70年代にフランスの映画監督が上記のタイトルで撮った映画でしたが、その意味は昼間の撮影なのに夜間のシーンを技術的に作り出す映画技法のことです。(フランソア・トリュフォー監督、この映画の主演女優ジャクリーン・ビセットと監督は愛人関係だったと言われている。)
「アメリカの夜」という映画技法から連想されるアメリカの軍事政策;外交政策の基本的なパターンは、軍事政策を具体的に実現するための大義名分として、「仮想敵国」の創造が最初のシナリオなのではないか、という仮説(私の推論ですが)です。
ソ連が仮想敵国だったことは周知の事実ですが、ソ連が崩壊して冷戦構造がなくなってしまうと、アメリカ軍産複合体は軍事政策を維持・継続するためには次の標的を発見しなければなりませんでした。
それが中国だったのでないか。この仮説がふと浮かんだのは「デモクラシーナウ」という独立メディアの放送を観ていたら、メディアの主催者エイミーとナオミ・クラインの会話の中に、アメリカの中国への武器輸出の問題が取りざたされていたからでした。
「アメリカの夜」というタイトルから連想されることは、アメリカの軍事政策が「戦争のための戦争」を、フィクションともども演出しているのでないかという疑念です。
ナオミ・クラインの書いた「ショック・ドクトリン」(岩波書店刊行)を読むと、チリでのクーデタはアメリカの経済学者(シカゴ学派)がCIAを焚きつけて行った偽装の反乱であることを暴き出しています。
火事場泥棒の経済政策と翻訳されていますが、「仮想敵国」という演出技術も「ショック・ドクトリン」の延長線上に求めることができるのではないでしょうか。
「集団的自衛権」という矛盾した戦争正当化手法も、アメリカの傀儡政権に成り果てた安倍政権が採用する戦争技法なのではないか、という疑念が湧いてきました。
「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵
「アメリカの夜」という映画技法から連想されるアメリカの軍事政策;外交政策の基本的なパターンは、軍事政策を具体的に実現するための大義名分として、「仮想敵国」の創造が最初のシナリオなのではないか、という仮説(私の推論ですが)です。
ソ連が仮想敵国だったことは周知の事実ですが、ソ連が崩壊して冷戦構造がなくなってしまうと、アメリカ軍産複合体は軍事政策を維持・継続するためには次の標的を発見しなければなりませんでした。
それが中国だったのでないか。この仮説がふと浮かんだのは「デモクラシーナウ」という独立メディアの放送を観ていたら、メディアの主催者エイミーとナオミ・クラインの会話の中に、アメリカの中国への武器輸出の問題が取りざたされていたからでした。
「アメリカの夜」というタイトルから連想されることは、アメリカの軍事政策が「戦争のための戦争」を、フィクションともども演出しているのでないかという疑念です。
ナオミ・クラインの書いた「ショック・ドクトリン」(岩波書店刊行)を読むと、チリでのクーデタはアメリカの経済学者(シカゴ学派)がCIAを焚きつけて行った偽装の反乱であることを暴き出しています。
火事場泥棒の経済政策と翻訳されていますが、「仮想敵国」という演出技術も「ショック・ドクトリン」の延長線上に求めることができるのではないでしょうか。
「集団的自衛権」という矛盾した戦争正当化手法も、アメリカの傀儡政権に成り果てた安倍政権が採用する戦争技法なのではないか、という疑念が湧いてきました。
「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵
