老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

憲法裁判所の設置は日本の大きな課題

2017-04-16 10:49:51 | 憲法
憲法81条は最高裁に法令等の違憲審査を認めているが、その解釈(学説・判例)ではアメリカ法の「違憲審査制度」をその指針にしている。だがこの違憲審査制度は、具体的な裁判で当事者(原告側)が違憲審査を求め、裁判所がこれを認めないと「違憲審査」は開始されない。

しかし、これまでの自民党一党独裁(公明党に主体性は見られない)の下で矢継ぎ早に制定された法律群は、違憲の疑いが極限的に高いか、明白に違憲の法律(例として特定秘密法、カジノ法、「共謀罪」法案)ばかりである。

ドイツや韓国では「憲法裁判所」が設置され、一定の成果を上げている。それに反して「母国」のアメリカでは、憲法に抵触するような法令に満ちている。

これはアメリカ議会が大企業の意向に沿う法律ばかりを制定して、国民にそっぽを向いている証拠である。(参考文献として堤未果氏の「貧困大国アメリカ」三部作(岩波新書)を挙げる。)その極め付きはスノーデンが暴露した「国民監視システム」である。

このアメリカ的症候群、つまり「違憲審査制度は具体的裁判で違憲訴訟をしない限り違憲審査は開始されない」という限定主義の憲法形骸化原則を解消しない限り、違憲立法は繰り返されるということだ。その大きな要因の一つが、最高裁の法律上及び事実上の内閣との癒着にある。三権分立が確保できていないことである。

韓国では憲法裁判所が機能しているので、安倍首相と同じような背任行為を行った朴大統領は結果的に失脚したのである。

アメリカ型の違憲審査制度は判例通説になっているが、これは根本的に妥当ではない。なぜなら憲法の根幹の原理である「立憲主義」つまり国家権力の基本的人権侵害を抑制し、権力を制限し国民が国家を監視する原則を究極的に担保する制度は、「憲法裁判所」しかないからである。つまり、「憲法裁判所」であれば、国民は国家などの違憲行為(違憲立法や行政行為等々)を提訴できる権利が与えられるからである。

「憲法裁判所」の設置は、安倍ナチ政権下、この政権が日本国憲法を破壊する前に実現すべき、喫緊の課題に近いかもしれない。

この憲法裁判所の根拠法令は憲法81条と特に「第10章」の97条、98条、99条などである。

「護憲+BBS」「憲法を考える」より
名無しの探偵
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遅すぎた長島議員の離党

2017-04-16 10:37:46 | 民進党
民進党(旧民主党)の長島議員がやっと離党したか、と言いたい。もう少し早ければ旧民主党にはプラスだったのではなかろうか。

長島議員については、過去(2009年12月)に次のような投稿をしているので再掲しておきたい。

===
長島防衛政務官は籍は民主・心は自民党か

長島防衛政務官は8日の日米関係シンポジュウムで『石破、アーミテージ両氏の意見について「非常に共通するところが大きい」とした上で、「日本の都合で海兵隊がどこ行け、あっち行けと本当に言えるかどうか」と疑問を呈した。』と報じられている。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009120800778

「日本の都合で海兵隊がどこ行け、あっち行けと本当に言えるかどうか」とは明らかに米国と在日米軍側に立った発言であり、先の衆議員選挙で民主党が普天間の県外、海外移転を沖縄県民に訴え2議席を獲得したことを踏みにじる発言である。

しかも当シンポジウムには日米から辺野古への移転を主張する論客のみの出席で、長島防衛政務官の出席はそれを後援するような形である。そして沖縄県で全議席を失った自民党の石破政調会長の意見に同調するようでは、一体何党の防衛政務官のつもりなのか、民主党支持者には理解できない。先の給油法案についての失言に対し、平野官房長官から注意を受けた反省が全く見られない。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20091007AT3S0700D07102009.html

再度注意し、3度目の失言が発生したら辞任させるべきである。
===

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔
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「安保法制違憲訴訟」-差し止め第3回期日

2017-04-14 18:00:37 | 憲法
昨年9月から始まっている「安保法制違憲訴訟」の「差止請求訴訟・第3回期日」が東京地裁でありました。

傍聴席100名のところ傍聴希望者は120名位。当初よりは人数が減りましたが、まだまだ関心は薄れていません。抽選の結果、私は当選し傍聴席に着くことができました。

最初に代理人から提出書面の説明。その中で、国側が「差し止めの対象は行政処分で、安保法制は行政処分ではないので却下するよう」主張していることに対し、「厚木判決でも自衛隊機を飛ばすことは行政処分と認めている」という例を引いて反論。また、稲田防相の「(南スーダンの情況について)『戦闘』は憲法9条上問題になるので『武力衝突』という言葉を使っている」という国会答弁を取り上げ、「憲法と立法が対立状態にある。」「立法、行政がでたらめを行っている今、日本の未来は司法に掛かっている。是非とも賢明な判断をしていただきたい」と訴えました。

次に裁判長から、「被告は原告の意見陳述そのものに反対と主張しているが、裁判所としては、今回も認める。但し3人で10分の範囲内でお願いしたい」との発言があり、原告の意見陳述が始まりました。

