究では「誰がいつどうして言い出したのか」が分からず、そこが思案の対象になったりもするものなのに。

まだまだ現在進行形で大変なのに暢気な感想になってしまいますけど、飛び交った様々なデマを解析したら、結構な研究テーマになりそうな気がする。
どんな内容が捏造されるのかとか、どんな要素は削られ、逆に足される要素は何かとか。
おそらく普及したデマとそうでないデマがあるでしょうけど、その違いは何なのか。
そのデマが発生する直前に起こった出来事は何なのか、何に影響を受けて発生したのかとか。

「人が興味を持つ要素は何なのか」はありとあらゆる方面に役立つ情報ですし、ホモサピエンスの弱点を知ることは「騙されないためにはどうすればよいか」に繋がります。
今後この領域では、今この瞬間の様子が取り上げられる機会が増えると思う。
甚だ不謹慎ですが、非常に興味があります。

デマ自体の構造は基本的には同じで、「政府や企業は信用できない」「真実は報道されていない」「関係者から聞いた」「~らしい」「~しているはずだ」「安全かどうか分からない」「犯罪が多発している」「素人にも分かるのに騙している」。
この辺のワードが出てきたら、まず疑いを持った方がいい。
最後の「素人にも分かることだ」は危険で、「素人だから勘違いして早合点する」ことは多くあります。素人の直感で真実が分かるのなら、専門家は御飯を食べていけません。

一応、念のために書くと、出回ってる「~は危険だ」といった話は全て絶対に嘘で、完全に疑いようもなく安全だ、なんて主張する気はないです。
これから先、本当に危険な状態になるかもしれない。
例えば放射性物質でいえば、放出が止まっているのなら時間の経過とともに検出される量は減っていくはず。それなのに減らずに(観測誤差や振り幅以上に)急激に増え続けたら「何かがおかしい」と分かるし、その時は本当に関東から脱出した方がいいかもしれない。

でもそんなことになれば、各地の研究機関が気づいて声を上げます。つまり、今の時点で慌てる理由がない。
昨年の尖閣諸島の件のように、限られた人間しか知らず機密にしているようなことでも公開される時代です。
こんだけあちこちで観測してるデータを隠ぺいなんて出来るわけがなく、「本当は危険なのに黙ってる」とか陰謀論にすぎる。

まぁ偉そうに書いてますけど、私も不安に思わないわけでもないので、だからこそ暇つぶしに読んでた都市伝説の知識を活かしたい。
パリにいる友人からまで「東京はゴーストタウンと化している」「天皇も京都に避難した」と言われた時は、色んな意味で「大丈夫なのか日本」と思いました。
その後「今度京都に旅行する予定だから、その時に天皇も見れるといいな」と言われ、色んな意味で「よし大丈夫だ」とも思いました。深刻なのか暢気なのか、どっちだ。


あと竹馬の友(プリキュアさん的に)の三十路さんに紹介してもらってた。ありがとうございます。
先日「スーパームーンで月がでかく見える」と書きましたが、肉眼であからさまに何回りも大きく見えるわけじゃないんですね。
そういえば私が見た時も、地平線よりの時でした。普段よりもやたらにでかく見えたのは、錯覚によるところが大きかったと思われます。

元々月をしげしげ見たことはないし、事前に「今はスーパームーンだ」という事前情報を持ってたので印象を引きずられたんだと思います。
長々と「デマに惑わされないようにしたい」的なことを書いておいて、私自身も惑わされてた。
蛇足で書くと「地平線近くの月は大きく見える」のは有名な錯視現象だという知識はあったのに、全く活かせなかった。
やっぱりちゃんと意識していないと、事実を見失いますね。
それを感じさせて貰えたことに感謝。
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東北地方太平洋沖地震 異常現象と放射性物質の話

