日米中韓の4か国中、日本の高校生は授業中に居眠りをする割合が最も高く、勉強しない生徒が最も多い――。
そんな実態が7日、文部科学省所管の教育研究機関による意識調査で明らかになった。
……というニュースがあるわけですが、見出しに感嘆符まで使って強調するほどのことなのでしょうか。どうも記者の私情が混ざっているように感じられてなりません。まぁ日本の高校生の居眠り率は高い方ですけれど、アメリカの高校生はおしゃべり、飲む食い、メールに読書とやりたい放題のようですし、妙に優等生的な回答の中国と比べればともかく、それほど気にするようなものでもないでしょう。しかるに法人税率とかでも似たようなところがありますが、不思議とアメリカではなく中国や韓国と比べたがる傾向があるみたいです。
残念ながら当該の調査、web上では概要までしか公開していないようです。調査概要はこちらのリンク先pdfにてが閲覧できますが、私が気になった辺りではこんなことが書かれています。
③ 好きな教師
好きな教師のタイプについて、中国では、教える内容のレベルの高さと指導の熱心さが評価される反面、冗談を言い合えるような教師は好まれない。アメリカでは、冗談を言い合えるような教師、知識の豊かな教師、指導に熱心な教師、えこひいきのない教師が好まれる。韓国と日本は、冗談を言い合えるような教師が最も好まれ、教育内容の高さや指導の熱心さはそれほど求められていない。⑥ 学校生活への評価
日本の高校生は、4カ国中最も学校生活を楽しいと答えているが、あまり誇りには感じていない。生活への張り合いは最も低い。選択科目を増やすことには消極的で、世の中で役に立つ勉強に関しては、4カ国中最低であった。⑧ 学校生活で大切なこと
日本では「部活動に熱中すること」「友達に好かれること」の肯定率が高い反面、「クラスのリーダーになること」「優れた先生に出会うこと」にあまり関心を示していない。アメリカと中国は、先生の指導に従うこと、受験科目を重点的に学習することで高い肯定率を示す。⑬ 成績に対する親の態度
子どもの成績に対する父親の関心が日本は際立って低い。母親の関心も4 カ国中、日本が最も低い。
……総じて日本は、学校で勉強することには重きを置いていないと言えそうです。指導熱心で教育内容の高い教師ではなく、友達になれる教師が好まれる。色々と勉強することには消極的だが学校生活は楽しい。受験勉強よりも部活動や友達作りが大事。親も成績にはそれほど関心がない。こういう環境でありながら学力テストではそこそこの成績を残しているのですから、日本の子どもは大したものだと思いますね。
ここのところ公立学校での教育と教育費についてふれてきた「風」だが、こんなメールをいただいた。
《高校授業料無償化について、わが家でも話題にしています》という女性の方から。女性にはこの4月から高校生になる子供がいるというが《今の公立中学は勉強を教えてもらっているというより、集団生活だけの勉強をしているように感じます》と不満を漏らす。
さらに《先生も塾で先に習っているものとして授業を進めているようで、いい加減だなあ、と感じることがたびたびありました》ともつづっている。
もちろん、すべての学校や先生がそうじゃないだろう。しかし、実際の教育現場でも同じような感想を持つ人がいるようだ。大阪府内の公立中学校に勤務する男性教員から、こんなご意見が寄せられた。
《塾などの教育費がかかるのは、学校が成り立っていないからだと思います》
この教員は《今の学校の現状は生徒指導に追われ、教材研究にかける時間もエネルギーもありません》と教員の抱える苦労を挙げつつ、《問題教員や公務員という立場にあぐらをかいている教員などもいる。公教育の復活こそが大切なことじゃないでしょうか》と、自分たちの側にも厳しい目を向けている。
これは中学の話ですけれど、なかなか痛いところを突いているのではないでしょうか。公教育の復活云々はさておき、「勉強を教えてもらっているというより、集団生活だけの勉強をしている」「生徒指導に追われ、教材研究にかける時間もエネルギーもありません」辺りは日本の教育の特徴であり問題でもある点を的確に指し示しているように思います。それは生徒のニーズに適う部分もあるのかも知れませんが、勉強するところという学校の本分がどこかに忘れられているフシもあるはずです(今や大学ですら就職予備校と化し、勉強するためではなく就職するための制度作りばかりが進められている有様ですし)。
公教育への信頼が崩れているため、保護者はこれらの出費を余儀なくされている面もあるのだろう。先に紹介したメールの女性はこうも書いていた。
《いっそ学校は昼までにして、後は塾で勉強する。その(塾の)補助をしてほしい》