今回の意見陳述は、両親と自分の家族3人が共に障碍を持つ女性、JALのパイロットだった男性、父親の戦争体験を聞いて育ち、戦争をテーマに研究活動をし、現在は診療医師として働く男性の3人。夫々に、

「障碍者は戦争が起きれば真っ先に邪魔者扱いされるというのは先の戦争から明らか。今私たち家族はその不安の中に置かれている。」

「周辺事態法成立以来、政府は民間機も武器弾薬の輸送をするよう求め、会社は何とか断ってきたが、イラク戦争では自衛隊の帰国に、今回は南スーダンへの自衛隊員派遣に、民間機が使われることになった。こうして民間機も敵の攻撃の対象とされ、テロの標的にされるようになってしまった。」

「父親の戦争体験の悲痛な思いを聴いてきた。再び戦争をする可能性を持つ安保法制は耐え難い。2013年に硫黄島で遺骨収拾の活動に参加したが、まだ大勢の兵士が現地に残されたままになっている。戦争を悔いていた父親や、硫黄島に遺骨が残されたままの彼らの、二度と戦争しないようにと願う声が聞こえる気がする。」

と安保法制が不安や苦痛、あるいは具体的な危険になっていることを語りました。夫々の真剣な発言に、思わず拍手が傍聴席から起こり、「傍聴席は静かにするようお願いします」とやんわり裁判長がたしなめる一幕もありました。

原告の陳述の後、裁判長・原告・被告の間で今後の進行が話し合われ閉廷。次回は7月24日ということです。

裁判長は終始紳士的な態度で、原告の主張にも耳を傾ける姿勢を見せていますが、原告の切なる訴えが届いているか、その胸の内は分かりません。原告の一人として、私も今後の成り行きを引き続きしっかり見守っていきたいと思います。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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憲法改悪と国家神道復活の狙い(2)

2017-04-12 14:07:50 | 自民党政治
日本人の多くの人は、『国家神道の復活』など、何をたわけたことを言っているのか、と思うだろう。ましてや万世一系の天皇中心の国家の復活など埒外の話だと思うだろう。そう考えるのが当然だし、そうあるべきだろう。

しかし、坂本是丸氏がその著書「近世・近代神道論史」の中で主張する
・・「ともかくも、戦前~戦中~戦後~と、連綿と続いてきた日本社会全体の意識の流れの延長線上に今の日本があると見るならば、当然ながら現在の政治状況にまで繋がる大きな影響力が「国家神道」から流出していると見るべきであり、その意味で「国家神道」(および、その基盤である教育勅語)は終戦で潰えたどころか、歴然として今も活性化していると見なすべきである。」
・・「toxandoria の日記、アートと社会」より孫引き・・・http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/
という議論は、森友学園事件やそれに付随して出てきた教育勅語に対する政府見解や文科省見解を見ていると、彼の主張の正しさが理解でき、傾聴に値する。

ここで指摘されている『国家神道』の影響力を過小評価すると、安倍極右内閣をはじめとする日本会議系の改憲勢力に思いのままにされる危険性が高い。

森友事件で有名になった菅野完氏が書いた「日本会議の研究」や青木理氏が書いた「日本会議の正体」で辛うじて日本会議の存在が浮き上がってきたが、それまでメディアでもあまり取り上げられず、改憲勢力の間でもそれほど警戒されていなかった。しかし、国会議員だけでも、280人以上を擁し、安倍内閣の閣僚の大半は日本会議会員である。
http://blog.goo.ne.jp/luca401/e/c68e713246fafd24b15dd6c5962daf05

形態的にも実質から言っても、日本政治は日本会議に乗っ取られていると言っても過言ではない。この危険性を論ずる事はメディアではタブーのようであり、大手メディアでほとんど論じられる事はない。しかし、全ての議論は、この事実から出発すべきである。(※後年、歴史家により、このメディア報道の弱さが、日本を危機に陥らせたと総括されるに違いない。)

今回の森友事件で菅野完氏が登場した時、メディアからきわ者扱いをされていたが、メディアの報じた森友事件がらみのニュースの多くは彼から提供されたものだったはずである。彼をきわ者扱いをするようなジャーナリストの誰が彼ほどの取材力があるのか、聞いてみたいものだ。

+++
昔、オーム事件というものがあった。年表で確認すると、最初の事件は1989年ごろに起きている。
http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/file002/history.html
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten260/it6.htm

このオーム事件を本当に取材したのが江川昭子氏で、彼女はこの事件によって世に出たと言って過言ではない。わたしは、菅野氏の日本会議への取材は、江川氏のオーム事件の取材に匹敵するようなものではないかと思っている。何故なら、この種の取材はきわめて危険なところがあり、いつ何があるか分からない。取材するには、それだけの覚悟が必要だからである。

このオーム教団の麻原彰晃は、『尊師』と名乗り、政治に関心を示し、選挙にも出た。教団組織も国家組織と同じような省を名乗っていた。その洗脳の手口が何度もメディアで報道され、カルト教団の『洗脳手法』の恐ろしさが世の人に知られた。