2011年03月23日 | 王様の耳はロバの耳
3月も終わりかけなのに、雪。
その他、スーパームーンや「2011」年。
探せばきっともっとある。

と、超常現象ネタがこれでもかと揃ってきてます。
試しに「スーパームーン」で検索したら、案の定、地震との関連を謳ったページがあちこちに。
この辺、ホモサピエンスの精神年齢は2000年前くらいから変わってないんだなと思います。これで日食でも起きれば完璧だ。

ちなみに雪に関して。
3月末に降ること自体は特段に珍しいわけではないようです。
1988年には4月8日に積雪9センチを記録したそうな。(参考:goo天気「東京の大雪」

放射性物質に関して。

私は専門家ではないし、しっかりした解説ページはあちこちで紹介されてるので省略するとして。
思うに、テレビで解説してくれる方々は、微妙に疑問点を外してる気がする。
トンデモ説に慣れてない学者さん、というかそんな感じ。

この手の話で必ず言われるのが、

「長期に渡ると(体内に蓄積するなどして)悪影響が出るのではないか」

だと思う。
化学調味料や電磁波でも頻繁に出てくる論法です。
これに加えて「長期観測したデータがないので安全かどうか『分からない』」がセットにつけば、陰謀論や都市伝説の出来上がり。

例えば放射性ヨウ素なら半減期は8日なので、長期摂取しようにも不可能。
そこは目をつぶるにしても、長期に渡るデータが必要なら、温泉地に住む人や長崎・広島、航空機勤務の人の死亡率でも公表すればいい。
実際には今の判断基準は長崎・広島のデータが元になってるそうなので、「長期観測データがない」は嘘でしょうね。
従って「どうなるか分からない」も嘘。
そもそも「分からない」ことをもってして、危険だと断言すること自体もおかしいですし。

また今日報道された「浄水場で基準値を超える値」に関しては、「1歳未満の乳児」という条件が抜けて恐怖を煽ってる。
子供に危険なら大人にも危険…!と考える気持ちは分かるけど、塩やアルコールだって一緒。
成人男性にはなんてことないアルコールを、1歳未満の子に与えたら、おそらく命が危ないですよ。
「1歳未満の乳児が1年以上取り続けると危険があるかもしれない値」って、ほとんど「成人には安全だ」と言ってるに等しいようにすら思う。
(そもそも「1歳未満の乳児が」「1年以上摂取」ってどういう状況なんだろう…?1年たったら乳児じゃなくなりますけれど)

それに毎日基準値以上を摂取すると危険な物質なんて、身近に山のようにある。
「放射性物質の影響で、今は平気でも長年に渡って苦しんで死ぬことになる」といった記述もあちこちで見ましたが、糖尿病だって一緒。もう怖くて塩も砂糖も食えない。
(もっとも、ただでさえ塩やニコチンのリスクに晒されているのだから、そこに放射線リスクまで抱え込む余裕はない、という観点は現実的にはあるにはある。ここでの話は、危険や恐怖心の度合いという意味での比較)

ただ理屈では上記だと分かってても、停電で生活が不規則になり、余震はやまず、空を見上げればでかい月、気がつけば雪まで降ってきた…というこの状況では、不安にならない方が難しい。
偉い学者さんたちには、もっと疑問に対するピンポイントな説明を期待したいです。
よく物の本で書かれる「学者は知識はあるが、トンデモの理屈には(馬鹿馬鹿しすぎて)慣れていない」を、こんな形で実感するとは。

あと個人的に分からないのは、「日単位の基準値」を単純に倍して「年単位の基準値」の計算に出来るのか?というところ。
例えばアルコールだと、1日に10リットル飲んだら即死でも、1年で10リットルなら何のこともない。
肝臓さんが頑張って分解してくれるからですけど、同様のことが放射性物質にも期待できるのか。(単純に考えれば、半減期や排出されることによって、一定量以上を越えなければ平気そうですけれど)
それとも複利の如くダメージは増える一方で、足し算どころかもっと悪く働くのか。
そういう部分の説明もして欲しいです。

【余談】

「政府や東電は真実を隠している」という陰謀論も頻繁に見かけます。
これだけあちこちで観測しており、情報手段もある中で、そんなことが可能なはずがないでしょうに。
どうしてあんなに「最悪の状況」になりたがるのだろう…?

なお、これから先、本当にヤバイことになり、どこかの大学や機関から「政府の報告と違う値と傾向が出た」「真に危険だ」という報告が出されないとは限りません。
でもそれって、陰謀論者のいう「真実は隠されている」と矛盾するんですよね。暴露出来てるんだから。
その時はその時で、最善と思われる行動をすればいい。


…私も色々と不安に思うことはあるけれど、今こういう時のために「科学」を学んだんだろうな、とちょっと思ってる。
コメント (2)
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東北地方太平洋沖地震 パニックと報告の話

2011年03月15日 | 王様の耳はロバの耳
引き続き、地震の話。大前提として、本当に厳しい被災地ではなく、マスコミが対象にしてるような緩やかな地域の話。

最初の騒動から抜け出した後、次のパニックが始まりつつあるような気がする。
人間は不思議なもので、目の前に今まさに物理的な危険が迫ってると意外に立ち向かえるけど、「これから大変なことになるかもしれない」となるとパニックになる。
食糧の買いだめにしろ、放射能にしろ、地震直後の余震が来る可能性が高かった時の方が、死の可能性は高かったはずなのに。(ど素人意見ですけれど)

最前線で戦ってる人たちは別として、大半はまだまだ大丈夫なはず。
というか、スーパーで不足してる物資が、主にパンやカップ麺というあたりに余裕が見えますよ。
何でその二種類なのか、よく分からない。

パンは冷凍して保存するんでしょうけど、つまり熱源がないと食えない。(保存するにあたって電気もいる)
カップ麺も同じくで、こっちは水もいる。
このチョイスをしてる時点で、熱と水は得られる環境を前提としてる。
真にヤバイのなら、チョコレートやビスケット、ゼリー系飲料を買いこまないと。
(要は登山やマラソンの時の装備)

水が一日2リットルいるとかいう話に至っては、首を傾げるしかない。
いや実際にその量をとるのが健康にはいいそうですけれど。
全ての日本人が、平和な日常でもそんなに水を飲んでるわけじゃない。
(試しに、自分が一日にどれだけ水を飲んでるか数えてみればいい)
何かサバイバルというよりも、いかに快適に過ごすかが焦点になってるような。

放射能にしても同じで、今この瞬間に仮に爆発を起こしてまき散らされたとしても、多くの人は即死はしない。
気がつかずにしばらくそのままででいても、即座に死ぬわけではないでしょう。
何せ、その場合に想定されるほどの量の放射能を浴びながら、懸命に闘ってる人たちが今まさにおられるわけですし。

何でもない普通の日常でだって、転んで頭打てば死ぬ。
ましてパニックに陥っていれば、その可能性はずっと上がる。
自分が気づかないタイミングで大爆発を起こし、それによって放出された放射能が自分に到達して受ける被害と、果たしてどっちがリスクが高いか。
必要なのは過剰な不安ではなく、いざとなれば身一つで走ってでも逃げる覚悟だと思う。
それを決めたら、後は淡々と過ごし、その時が来たら粛々と実行するだけじゃないかな。

ついでに書けば、犯罪が発生したり、計画停電に関して駅員や東電に怒号が飛んでるというニュースも出てる。
でもこれだって、普通の日常でも犯罪者はいるし、駅員さんに文句言ってる人はいる。
混乱ばかりに注目するのではなく、この状況でも闘ってる人がいることや、何だかんだで日常を維持できていることをもっと評価すべきだと思う。

(くどいようですが、あくまで緩やかな地域の話です。無神経だったら、申し訳ないです)

【蛇足】

それはそれとして。

偉いさんの会見や報道は、無駄に不安を煽ってる気がする。
政府の偉い人は、どうしてあんなに報告が下手なんだろう。
社会人の新人さんが、最初に教育される下記のようなことができてない。

