島村宜伸名誉会長曰く「かつての自民党では、二つにわかれて議論することはあったが、党を追い出すことはなかったし、ましてそこに刺客を向けるようなやり方はなかった」
昔のことはよく覚えていない――まだ20世紀の頃はあまり政治に興味はなく、ただただ大学での研究に明け暮れており、今のように政治家の言動を追いかけるようなことはしてきませんでした。だからかつての自民党に関する記憶は曖昧で、島村氏の発言が何処まで信用できるのかはわかりません。ただ間違いないのは、かつての自民党は今よりもずっと派閥の力が強く、その派閥の間で意見が分かれることもしばしばであり、その異なった意見を調整しながらやってきた、話し合いで解決しながら政権を維持してきたのではないでしょうか。結果的に得られた結論が正しかったかどうかは疑問ですが、異なる意見をぶつけ合い、議論を戦わせて合意を探る、こういうやり方は議会制民主主義の国家にふさわしいものでした。
「自民党をぶっ壊す」小泉総理はこう言って喝采を浴びました。そして始まったのが自民党内部での粛正人事、相手が自分の意見に従わないと見るや党から追放、選挙区に刺客を送り込み、相手の政治家生命を奪おうと試みました。そうして派閥対立、意見の対立のない中央集権型の自民党を作り上げました。意見をぶつけ合う、話し合って合意を探るという「古い」政治手法から、対立意見を抵抗勢力と位置づけて徹底的に排除する政治手法へと転換が行われたわけです。そして反対意見を全て封殺し、いわゆる「構造改革」を実行に移しました。
ロシアではイヴァン4世、ヨシフ・スターリンがこのタイプに該当します。イヴァン4世の時代は門閥貴族の勢力、発言力が強く、皇帝は貴族集団の中のリーダー格に過ぎませんでした。そこでイヴァン4世は対立する貴族達を徹底的に殲滅し、ロシアを「統一」して中央集権国家を築きました。そしてスターリンもまた、トロツキー等スターリン以外にも有力者が多数いて党の方針も揺れ動く中、対立する党員を片っ端から粛正、そうして抵抗勢力を排除したスターリンは5ヶ年計画を成し遂げ、ソ連を強国へと引き揚げました。どちらも教科書レベルの歴史書では残忍な人物として語られますが、意外に国民レベルでは人気があるようです。
西川京子氏らが涙ながらに抗議し、退席する一幕があった。
いわゆる刺客候補、「刺客」と呼ばれたのはもちろん、今回が初めてのことではありません。立候補時から「刺客」と呼ばれマスコミの前で浮かれていたのは誰だったでしょうか?
これを聞いた西川氏が「私たちは党の命令で、党のために戦った。~
西川氏に問いたい。君は己の思想を持った政治家なのか?
それともただ上官の命令に忠実な軍人なのか?