当時、江川昭子氏が何故『オーム犯罪』が加速され拡大したかの原因について、オーム教団幹部たちの麻原彰晃に対する『忠誠心競争』を挙げていた。「わたしはこれだけの事をやりました。」「わたしはこんな事を考えています」などと、より過激な手段・方法を開陳する。そうする事により、他者との差別化を図り、麻原彰晃の信頼を勝ち得、教団でのステージを上げた。オームのような閉鎖集団では、最高権力者との距離が全てを決定する。オーム真理教幹部たちの懸命な生き残り方策だったのだろう。

実は、戦前の日本での社会的ステータスは、天皇との距離により決定された。天皇との距離が近いものほど偉い。警察・軍隊を見れば良く理解できるが、何かを命令するのに上官は「天皇陛下の御為に」と叫べば、命令の正当性が確保され、命令の『善悪、当否』は消えてなくなった。つまり、天皇陛下により近い距離の人間が、遠い距離の人間に命令を下すために、『天皇』の名前は、きわめて便利な道具として使われた。

通常なら、命令の『正当性』やその『善悪、当否』は、後々、評価・批判・反省の材料になり、命令を下した人間の責任が問われる。しかし、上記のような天皇陛下との距離で命令の正統性が問われないなら、その組織は止めどなく腐敗し、恐るべき『無責任体制』に堕してしまう。

戦前の日本社会(特に昭和の前期から敗戦まで)の特異性は、天皇陛下への『忠誠心競争』の様相を呈しており、その距離で権限の強さが決定するといういびつな構造を持っていた。つまり、上から下までの『無責任体制』が貫徹しており、冷静で客観的判断に欠けていた。丸山真男が指弾して止まぬ『無責任体制』である。

普通の人々は、オームのような小さな集団の話ならその異常性を良く理解できるが、国家総体の話になると、よく理解できない。しかし、戦前の日本国家は、オームの国家版のような所があったのである。

+++
今回の森友事件。官邸、自民党の閣僚。自民党代議士。官僚たちの忖度を見ていると、安倍首相やその夫人に対する『忠誠心競争』そのもの。さらに、連日TVに出て安倍首相擁護の論陣を張り続けた田崎とか山口某のような茶坊主が、ジャーナリストなどとのたまう、まさに世紀末的情況。何故、彼らを出すのか。TV局首脳の官邸に対する『忠誠心競争』がその背後にある。

つまり、現在の日本の支配層の間では、戦前とさほど変わらない『忠誠心競争』が行われており、安倍首相官邸との距離が商売その他の物事を決定する一つの物差しになりつつある、と考えて良いのではないか。誰だったか、「昔、天皇 今 安倍晋三」と書いていたが、言い得て妙である。

森友学園事件・加計学園問題いずれも安倍首相との近しい距離感が問題の根源にあり、現在の日本の抱えている問題の象徴的意味がある。

実は、森友学園で行われていた教育勅語暗唱とか毎日行われている政治的色合いの濃い文言を唱和するという手法は、『洗脳』の第一歩と言ってよい。物事の良し悪しを判断できない幼子に、そういう価値判断を含む文言を有無を言わさず暗唱させる事は、よほど注意しなければならない。

庶民は、そういう効能をよく知っている。たとえば、幼子を連れてお墓参りしたり、仏壇の前に座る。そして、「のんのんさん、あん」と言いながら、手を合わせる。家族とそういう経験を何度も何度もしている子供ほど、信仰心の篤い人間になる、というのは庶民の生活の知恵である。子孫に墓を守ってもらうために、どこの家庭でもそのような教育をしたものである。これも一種の洗脳だといえばそう言えなくもない。物事の意味を知って行うのでなく、身体が覚えている習慣のようなものである。

『しつけ』というのは、この手法が一番効果的で、教育現場でもよく用いられる。学校と言う所は集団生活の場でもある。学校生活を無事に過ごさせるためには、最低限のルールが必要になる。何故このルールが必要なのかを、何度も何度も説明して、習慣になるように繰り返し繰り返し指導する。一種の『洗脳』的手法だが、それを身につける事によって、安全に生活できるし、他人にも迷惑がかからないし、社会生活に適合できるようになる。そういう事柄だけを選んで、そのような手法で行う。教育現場では、それを『しつけ』と呼んでいる。

ありていに言えば、『しつけ』と『洗脳』は似て非なるものだが、手法は非常によく似ている。つまり、『洗脳手法』はそれだけ有効な手法だという事だ。それだけに教育現場でそのような手法を取る事は、きわめて抑制的でなければならない。しかし、森友学園で行われた教育勅語の暗証教育などに感動し、感激し、ほめちぎる政治家や大人が多数いたという事実は、『教育』と『洗脳』の違いが良く理解できていない人間が多数いたという事を意味している。

まして、戦前『国家神道』を錦の御旗にして、大日本帝国は国家挙げて日本国民全てを洗脳しようと試み、それに成功した。皮肉に見れば、戦前の日本は国家全てがオーム化していたと言えなくもない。

このオーム化。支配層の中には上手くいった戦前の成功体験を忘れられない人間が多数いた。それはそうであろう。支配層が決めれば、後は何の説明なく国民に押し付ける事ができる。「お前たちは、戦って死ね」と言えば、唯々諾々と死んでいく。こんな楽な国民はない。安倍政権のやり口。どこか、これに似ている、というより、これを理想としているのだろう。