 ・結論を先に述べる
 ・質問者の聞きたいことに応える
 ・分からないことは分からないと断言する
 ・次の報告がいつなのか明言する
 ・一つの文章は短く(「~ですが」や修飾語の多用を避ける)

どこかで、「原稿を読み上げるわけでもなく、自分の言葉で話していて偉い」という感想を見たけれど、それは違うんじゃなかろうか。
逆に「こういう非常事態なので、言葉づかいが乱雑になることは容赦願いたい」と断った上で、文章短く、判明している事実と調査中の事項を、箇条書きで読み上げるのが真っ当な報告だと思う。
(そういえば、どうしてあの手の会見ではスライド資料とかないんでしょうか。凝った作りにしなくていいから、簡単なのでも作ればいいのに)

あと「全力で努力してる」とかそんな分かり切ってることは余計。
「手を抜いています」とは報告しないんだから「頑張ってます」と言うに決まってる。つまり情報量はゼロ。
士気高揚につながってるわけでもないし、もうちょっとやりようがあるんじゃなかろうか。

まぁあげ足を取ろうと待ち構えてるマスコミに問題がある気もしますけれど。
何か一般人の個人レベルでは頑張ってるのに、大きなところやトップが怪しい動きをしてるせいで、緊張が続いていない気がする。

【蛇足2】

先日、「地震と予知」で記事書いたら、その検索ワードで結構な方が来てくださった。
こんな辺境のブログにちょっと書いただけなのに、それだけ人が来るということは、気にしてる人はそこそこいるんだと思う。
今はそんな「予知」とか信じてる場合じゃない。そんなものはまやかしだ、と少しでも伝わったなら、書いた意味はあったのかもしれない。

【蛇足3】

この記事を書いている間にも、大きめの地震が発生。私のところも結構揺れた。
でも11日の地震に比べれば軽微です。さっきよりも、事態が悪くなったわけじゃない。
不必要に怯える必要はなくて、いざとなれば野宿しようが草を食おうが、生活していく覚悟だと思う。
最初の緊張が解けて、気持ちが挫けやすくなる今が、一つの山場じゃないかな。

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東北地方太平洋沖地震 デマや超常現象の話

2011年03月14日 | 王様の耳はロバの耳
案の定、各種デマが流れているようで。

東北地方太平洋沖地震、ネット上でのデマまとめ

地震兵器(HAARPや核兵器)は、やっぱり出てたかという感じ。
馬鹿らしくて調べてませんが、アメリカ・中国あたりに加え、時期的に与党も「陰謀の黒幕」として上がっていそう。(支持率低下や野党追及を誤魔化すためとか何とかで)
過去に他国で起こった大地震でも話題にされた手垢のついた定番ネタなので、まともに取り合わず無視していいです。

東北地方太平洋沖地震

[引用]
 また当ブログやASIOSのサイトでは、昨日からジュセリーノの予言のことで検索してくる方々が多くいます。しかし彼は東北地方太平洋沖地震のことをまったく予言していません。ジュセリーノの予言など参考にせず、現実に地震対策をして震災に備えたほうがずっと有益です。
[引用終]

すがりたくなる気持ちは分かる。でも現実を見ないと、本気で大変なことになります。
おそらくこの先、「地震を予知夢で見た」とか「お守り(やそれに類するもの)を持っていたので助かった」といったネタも出てくると思うけど、そんなものに惑わされないようにしないと。

「予知夢」に関しては、「前日の夜に地震の夢を見た」人は、確実にいると思います。
ですが、そんなものはただの偶然で済ませられる。

例えば、人が一生の内に、地震の夢を一度だけみるとします。
100年生きるとして、あるタイミング(2011年3月10日夜)に地震の夢を見る確率は、(365日×100年=)3万6千分の一。
これだけだと、かなり低い確率に見える。
でも、今回の地震を受けた人は、ざっと考えても全国の1/3。3600万人はいます。
よって単純計算で、2011年3月10日夜に地震の夢を見た人は、約1,000人。相当数が「予知夢」を見ている。

実際には、「一生に一度しか地震の夢を見ない」なんてのはかなり厳しい条件だし(地震や「何か怖い」ものが出てくる夢なんて、珍しいものでも何でもない)、
3月10日夜に限らず、9日や8日に見ていても「あれは予兆だったんだ」と認識されるはず。
つまり「予知夢」なんて珍しくもなんともないんです。

地震雲や「直前に動物が異常な行動をしていた」も同じ。
何の異変もないときでも、犬が急に吠えだしたり、カラスが群れをなしてたりする。
今回のような広域災害なら、どこかで偶然、「犬が異常に吠えた後に、地震が来た」場所もあるに決まってる。
でもそんなただの偶然で、余計な不安を増大させる必要はない。

「お守り」の類も、これだけ大勢いるのだから、助かった人の中には、お守りを握りしめてた人も当然いるでしょう。
逆に、お守り持っていても不幸にあった人もいる。持ってなくても助かった人もいる。
「助かった人の中に、お守りを持っていた人がいた」ことだけからは、「お守りのおかげで助かった」かどうかなんて全く分からない。
もちろん、お守りを握りしめることで、不安を鎮めることができるという意味では十分に効果があるし、そこは否定しない。有益だとも思う。
でもお守りを手に入れるために強迫観念にとらわれたり、本当に必要なものを後回しにし始めたら本末転倒。

やるせないことに、既にテレビ報道はエンターテイメント化しつつある。
取り立てて必要性もないのに、悲しむ被災者の様子を繰り返し写したりとか、「放射能は危険でとんでもない被害が出ている」と演出したがってたりとか。
(私見ですが、今は視聴率無視してでも淡々と給水や救援情報を流したりとか、「最悪を回避している日本は凄い」「誇りを持って節度ある行動を続けよう」といった報道の方が、長い目で見れば商業的にも評価されると思うのだけど)

多分今後は、Twitter上のやり取りをまとめて、お涙ちょうだいで紹介する番組や本なんかも出てくるんじゃないかな。
ちゃんとした形でやる分にはいいんでしょうけれど(実際に活躍してるのだから)、興味本位の娯楽としてやられると気持ちが悪い。
個人的には、そういった番組が作られたときに、「私らもあの時は協力して頑張ったんだよな!」とか「拡散したけど、助からなかったんだね…」みたいな、災害を楽しむかのような感情を得ないようにしたいです。

冒頭のデマの話にも戻るけれど、「何かできることをしなきゃ」と思うあまり、善意が迷惑をかけてしまう面もあると思う。
デマとか、素人ボランティアとか、使えない救援物資を送ったりとか。
出来ることなんて大してないことを潔く自覚し、募金や節電といった出来ることをした後は、無理して「もっともっと」と探す必要はないはず。
そこで物足りなさを感じたり、自分を卑下することなく、悪い意味でお祭り気分にならないことが大事だと思う。


…で、これを書いている間に、会社から連絡が。
月曜からの計画停電を受け、私もやることが出てきた。
不謹慎ですが、社会人として協力できる機会を得られたことはありがたい。
ほとんど居てもいなくても変わらない程度の役割だけど、出来ることをやろうと思う。
コメント (2)
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東北地方太平洋沖地震

2011年03月12日 | 王様の耳はロバの耳
大変な状況ですが、さしあたりご報告。

私のいるところは震度5ほどでした。
幸いにして、私の周りでは人の被害は無し。
外の様子を見ても、人に関しては平常時と変わらない状態に戻りつつあります。

この状況だと、直接の地震被害よりも、地震を不安に思いすぎることの方が怖い。
「余震が続いているので、怖くて眠れない」とか。
寝ておかないと、最悪の時に身一つで走る体力が持ちません。

