私が小学生の頃「いじめ」の対象になったのはクラスにいた障害児の子どもでした。ある日その子が持って来たお弁当(この日は何故か給食がなくてお弁当を持って来ていた)が「くさい」と隣の席の女子が騒ぎだし、みな「くせえ」「くせえ」の大合唱になりました。先生はその子を1人だけみなから離してお弁当を食べさせました。
それでも「くさい」「くさい」と騒ぐ子に向って「うるさい!静かにしろ!」と怒鳴りその子の机を蹴りました。この先生は子ども達がうるさいのを極度に嫌う先生でした。ちなみにこの人は女性の教師でした。
その他体育も鉄棒なんかも、一生懸命やっても出来ない子ども(私とか)はみなの前で何度もやらされました。出来ない子ども達は失敗するとみなに笑われ中にはまねする子もいました。先生はそんな子ども達を注意するでもなく、出来ない子は努力が足りないというスタンスで何度でもやらせました。それ以来私は体育が嫌いになりました。
中学の先生は強権的な人が多かったような気がします。担任の日本史の先生は宿題を忘れたり、問題が解けなかったりすると生徒を殴りました。スリッパで男子の頬を叩き女子の頭を拳骨で殴りました。殴る直前ニヤニヤ笑うので「あ、殴るな」と皆すぐ分かりました。その顔で笑いながら生徒を殴りました。噂では酒乱の気があり、奥さんにも逃げられたらしいと子ども同士で話をしていました。
図形の担当の先生は「スカットさわやか、コカ・コーラ」と言って生徒の頭を腕で押さえて脳天を拳骨で苦グリグリやりました。私も一度やられた事がありますがあんまり痛くなかったのを覚えています。国語の女の先生は宿題を忘れた生徒のもみ上げを引っ張るのが得意でした。一度やられた友人は涙が出る程痛かったと言っていました。
だからと言って親に言って校長先生や教育委員会に訴える親はいませんでした。良い時代だった、とは思いません。障害を持っている子にしてもその他の子ども達も我慢を強いられていた時代だったのだろうと思います。大人達の会話の中で平気で「かたわ」などという言葉が出てきた時代でしたから。
先生が強くて怖い分、子供同士の中には不思議な連帯感が生まれました。皆で授業をボイコットしょうという動きがあり、実行しましたが、もっと怖い先生が出て来て参加した子ども達は、さんざん殴られお弁当も食べさせてもらえず「二度とこのようなことはしません」と誓わされて夕方遅く解放されました。
息苦しい中学時代が終わった時には解放感で一杯でした。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
パンドラ
それでも「くさい」「くさい」と騒ぐ子に向って「うるさい!静かにしろ!」と怒鳴りその子の机を蹴りました。この先生は子ども達がうるさいのを極度に嫌う先生でした。ちなみにこの人は女性の教師でした。
その他体育も鉄棒なんかも、一生懸命やっても出来ない子ども(私とか)はみなの前で何度もやらされました。出来ない子ども達は失敗するとみなに笑われ中にはまねする子もいました。先生はそんな子ども達を注意するでもなく、出来ない子は努力が足りないというスタンスで何度でもやらせました。それ以来私は体育が嫌いになりました。
中学の先生は強権的な人が多かったような気がします。担任の日本史の先生は宿題を忘れたり、問題が解けなかったりすると生徒を殴りました。スリッパで男子の頬を叩き女子の頭を拳骨で殴りました。殴る直前ニヤニヤ笑うので「あ、殴るな」と皆すぐ分かりました。その顔で笑いながら生徒を殴りました。噂では酒乱の気があり、奥さんにも逃げられたらしいと子ども同士で話をしていました。
図形の担当の先生は「スカットさわやか、コカ・コーラ」と言って生徒の頭を腕で押さえて脳天を拳骨で苦グリグリやりました。私も一度やられた事がありますがあんまり痛くなかったのを覚えています。国語の女の先生は宿題を忘れた生徒のもみ上げを引っ張るのが得意でした。一度やられた友人は涙が出る程痛かったと言っていました。
だからと言って親に言って校長先生や教育委員会に訴える親はいませんでした。良い時代だった、とは思いません。障害を持っている子にしてもその他の子ども達も我慢を強いられていた時代だったのだろうと思います。大人達の会話の中で平気で「かたわ」などという言葉が出てきた時代でしたから。
先生が強くて怖い分、子供同士の中には不思議な連帯感が生まれました。皆で授業をボイコットしょうという動きがあり、実行しましたが、もっと怖い先生が出て来て参加した子ども達は、さんざん殴られお弁当も食べさせてもらえず「二度とこのようなことはしません」と誓わされて夕方遅く解放されました。
息苦しい中学時代が終わった時には解放感で一杯でした。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
パンドラ