+++
ちなみに、兵隊の消耗率は日本の軍隊が世界一。他国の軍隊では、消耗率が2割~3割を超えると、軍隊の機能が維持できなくなる。兵隊の反乱がおきる。ところが、日本の軍隊は、隊全てが全滅する事がよくあった。

日本の軍隊は、教育における『教育勅語』にあたる明治15年に出された『軍人勅諭』がある。前文に「我が国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある」と書かれていて、日本の軍隊は歴史的に天皇の軍隊だったと言っている。

そして、軍人が守らなければならない五つの精神を列挙している。
1、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
2、軍人は礼儀を正しくすべし
3、軍人は武勇を尚むべし
4、軍人は信義を重んずべし
5、軍人は質素を旨とすべし

この『軍人勅諭』。結構な名文で書かれている。筆者は啓蒙思想家で有名な明六社同人西周。その為、『教育勅語』より近代的で理不尽なところが少ない。『軍人勅諭』は明治15年。『教育勅語』より早い。日本の場合、明治の早い時期の方が人権を大切にし、民主的であり、時代を経るにつれて『全体主義的』で人権無視の傾向が強い。

『軍人勅諭』全文は、以下でどうぞ。
http://mira00.hatenablog.com/entry/2015/05/28/110405

この『軍人勅諭』を具体的にしたのが、『戦陣訓』である。これは1941年にできたもので、太平洋戦争当時の日本軍の精神構造が非常によく分かるものだ。結構長いものだが、以下の所で本文、現代語訳が見られる。
http://www.geocities.jp/fujimoto_yasuhisa/bunsho/senjinkun.htm

これを徹底的に暗誦させ、頭に沁みつくまで叩きこんだ。戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』を徹底的に叩きこまれ、捕虜になるより死を選択するように教え込まれた。いわゆる『万歳突撃』とか『玉砕戦術』である。

サイパン島に「万歳クリフ」と言う場所がある。先年、天皇陛下が美智子妃とともに訪問され、深く頭を垂れ拝礼された事で知られた所である。

・・・「太平洋戦争(大東亜戦争)中、日本軍司令部がサイパン島北部にあり、アメリカ軍の激しい戦闘(サイパンの戦い(1944年6月15日~同年7月9日))において、追い詰められた日本兵や民間人が、スーサイドクリフと同様にアメリカ兵からの投降勧告、説得に応じず、80m下の海に身を投じて自決した悲劇の断崖(岬)である。
 多くの自決者が「天皇陛下、万歳」と叫び両腕を上げながら身を投じたことから、戦後この名で呼ばれるようになった。自決者の数は1万人にのぼるとも言われていて、海は血で真っ赤に染まり、死体の海と化した」・・・
https://matome.naver.jp/odai/2140392326682657001

このような兵の消耗率は、いかにも『日本軍』らしいと言えば言えるが、このような教育(洗脳教育)を国を挙げて行っていたのが、戦前の日本だった。

先に書いたように、『国家神道』(宗教・教育・道徳・科学技術の上にあり全てを超越するもの)から流れ出る価値観を、国民大衆の心の奥に刷り込むために、ありとあらゆる装置(神社・学校教育・軍隊など)を総動員し、国民教化を図り、それに反対したり、背く連中は、『治安維持法』を使い、『主義者・赤』などの名目で根こそぎ検挙し刑務所に放り込んだ。
※横浜事件などが知られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

さらに、『国家総動員令』をつくり、国や国民の資産を戦争のために根こそぎ使う。隣組制度と言えば聞こえは良いが、体の好い『密告制度』で国民監視を強めた。

そして、それが今や戦前を知らない政治家やネトウヨなどの若者に拡散している。坂本是丸氏の指摘「『国家神道』(および、その基盤である『教育勅語』)は終戦で潰えたどころか、歴然として今も活性化していると見なすべきである。」という指摘をきちんと認識しなければならない。

+++
安倍政権の歩みを見ていると、明らかに『国家神道』を再現し、国民を総動員する体制作りを目指しているとしか思えない。その証拠が伊勢神宮の式年遷宮への出席である。戦後4回行われた式年遷宮だが、正遷御当日に出席した総理大臣は安倍晋三が初めてである。しかも、麻生太郎はじめ8閣僚が出席。大手メディアはほとんど報じないが、これは戦後政治の中で画期的な事だった。

さらに、安倍晋三総理大臣は、正月に伊勢神宮に参拝した。伊勢神宮は神道最高の施設である。そこに参拝するという事は、他の宗教団体と違うという印象を与える象徴的効果を持っている。(※憲法違反の疑いが濃い。)

また、G7サミットを伊勢で行い、その時に首脳たちを伊勢神宮に案内した。この危険性についてきちんと報道したのは、日本メディアではなく、外国メディアだった。

・・「安倍政権が進める神道復権(国家神道・復活を指す)の中心にある伊勢神宮の役割を考えると、G7首脳の訪問は太古の森と清流を気楽に散歩する以上の意味を持つ。(英ガーディアン)20160624号・週刊朝日
・・・伊勢神宮訪問はいくつかの批判も呼んでいる。神道は日本の神話と歴史を国家主義と不可分に結びついた宗教(歴然たる宗教、つまり国家神道)に一体化させており、世界のリーダーが訪問するには不適切。(AFP通信)20160624号・週刊朝日」
・・・「toxandoria の日記、アートと社会」より孫引き・・http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