今まさに危険が続いている方がいるのだから、不謹慎極まりない表現になりますが、
過剰な不安は「不安がることを楽しむ」ことになりかねない。
テレビ報道も、災害の映像におどろおどろしいBGMをつけるような「余裕」が出てきてしまってる。
油断は禁物だし、深刻な被災をした方々への協力は絶対に必要だけど、
まかり間違っても不安がる自分に酔ったらダメだと思う。

目の前の、今できることをしっかりやっていこう。


[追記]

過剰な不安は禁物だけど、できることはやっておこう。

 ・1食分の食料
 ・1日分の水
 ・靴
 ・上着
 ・財布
 ・携帯電話(充電しておく)
 ・身分証明書

とりあえずそれらの準備と、逃げる場所を決めておこう。

それと、睡眠と食事をちゃんととっておく。
休めるときには休むのが仕事。

あと本日18時~19時で電力不足が予測されるそうです。
不要不急の電気は消そう。
コメント (6)
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教えて!ウォッチャーより:「自分だけ?」と思うおもしろい体質

2011年03月05日 | 王様の耳はロバの耳
「自分だけ?」と思うおもしろい体質(教えて!ウォッチャー)

[引用]
 自由に汗を流せたり、肩の関節を外せたり… まったく役に立たないけど特に困りもしない。人に話してみたいけど、そんなタイミングもない。そういった「もしかしたら自分だけ?」と思えるような体質を密かにお持ちの方、意外と多いと思います。教えて!gooでも、色々な体質が寄せられていました。
[引用終]

「自分だけ」、というわけでもないでしょうが温感を日常的に使える。

メンタルヘルス向上のプログラムの中に、温感練習というのがあります。
自律訓練の一種で、「自分の手足の温かさを感じる」とかいうやつです。
一応、「心身をリラックスさせる効果がある」として紹介されてるっぽい。個人的には眉唾ですが。

わざわざ「温感練習」として出回ってるところを見ると、コツを掴めない人はできないんだろうと思う。
やり方は簡単で、単に自分自身の体温を意識するというそれだけ。
ものの説明によれば「脱力することで毛細血管が広がり体温が上がる」とのことですが、単に「自分自身の体温(約36℃)を認識して温かく感じてるだけ」だと思ってる。
他人の手を握ると温かく感じますよね。でも本来は、自分自身も同等の熱量を持ってるわけで。
普段は日常的すぎて神経が無視している、その自分自身の熱を認識することで、体温が上がったと感じる、というのがこの方法のトリックだと思う。

この「リラックスして手足に意識を向けると熱を帯びたように感じる」に気付いたのは、今から20年以上前のこと。
当時は無邪気に、「集中すると熱が上がる」→「頑張れば魔法が使える!」と思ったもので、せっせと練習しました。
今にして思えば、小学生の頃からメンタルへルス対策の自律訓練法をやってたわけか。怖い子だ。

その甲斐あって、今でも簡単に実施することができる。
利点は一つだけ。寒さに対する耐性が上がった。
何せ36℃のカイロを常に持ち歩いているのと同等の効果を発揮します。
今年の冬も、風邪ひいてた時や雪以外は、コートなしで平気でした。(名誉のために書いておくと、私は極端な肥満児という訳でもない)
さすがに電車に乗るときは、人の目があるので上着は着ましたけれど。

「寒い時に深呼吸をすると寒さが和らぐ」(心頭滅却すれば火もまた涼し、の逆)は、要するにこういうことだと思う。
寒いときには、ガタガタ震えるよりも効果的なので、意識してやってみると便利かもしれません。
(もっとも、寒さを感じにくいというだけで寒さそのものは変わっていないので、むしろ危険度は上がってると思いますけれど。本来、危険シグナルであるはずの「寒い」を意識的に無視してるわけですから)

なお、この方法は「暑さ」には全くの無力です。腹立たしいほどに暑いのは苦手だ。

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