老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「昭和という国家」(司馬遼太郎・NHK出版)

2010-08-23 09:26:11 | 戦争・平和
8月になると、テレビも新聞も戦争について特集を組み、戦争体験談に直接、間接に接する機会が増えますが、当時の話を聞けば聞くほど、一体あの戦争は何だったのか、なぜあの戦争は始まり、なぜ何時までもずるずると引き摺り、国民に無用な犠牲を強いることになったのかを、自分なりに理解したいという気持ちが強まっていきました。

そんな折、たまたま手にしたのが「昭和という国家」という本です。これは、1986年5月から1987年2月にかけて放送された、NHK ETVの『雑談「昭和」への道』という番組で司馬遼太郎氏が語った話を整理・構成して出版されたもので、敗戦にショックを受けた司馬氏が、太平洋戦争という「馬鹿な戦争をやった人間が不思議でならない」と感じ、その不思議の謎を、当事軍部にいた人たちへの取材や自身の歴史観、社会観、言語に対する認識などを駆使して解明しようとした、渾身の内容となっています。

著書の中で、司馬氏は以下のように語ります。

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あの「下らない」戦争に突入した究極の要因は、昭和10年から20年にかけて、日本が「統帥権」によって軍部に支配、占領されたことにある。明治憲法も立法、行政、司法の三権分立を基本に掲げているのに、昭和に入って、三権の上の超越的な権力として、統帥権という「インチキの理論」が出てきて、軍参謀本部がそれを握り、「帷幄上奏権」なるもので天皇をも巻き込み、日本国民を統治・支配することになった。

軍とは元来、社会における思想のバラエティを嫌う性癖、性向がある。国家の用心棒に徹している間はそれで良いが、昭和初期からは軍が国家の主人になってしまい、彼らの思想で国家を統一しようとした。こうして満州事変を意図的に起こし、それからわずか10年後には太平洋戦争という滅亡への戦争に突き進むことになった。

骨董品のような兵器しか持たず、食料の確保もおぼつかない状態で、絶対に勝ち目がない戦いに挑むというのは、今では信じがたいことだが、士官学校や陸軍大学校という閉鎖社会で秀才教育を施された当時の軍人達には、リアリティを見る合理性や自分を相対化する力が決定的に欠けていた。そして自己を絶対化し、教育勅語や軍人勅諭を利用した空疎な言語の魔術を使って国民を誘導し、さらに国家総動員法によって、国家そのものを、一市民にいたるまで軍人に準ずるような扱いにして、日本という国を戦争に導いた。

一方で、日本は官僚国家であり、国を戦争に導いた軍参謀本部も、その組織あるいはポストが思想を持っていたのであって、その椅子にだれが座ろうとも、その椅子の思想で振る舞い、ものを言っていたに過ぎない。その意味で独裁者なき独裁国家だった。その結果、責任を取るべき人物を特定できないまま、無用な惨禍を重ねた揚句にようやく敗戦の日を迎えることになった。だれが悪いということを言えない昭和史のいらだち、昭和元年から20年までの歴史を見るときの、えもいわれぬいらだちの一つは、そこにある。
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司馬氏の指摘する、官僚組織がもたらす弊害は、戦後の今も現存していることを、私たちも日々「いらだち」と共に感じています。また、マスコミ等を通して流される「空疎な言葉の魔術」に、今もなお私たちは踊らされがちだという現実は、多くの人が指摘するところです。

それでも、戦争の悲惨を肌で感じ、立憲国家の重さを知った人たちが、それを語り次世代に引き継いでいく限り、憲法を無視した理不尽な政治家や官僚組織の暴走に対して、私たちはもう決して唯々諾々と従うことはないでしょう。

司馬遼太郎氏は、小説家であって厳密さを求められる歴史家ではないとは、しばしば言われることですが、昭和初期から戦争に進んだ「昭和という国家」に対する司馬氏の歴史認識や国家批判は、あの戦争で何があったのかを理解する上でも、今とこれからの日本のあり方を考える上でも学ぶことが多く、充分に読む価値があると、私は感じました。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽」より
笹井明子
コメント
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