現在、伊勢神宮は大変な観光地になっており、大勢の観光客であふれている。わたしも何度か訪れた事がある。その為、普通の日本人は、安倍首相が正月に参拝する事に靖国神社ほどの抵抗感はない。しかし、外国の記者は、戦前伊勢神宮がどのような役割を果たしたかを良く知っており、きちんと批判している。日本メディアの及び腰に比較するとよほど健全であると言わねばならない。

とにもかくにも、安倍政権やその周辺の日本会議などの右派勢力の狙いは歴然としている。『国家神道』の復活であり、万世一系の天皇中心の国家体制への復活である。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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憲法改悪と国家神道復活の狙い(1)

2017-04-10 09:22:56 | 社会問題
安倍政権の暴政はとどまる所を知らない。森友事件での対応で分かるように、安倍政権の『国家私物化』の発想は目に余る。

都合の悪い事は、国会議事録を改竄し、記録から消し去る。財務省・防衛省のように重要な資料がなくなる。資料請求すると、真っ黒に塗りつぶした海苔弁と呼ばれる全く役に立たない資料が出てくる。政権に都合のよい事は、何でもかんでも閣議決定する。安倍昭恵夫人は私人。籠池氏に贈られた経産省の谷氏の書類は、私信だと決める。

官邸のラスプーチン菅官房長官が問題ないと言えば、全て問題ない事になる。いつのまにか、憲法解釈も法解釈も全て官邸が決定すれば、それで決定と言う事になるらしい。安倍内閣は、司法権も持っているらしい。

さらに、森友事件では、内閣の構成員が、籠池氏を証言法違反で告発するなどと言いだしている。告発の権限は、国会の予算委員会にあるにも拘わらずである。安倍内閣は、立法権まで握っているらしい。

この有様を見ていると、日本は三権分立の民主国家ではなく、安倍晋三という人物の独裁国家になっているらしい。だんだん、彼が口汚くののしる北朝鮮の将軍様に似てきている。

その彼が今一番力を注ごうとしているのが、『憲法改悪』である。今や、『憲法改悪』の政治日程を視野に入れ、あらゆる政治イシューをその為の布石として計算している。

ところが、憲法条文などの逐次的議論に入ると、全てが是々非々の相対的議論になり、議論が拡散する。憲法改悪派の狙いは、この『議論の拡散』だという事を護憲派はまず頭に入れなければならない。

そして、安倍内閣・自民党右派・維新・日本会議などの『極右派』の真の狙いは、『憲法改悪』だけに止まらない。はしなくも、森友事件でそのアナクロニズムに満ちた懐古主義の一端が垣間見えたが、彼らの真の狙いは『国家神道』復活である。

多くの国民は、日本会議系の改憲派の真の狙いが分かっていない。彼らの言説は、常に真の狙いを隠して、憲法改悪を推進しようとしている。そして、戦後民主主義教育だけで育った世代は、『国家神道』なるものの恐ろしさも知らなければ、一体全体『国家神道』とは何なのか、と言う事すら知らない。

森友事件の余波で『教育勅語』が論議の俎上に上がったが、ほとんどの国民は、『教育勅語』が何故問題になるのかも良く知らないはずである。戦後の歴史教育で、太平洋戦争から戦後史がほとんど学習されていない点がそのような結果をもたらしている。

さらに言えば、『国家神道』そのものについて、中学校レベルの歴史教育では、詳細には勉強していない。そういう意味で、改憲派(日本会議系極右派)の真の狙いの危険性について、感度が鈍いと言わざるを得ない。

しかし、『護憲運動』にとって、安倍政権や日本会議一派の真の狙いである『国家神道』をよく理解し、それを徹底的に論破し、彼らの改憲の狙いを根底から崩す事が焦眉の急である。森友事件は、その危険性を白日の下にさらしだした、という意味で物凄いインパクトがあった。

+++
では、『国家神道』とは何か、を歴史的に考えて見る。

明治維新期⇒神仏分離令が出され、廃仏毀釈運動が行われた。
●神仏分離令とは何か⇒広義には、神仏習合を排し、神と仏をはっきりさせる事。狭義には、明治新政府が出した神仏判然令(神仏分離令)を指す。慶応4年3月~明治元年10月までに(1868年)出された太政官布告、神祇官事務局達、太政官達などの一連の通達の総称。
●廃仏毀釈⇒広義には、仏教寺院・仏像・経巻を破壊し、僧侶や寺院などが受けていた特権を排する事を指す。日本では、明治時代、神仏分離令を受けて、多くの寺や仏像などが破壊された運動を指す。

明治維新期に起こったこの神仏分離令とその暴力的表現である廃仏毀釈運動は、その後の日本のありように大きな影響を与えた。では、明治初年期になぜこのような運動が起こったのか。それには、いくつか理由がある。

(1)江戸時代、仏教の体制化が顕著⇒戦国期~織豊時代まで戦国大名たちの最大の敵は、一向一揆に代表される農民の一揆だった。この一揆の中心に浄土真宗を中心とした仏教があり、さらに、徳川幕藩体制(封建体制)の根幹を揺るがす思想を教えとするキリスト教の浸透もあった。

