1980年代に始まる新自由主義の政治経済政策、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、そして日本の中曽根政権。これらの政策は国営事業の民営化、社会福祉の切り捨て、そして労働組合の解体政策などという一連の政策から成り立っていた。これらの政策の根底にある経済原理は市場原理主義である。それまでのケインズ主義政策と福祉国家理念の放棄が至上命令になったわけである。
その20年後、アメリカのブッシュジュニア政権と日本の小泉政権では、規制緩和政策と労働市場における非正規労働者の大幅な増大と正規社員の減少というあからさまな弱者切り捨て政策が現実化した。格差社会が明確化して、現在も歯止めが掛かっていない。
アベノミクスに象徴される安倍政権では、富裕層と大企業への有利な政策がそれまで以上に増大し、労働政策での規制緩和は強化されている。また、憲法の改悪も来るところまで来ている。
こうした新自由主義の跋扈と台頭の真相究明は、日本の学問的な分析は場当たり的であって、機能不全に陥っている。なぜなら新自由主義:グローバリズムという短絡的な視点では真相は一向に明らかにならないからである。「グローバリズム」という用語も実は何も説明していない同義反復的な言葉である。
グローバリズムという言葉を歴史的に見直せば、1980年代から明らかになった「近代世界システム」という視点が重要な分析概念であるだろう。
これまでの歴史は各国民国家単位の歴史を叙述してきたが、近代になってからは世界史という国家単位の歴史を越えた緊密な連関が成立してきた。それは西欧と西欧に植民地として繰りこまれた地域との結びつきであり、西欧諸国にしても植民地の拡大を巡る競争(戦争を含む)的な関係が成立したのである。
そして、植民地であった地域の独立がなされた第2次世界大戦後は近代世界システムは終わったかのように見えたが、現実は超大国(当時のソ連とアメリカ)の冷戦構造という形で残ったのであり、冷戦構造の終焉後も「近代世界システム」は未だ健全であり、継続中なのである。
これがグローバリズムの歴史を貫通する真の正体である。
各国民国家(インナーシステムという)の経済にしても、格差社会はアメリカのように不変であるか、日本のように格差社会が復活してしまった国もある。アメリカのウォール街を席巻したデモでも話題になったように、国内でも国民国家を超えた外部でも「世界は1%の富裕層と99%の低所得層との戦いの場になっている」ということである。
この状況がなぜ生じたのか。新自由主義という著書もあるデビット・ハーベイによれば、ケインズ政策などがが功を奏した時代に富裕層が失った財産が厖大であったので、彼らは政府に働きかけで失地回復を狙い金持ち優遇策などを実現し、再びパワーを得たというのである。
また、別の著書の「ショックドクトリン」という本では新自由主義の経済学者が実際にアメリカのCIAを動かして中南米などに乗り込み、従来の経済活動を崩壊させる経済計画を立ち上げて、その国の経済を破綻に導いたというのである。信じがたい事例であるが、1973年のチリにおける軍事クーデタはこのショックドクトリンのなせる技であるという。
こうして、新自由主義・グローバリズム・近代世界システムというある意味で暴力的な政策の台頭は、多くの格差社会の両極の反対側に位置する貧困層をますますより以上の貧困へと突き落とす状況を作り出している。
現在安保法制の成立が問題になっているが、アメリカのここ50年を見れば分かるように、集団的自衛権で戦争の最前線に出向く若者の多くは貧困層やアメリカ国籍も有していない人たちであった。日本も労働社会から排除されている非正規労働者の底辺部から海外の紛争地域へと送り出される日は近いと言わねばならないだろう。
(補論)
上記の書き込みでは市場原理主義とその帰結の一つである金融自由化や現在のTPPに代表される国際的な貿易取り決めや組織の問題に触れることができなかった。そこで参考文献を提示する。
①デビット・ハーベイ「新自由主義」
②ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」上下巻
③{共同研究}「近代世界システムと新自由主義グローバリズム」
④ジョバンニ・アリギ「長い20世紀」
「護憲+コラム」より
名無しの探偵
その20年後、アメリカのブッシュジュニア政権と日本の小泉政権では、規制緩和政策と労働市場における非正規労働者の大幅な増大と正規社員の減少というあからさまな弱者切り捨て政策が現実化した。格差社会が明確化して、現在も歯止めが掛かっていない。
アベノミクスに象徴される安倍政権では、富裕層と大企業への有利な政策がそれまで以上に増大し、労働政策での規制緩和は強化されている。また、憲法の改悪も来るところまで来ている。
こうした新自由主義の跋扈と台頭の真相究明は、日本の学問的な分析は場当たり的であって、機能不全に陥っている。なぜなら新自由主義:グローバリズムという短絡的な視点では真相は一向に明らかにならないからである。「グローバリズム」という用語も実は何も説明していない同義反復的な言葉である。
グローバリズムという言葉を歴史的に見直せば、1980年代から明らかになった「近代世界システム」という視点が重要な分析概念であるだろう。
これまでの歴史は各国民国家単位の歴史を叙述してきたが、近代になってからは世界史という国家単位の歴史を越えた緊密な連関が成立してきた。それは西欧と西欧に植民地として繰りこまれた地域との結びつきであり、西欧諸国にしても植民地の拡大を巡る競争(戦争を含む)的な関係が成立したのである。
そして、植民地であった地域の独立がなされた第2次世界大戦後は近代世界システムは終わったかのように見えたが、現実は超大国(当時のソ連とアメリカ)の冷戦構造という形で残ったのであり、冷戦構造の終焉後も「近代世界システム」は未だ健全であり、継続中なのである。
これがグローバリズムの歴史を貫通する真の正体である。
各国民国家(インナーシステムという)の経済にしても、格差社会はアメリカのように不変であるか、日本のように格差社会が復活してしまった国もある。アメリカのウォール街を席巻したデモでも話題になったように、国内でも国民国家を超えた外部でも「世界は1%の富裕層と99%の低所得層との戦いの場になっている」ということである。
この状況がなぜ生じたのか。新自由主義という著書もあるデビット・ハーベイによれば、ケインズ政策などがが功を奏した時代に富裕層が失った財産が厖大であったので、彼らは政府に働きかけで失地回復を狙い金持ち優遇策などを実現し、再びパワーを得たというのである。
また、別の著書の「ショックドクトリン」という本では新自由主義の経済学者が実際にアメリカのCIAを動かして中南米などに乗り込み、従来の経済活動を崩壊させる経済計画を立ち上げて、その国の経済を破綻に導いたというのである。信じがたい事例であるが、1973年のチリにおける軍事クーデタはこのショックドクトリンのなせる技であるという。
こうして、新自由主義・グローバリズム・近代世界システムというある意味で暴力的な政策の台頭は、多くの格差社会の両極の反対側に位置する貧困層をますますより以上の貧困へと突き落とす状況を作り出している。
現在安保法制の成立が問題になっているが、アメリカのここ50年を見れば分かるように、集団的自衛権で戦争の最前線に出向く若者の多くは貧困層やアメリカ国籍も有していない人たちであった。日本も労働社会から排除されている非正規労働者の底辺部から海外の紛争地域へと送り出される日は近いと言わねばならないだろう。
(補論)
上記の書き込みでは市場原理主義とその帰結の一つである金融自由化や現在のTPPに代表される国際的な貿易取り決めや組織の問題に触れることができなかった。そこで参考文献を提示する。
①デビット・ハーベイ「新自由主義」
②ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」上下巻
③{共同研究}「近代世界システムと新自由主義グローバリズム」
④ジョバンニ・アリギ「長い20世紀」
「護憲+コラム」より
名無しの探偵