例によって公教育への信頼云々は眉唾物ですけれど、挙げられた投稿者の要望は無理からぬところでもあります。学校が勉強する場所として機能していない(それが昔からのことであるのか、それとも近年に始まったことなのかは考えてみる必要がありそうですが)以上、どこか他に「勉強する場所」が求められるのは必然です。塾の補助はともかくとして、学校を塾のようにする、生徒指導や集団生活的な部分をそぎ落として、もっとシンプルに「勉強する場所」を作り直すことが検討されるべき段階にあるような気もします。とかく日本では「しっかり勉強してきた子」よりも「集団生活に適応力のある子」の方に社会的な需要がありそうですけれど、教育再生云々を言うなら「勉強する場所」が必要のはずです。
学力/学習意欲の国際比較は頻繁に行われる一方で、体力テストは国際比較がなく、過去のデータと比較するばかりなのはなぜかと、以前に書いたことがあります。なんとなく、不利な結果をほしがっている、つまり「説教するネタ」として都合の良い比較対象を探している気がしますね。厳罰化の流れと同じようなもので、叱りつけるのが目的化しているフシもありそうです。
日本と韓国が居眠りのポイントが高く出てますが、この二ヶ国は「積極的に発言する」の項目で共に10%代となっていて、中国米国から大きく離されています。
統計が正しいとすれば明らかな相関関係が見られるので、読売新聞の見出しは「居眠りを防ぐ、生徒参加型授業を」でないとおかしいはずです。
読売の発言からは、先生の話はどれだけつまらなくてもくだらなくても、一言一句漏らさず聴くこと、という歪んだ儒教的な精神性が垣間見えます。
一方で新聞記事の内容は「勉強しろ」
これはダブルバインドの詭弁じゃないでしょうか。
これが国民の一般意思だとしたら、現場が余りにも可哀そうです。
運動会の練習が体育の時間だけにされてるのなら別にいいのですが、実際には放課後や他の授業を潰してやったりもしてますしね。
こういったものを一気にスリム化して、その時間を習熟度別学習や遊び感覚でできる理科の実験の企画あたりに使えばもっとマシになるのではないかと思うのですが。
運動会に関しては団体演技をはじめ、子どもが楽しむためではなく「子どもが(見に来ている)親を楽しませるため」の側面が強すぎることにも違和感をおぼえます。
そうですね、逆にアメリカはおしゃべり、飲食、メールに読書そして「積極的に発言する」など「何か」をやっているから居眠りしないと考えられますので。そこで居眠りを問題視するなら、眠らせないための「何か」を考えなければならないところなのでしょうけれど、報道側も叱ることで満足しているのかも知れません。
>毛さん
私の通った小中学校もそうでしたね。特に運動会前の3ヶ月は、授業なんてそっちのけで整列とマスゲームの練習を繰り返していました。学校では勉強する時間をつぶして行事の準備に明け暮れているのに、学力云々と言われても無理な話です。会社/社会が望む「規律」ある子を育てるには今の教育でも良いのでしょうけれど……
小中学校時代の学校行事は苦痛以外の何物でもありませんでした。行事の度に、「家に帰って勉強したいか寝たい」気持ちがありました。
授業時間の確保を謳うなら「学校行事の準備に充てる時間の妥当性」を検証してからでも遅くはないでしょう。
それさえもしないで「夏休みや冬休みを短縮する」方向になりそうですが。
やはり集団生活の訓練みたいなのが最優先なのか、授業時間が足りないと言いつつ、その原因には踏み込まないケースばかりですよね。夏期/冬期休暇を短縮するのではなく、授業時間をつぶして学校行事の準備に当てることをやめれば、授業時間は確保できるはずですが、その辺はアンタッチャブルな領域なのでしょうか。
ただ日本では金八先生の影響が大きいのか教育能力より人格が重視されることが多いようですが。
フィンランドの教育に関しては色々と断片的に紹介されていますけれど、その辺ももっと知られて良さそうですね。実際、日本国内の教員からは生徒指導に追われて授業のために時間が割けないと悲鳴が上がっているのですから、その辺は「勉強を教える」ということに教員が専念できる環境作りも必要でしょう。でも、社会的なニーズは「人間的な何か」であって勉強は二の次なのでしょうね。
中学で教えていた内容の一部を小学生に教えるように指導要綱を改訂したことが理由にありました。
このおかげで夏期休暇の日数を削減したということですが、学校行事に関してはあまり変えていないようです。
「詰め込み教育への再転換」と言えば心地よく聞こえる人もいるでしょうが「教え方に方向性がなければ子供達がパンクするだけ」だと思います。