幕府は、この二つの難問を如何にして克服するかを考え、キリスト教は禁教にし、徹底的に弾圧。仏教は、檀家制度を積極的に導入し、戸籍制度の代わりにした。民衆は一人残らず寺の檀家になる。こうする事により、民衆支配を徹底した。同時に、キリスト教信者をあぶりだし、弾圧した。当然の事だが、寺が民衆の味方とは言えない状況が生まれた。

その為、寺領も大幅に認め、寺の内緒も裕福になり、いわゆる葬式仏教の基盤が確立した。ところが、それに引き換え、神道の方は冷遇された。鎮守の森の神社は、地域の住民の努力により辛うじて守られていたが、その収入は寺と比べるべきもなかった。仏教・寺に対する不満・不平・恨みなどが積もるのも無理はなかった。

(2)身分制度への不満のはけ口としての仏教⇒士農工商の身分制度が確立すればするほど、その不満が膨らむ。あまりに露骨に身分制度を徹底すると、その反動(一揆)が怖い。そういう民衆の不満を解消する教えとして、仏教学は貴重だった。

天台宗や真言宗などは、平安の昔から時の権力と結びつき、それを支えてきた。現在でも天台関係の寺には、皇室関係の寺が多い。寺の塀に白線が引いてある寺は、門跡寺院だが、多くは天台宗である。仏教の教えは、民衆の過激化を鎮める役割もあった。

さらに、寺の僧侶には誰でもなれた。そして、その宗派での立身出世は、能力で評価され、現世の身分は関係なかった。その意味で、身分制度の枠外にあった。身分制度がない世界である。これは、民衆には魅力があったのである。

(3)さらに、当時、得度(僧侶になる儀式)をするという事は、一生独身を通す事を意味した。この事を体制側(幕府)から見れば、人口調節の意味があり、大変重要だった。広重の浮世絵を見れば良く分かるが、浮世絵の中に描かれている人物に、僧侶が多く描かれていた。それだけ、多くの人が僧侶になり、それを養えるだけの経済力が仏教にはあったという事である。

(4)それに反して、神道は力がなかった。さらに言えば、その不当さを論理的に主張できる理論家もなかった。ところが、江戸中期~幕末にかけて蘭学に対抗して、『国学』が盛んになった。『国学』は、儒学が四書五経を中心としたり、蘭学にように西欧の学問を勉強しようとする事に対して、日本の古典を大切にしようという学問である。多くの学者がかかわっているが、有名な人物としては荷田春満・賀茂真淵・本居宣長などがいる。

(5)さらに、ここで重要なのは、平田篤胤という人物である。彼は宣長の『古道論』を『復古神道』に発展させた。篤胤の思想は、その後『尊王攘夷思想』に絶大な影響を与え、『国粋主義』や『皇国史観』にも強い影響を与えた。

このように見ると、廃仏毀釈運動は、仏教に対する民衆の反発(仏教の体制化・僧侶の退廃・金儲け至上主義など)が基底にあったと思われる。これに、平田神道などが理論的背景に加わり、過激な運動に進展したのである。

しかし、この結果、伝統的日本型『神仏習合』思想を破壊したため、後の日本の発展をいびつなものにした。時代の変革期の行き過ぎというには、あまりにも大きなつけを払ったといえる。

では、この『神仏分離令』・『廃仏毀釈』運動が後世の日本民衆の意識にどのように影響を与えたのか見て見よう。

まず、押さえておかなければならないのは、明治政府は、この『神仏分離令』を発展させた形で明治憲法に『政教分離』令を挿入した事である。

ここで明治政府の宗教政策をまとめておく。この宗教政策自体に昭和期の超国家主義国家形成の原型があった。

●神道国教化政策(1868~1871)
・1867⇒神祇官復興(神道中心の祭政一致国家形成を狙う)
・1868⇒神仏分離令⇒廃仏毀釈
・大教 宣布の詔
●国民教化運動
・1872⇒神祇官廃止⇒教部省・教導職(神道・仏教双方から)が設置
・大教院(教導職の教育機関)設置⇒進化三神が祀られる。⇒天御神主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大神
・三条教則⇒①敬神愛国②天理人道を明らかにするなど③皇上を奉戴し朝旨を遵守すべき
●三条教則批判
浄土真宗僧侶、島地黙雷による三条教則批判が展開
※政教分離・信教の自由を主張⇒神道批判をするものの、政府の基本方針を受け入れる

※ここまでで注意しておかねばならないのは、明治初期の単純な『神道国教化』政策は実現できなかった、という点である。理由は、仏教界など他宗教の反発。同時に、憲法制定過程で学習した欧米の『政教分離』政策の浸透がある。単純な『神道国教化』政策では、欧米列強の軽蔑を招くだろうと考えたのであろう。

この二律背反的問題を超えるために考えられたのが、『国家神道』という概念である。

『国家神道』の成立
★1882年⇒内務省通達により、神社は宗教施設ではないとされる。
神社非宗教論⇒国家神道は宗教を超越したものとされる(ここがみそ)⇒全ての宗教の上に立つ存在とされる。
★国家神道の開始時期⇒(通説)1900年(明39年)、宗教局と別に神社局設置を持って始まりとする説が有力
★1906年⇒宮国弊社国庫共進金制度が施行⇒神社合祀が本格化

※要するに、神道は宗教ではないが、『国家神道』は、宗教を超越したものだという理屈で、実質的に全国の神社をランク付けし、国の支配と一体化させた。今でも全国の神社を見て見れば、官幣社とか国幣社とか正一位とか従一位とか書いてある。実質的な『神道国教化』なわけだが、それを換骨奪胎して、『国家神道』という形に変えたのである。

明治憲法は、伊藤博文の芸術品と称せられるように、至る所にこのような罠が仕掛けられている。

【大日本帝国憲法発布】(1889年)(明22年)
第28条⇒「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有す」と書かれている。
【教育勅語】発布(1890年)(明23年)
教育勅語の全文と現代語訳は、以下のサイトで見る事ができる。http://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm

『国家神道』の真の狙いは、西欧列強に追いつけ追い越せを国是とした明治日本では、富国強兵はどうしても行わなければならない政策だった。しかし、武士階級は没落。兵は国民から徴兵する以外になかった。しかし、生産力が低い当時の日本では、働き手を徴兵される事については、強い抵抗があった。

維新政府には、そのような抵抗を減殺し、「お国のため」という意識を民衆に注入し、つまり、民衆の内心(最奥部)を一元的に強制管理する必要があった。抵抗なく徴兵でき、国民を総動員できるようにする社会的装置と意識変革が否応なく必要になった。

この為に必要なものは三つ。一つは宗教的な意識。一つは教育による『愛国心』の醸成。一つは、警察などによる国策反対者の逮捕排除。(密告などによる監視社会の形成)

弁護士中坊氏がよく語っていたが、「人を動かすには、正面の理。側面の利。背面の恐怖。この三つがなければ人は動かず」。明治政府の『国家神道』強制の方法は、見事にこの三つの法則にかなっている。

読まれるとおり、『教育勅語』は、天皇が市民に守るべき『徳目』を教え、臣民はありがたくそれを押し戴くという構図で成立している。下村前文部科学大臣が立派な道徳的徳目が含まれており、一概に否定できないなどと、一見もっともらしい理屈をほざいていたが、その本質は、主人から奴隷に与えられる『道徳』でしかない。

羽仁五郎氏は、「教育というものは自由でなければいけない。教育と権力はあいいれない。つまり命令されて人間はいい人間になれるわけがない。自分でなろうとしなければだめだ。上から命令すればするほど自発性はなくなっていく。教育の根本はその自発性なのだ。」と述べているが、その通りである。

しかし、このような正当な批判だけでは、『教育勅語』の危険性は語りつくせない。上記に書いたように、明治政府の狙った『国家神道』国家の危険性を理解して初めて『教育勅語の』危険性の包括的批判ができると思う。

「護憲+コラム」より
流水
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日米首脳電話会談の内容は?

2017-04-09 22:58:57 | 安全・外交
4月9日午前10時頃、安倍首相が「トランプ米大統領と先ほど45分間くらい電話会談を行った」と記者団に喋っている映像がテレビで報道されていた。

会談の詳細は明らかにされていないが、北朝鮮問題が主要議題であることは容易に想像できる。これまで米国トランプ大統領は北朝鮮問題についてあらゆる選択肢を排除せず、単独行動も採ると述べて居るだけに、不気味である。

仮に電話会談で米国が北朝鮮を攻撃する意思表明があったのであれば、安倍首相は何と言ったのだろうか。あくまで武力行使に反対し、話し合いで解決すべき、と進言してしていないとすれば、攻撃容認である。その責任の重さは総理大臣として戦後最大であろう。

北朝鮮は先のロケット4連発実験の際、在日米軍も攻撃対象にしていると言っているだけに、日本に何十発のノドンミサイルが飛んでくるやも知れない。在日米軍だけでなく50基の原発も狙われているかも解らぬ。しかしその攻撃の可能性と命中の確率は0~100%と幅が広く、実際にやってみないと誰にも解らない。

仮に安倍首相がトランプ大統領の強行手段を電話会談で容認したのであれば、安倍首相は上記の可能性も確率0%と見ているのではないだろうか。随分能天気なことである。

日頃『国民の生命と財産を護る』と言ってきたことは嘘であったと言うことにもなる。米国の国益のために日本が犠牲にされるとすれば、随分不合理であり、阿呆な首相を戴いたものである。

だが、まだ間に合う。トランプ大統領に日本国民の生命と財産を護るため、『武力行使反対』を告げ、話し合いを進言すべきである。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔
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「本末転倒」の安倍法律群

2017-04-09 11:32:35 | 安倍内閣
「カジノ法」から「共謀罪」まで、現憲法破壊法令のオンパレードで、想起される為政者がいる。江戸初期に悪名を馳せた犬公方五代将軍徳川綱吉である。

吉村昭氏の著書でその時の顛末が書いてあったので紹介しよう。
 
ある時、長屋に住んでいた大工かなにかの男が夏の日に涼んでいたが、蚊が来て顔に止まった。そこでぴっしゃり。すると外から見ていた者あり。その者が奉行所に密告したものだから男は生類憐みの令でさっそく奉行所に拘束されたという。
 
