老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

戦時体験者の話を聞いて

2010-08-19 16:54:26 | 戦争・平和
先日、数年前に脳梗塞で倒れて自宅療養中の友人Aさん宅へ、彼と同年齢の友人Bさんと共に見舞いに行きました。Aさんは少々言語障害が残っていましたが、昔の写真や資料を見ながら歓談するなど、まずまずの回復状態。

そんな雑談を傍らで聞いていた彼のお母様(S4年生まれ)とも話が盛り上がり、私の父と同年齢だとわかりました。すると、お母様から「ねえ、あなたのお父さん。学徒動員とか行かなかった?」と聞かれました。

私が「父は、立川飛行機で爆撃機のリベット打ちをしていました。あと一年、戦争が続いていたら戦死していたそうです」と告げると、「私はね、狛江市にあった機械メーカーで働かされたの。旋盤やフライス盤を使って部品を作って・・・とてもイヤな思いをしてねえ」と話してくれました。

短い話から推察すると、工作機械の扱いなど初めてであろう女学生に現場の職工が辛く厳しく当たり、怒鳴られたり暴力を振るわれながら一日中働かされていたようです。この思い出話を聞き、戦争末期の粗悪な金属材料、そして急場しのぎの素人起用による加工精度の悪い部品が日本軍の兵器の品質低下を招き、戦死者を増やす要因の一つになったという文献を思い出しました。

もちろん、Aさんのお母様が責めを負う立場ではありません。精神論や無責任・無謀な作戦で大勢の熟練兵・熟練技術者を戦死させ、素人に無理やり兵器製造をさせ、新兵・若年兵を「死」を前提として戦場へ駆り立てた、当時の軍部・国の指導者が明確に過ちを認め、過去を引き継いだ日本政府が継続して謝罪しなければなりません。

しかし、残念ながら当時過ちを犯した軍属・権力者、その後継者は現在も日本の政治・経済の中で地位や利権を温存しているように思います。実は同行したBさんから、彼の父親(故人、大正生まれ)が生体実験で悪名高い731部隊にいたと聞かされました。

Bさんの父は社会人になってすぐに中国戦線へ従軍させられ、復員後は某製薬会社で研究開発を続けていたそうです。戦友も製薬・薬品関連の仕事についた方が多かったとか。

Bさんの父は退職後、戦時中の足跡をたどるために中国を旅したそうです。Bさんは現在も遺品(戦時中の写真やフィルム)を捨てられずに保管しているというので、一度見せてもらおうかと思っています。しかし、Bさんは優しい人なので、父親の知人・関係者が鬼籍に入るまでは難しいかもしれませんね。

以上のような話を聞くと、「負の遺産」も「悪行」もフタをしたまま企業(財閥系?)という組織は利権を温存し、利益を上げて現在もテレビCMを流しているのか、と考えてしまいいます。「喉元過ぎれば・・・」「過ぎたことは言わない」が日本人の美徳として作用するならば今後、国民の権益ではなく一部の政治家・企業の権益を守るために再び戦争が起きてもおかしくないな、と・・・怖いですね。

私は「あの過ちを繰り返さない、あの記憶を風化させない」という東京新聞の報道姿勢を支持しています。そして、過去の過ちを故意に消し去り、「日本人は悪くなかった」「日本はいつまで自虐的なの?」という輩には過去記事を突きつけたい思いです。

「護憲+BBS」「戦争中のこと」より
猫家五六助
コメント (2)
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