こうした法令の行き過ぎに頭を悩ませたのは、誰あろう「時の副将軍」の(これはテレビの間違いだが)水戸光圀であった。江戸城に赴きこのような行き過ぎを諌めたという。

それから300年以上の現代、安倍を諌める政治家は不在である。あの当然のことを言った記者に激怒して「出て行け」と怒鳴る大臣まで現れる始末である。

そして、安倍が理想とする明治国家も禁止していた「カジノ法」を国会通過させ、今度は生類憐みの令を超える「共謀罪」を制定しようと企んでいる。これは治安維持法よりも多分酷い法令になるであろう。治安維持法でも「単なる会話」だけで処罰できるとは言えないと思われるからだ。

安倍氏は明治時代ではなく江戸の徳川政権を本当は理想としているのではないだろうか。

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵


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10年前の石原慎太郎

2017-04-08 09:07:22 | マスコミ報道
最近、東京新聞の重要な記事が多すぎて読む時間が取れず、切り抜いたスクラップが過去モノとともに仕事場を占領し始めました。

そこで一念発起、古いスクラップから重要なものを抽出してPDF保管することに。すると、2007~2009年あたりで石原元都知事に関するスクラップの束を発見しました。「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎」という佐々淳行さんのキャッチコピーが功を奏して再選された石原さん。

都議会の百条委員会ではボケ老人のふりで誤魔化そうとした石原さんですが、当時は東京新聞が「石原都知事・会見ファイル」という小さなコラムをこまめに掲載していました。

これらを少し読むと、石原都知事は週に2~3日しか登庁せず、副知事に任命した浜渦さんが代行として恐怖政治をしいていたことが含まれています。問題視された浜渦さんの免職や公私混同。厚遇した四男の処理に際しては「余人をもって代え難い人材だった」と捨て台詞。自分はラクして好きな事できるわ、末っ子はカワイイわ、好き放題・勝手放題な振る舞いでした。

要するに当時、石原慎太郎さんは東京都が尖閣諸島を購入すること、芸術家・四男の重用、日本の最南端領土・沖ノ鳥島視察など好きな事には熱心で、豊洲移転などの重要なことは「これでいい、文句をいわせるな」「都合が悪い事は水面下でやれ」と一声で他人任せだったと推察されます。

そのワンマン体制のツケが今、石原慎太郎自身に回ってきたと言えます。「逃げも隠れもしない」と言いつつ逃げ回るんじゃないよ、みっともない男だ!

今後、2007~2009あたりの東京新聞の記事をアップしていきます。当時のリアルな報道が現在どのように影響しているか、深刻になっているか、とてもよくわかるので。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助
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何が「ゼロ」?いいえ、満額です

2017-04-07 09:32:15 | 自民党政治
森友学園問題で安倍首相から籠池理事長側が百万円もらったか否か、名誉校長講演の御礼に安倍夫人が十万円もらったか否か。それを総理大臣が国会で「悪魔の証明」と言い切る下品さはともかく、貴重な国会運営の時間・税金を浪費している場合じゃない!・・・という幕引き論もわかりますがねぇ。

そして、さらなる追及を「北朝鮮の弾道ミサイル危機」にすり替え、誤魔化そうとするキモチもわかりますがねぇ。

だけど、アッシが絶対に追及しなきゃなんねぇと思うのが「役人の忖度」ですよ!「個人的な利益目的で口利きし、忖度されても違法じゃない」と言い切る政治家は、即刻辞任すべしでしょ。

戦前復古調の神の国、天皇の子、滅私奉公、家長制度等々の政治的思想を「個人的に好む」安倍晋三・昭恵夫妻が「内閣総理大臣」の肩書で森友学園に肩入れしていたんだよねぇ?

その籠池夫妻が安倍夫人にFAXで具体的に要求した。
⇒首相夫人秘書が当該官僚へ問い合わせた。
⇒あり得ない手順で秘密裏に、あり得ない金額で国有地が売却された。
⇒真っ当な資金計画もないのに「認可ありき」で学校設立が認可された。

これの、どこが「ゼロ回答」ですか、満額回答でしょう?ネコでもわかる時系列を「私は関与していない。忖度などあり得ない」と目をひん剥いて力説する安倍晋三さん、アナタは家に帰って夫婦で教育勅語を噛みしめて寝てなさい。歯が丈夫になるから!

目には目を、歯には歯を、って言うでしょ。意味が違う?・・・これは手違いだ。テケテン、テケテン・・・

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
猫家五六助
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安倍(第一次)⇒野田⇒安倍(第二次)の腐り方

2017-04-07 09:28:58 | 安倍内閣
国政選挙の圧勝により2009年7月21日から約3年間、民主党が政権を担当しました。事業仕分けなどに奮闘したものの、下野した自民党からは上げ足をとられて自信のない政権運営の末、末期の野田さんがやったことは「第2自民党」的な政治でした。

その反動が現在の安倍政権を独善的にさせていることは明白です。民進党へ看板を変えようが、中身は相変わらず第2自民党。森友学園問題で「忖度の是非」を深追いすれば自分たちも足元すくわれるから、自然と追及が甘くなる。独自政党のポリシーなどなく、左右から寄せ集めた政党だから意思統一ができないはずです。

政治的ポリシーが大きく変わらない共産党が、素晴らしく見えます。そういえば、「緑の党」は何処でどうなっているのかしらん?

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助
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