心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ブログ「最後の3行」

2014-05-25 09:12:47 | Weblog

 少し肌寒いけれども清々しい朝を迎えています。七十二候では「紅花栄(べにばなさかう)」といい、紅花が盛んに咲く意味のようですが、あいにく我が家の庭に紅花はありません。今日は、サンサーンスのクラリネットソナタ変ホ長調作品167を聴きながらPCに向かっています。
 昨秋、孫君と里山を散歩中に拾ったいくつかの木の実(種)を、2週間ほど前に土に戻しておきましたが、今朝、芽が出ているのに気づきました。いろんな種類があるので、どれがどれだか判りません。大きな葉っぱが出てきてから品種を特定することにいたしましょう。こんな悠長なお遊びが私は大好きです。小品盆栽でも始めましょうか。そんなことを考えながら、きのうは庭木の剪定に汗を流しました。無造作に伸びたケヤキやモミジ、月桂樹の枝を整理しました。これで愛犬ゴンタ爺さんの小屋のまわりが明るくなったような気がします。
 ところで、先週末、出雲の姉から昔懐かしい「笹巻」が届きました。竹の棒にお餅を付けて、それを笹の葉で蒔いたものですが、笹の殺菌効果もあってか昔から重宝がられた食べ物のようです。湯がいたあと、黄粉をまぶしていただくのがよろしいかと。昔ながらの食べ物が姿を消していくご時世です。今朝は慈しみながらいただきました。
 先週の半ばには、関西在住の高校同級生のメーリングリストで、仲間の一人が田舎に引っ越しをすることなったとの知らせがありました。昨年ご主人を亡くし、子供たちも巣立ったあと一人残された彼女、結局は生まれ故郷に終の棲家を求めたようです。最後はそこに行くか、ふと心の中で思ったものでした。私自身、大阪に40年近くもいて、なお自らの存在を「浮き草」と感じている。なにか共通するところがあるような気がしないでもありません。あまりにも辛いから送別会はしてほしくないと。どうかお幸せに。
 そんな土曜休日の昼下がり、庭仕事を終えて部屋に戻り、PCのスイッチを入れると、幾つかのメールが届いていました。いずれも職場関係のものばかり。それも深刻なものばかり。急に重苦しい気持ちになりました。気を取り戻して、冷静に、ひとつひとつ丁寧に返しましたが、組織文化に関わる問題だけに悩ましい限りです。目の前に競争相手が立ちはだかっているのに、こんな内向きなことで若い方々を落ち込ませて良いのか。ムラ社会の病んだ芽を早めに摘み取って、次世代にバトンタッチしたいものです。
 そうそう、先週は職場の仲間と一献傾けました。三者三様にそれぞれの職場で足跡を残す同士です。無意味に仕事場にいない同士です。私が大阪に戻って久しぶりに集まりました。その一人が、ひょんなことを言う。私のブログについて、「最後の3行」に注目しているのだと。淡々と綴っているけれども、最後の3行に不用意に私の心情が吐露されている?言われてみれば、そんな節がなくもありません。いくら自分を演じたところで、距離をおいて眺めると、どこかにその人の姿が透けて見える。お会いしたこともない方々のブログにおじゃまさせていただいて、その端々に、その方の豊かな人間性に触れることがある。それがバーチャルな世界に、ひとつの安らぎを与えてくれるのかもしれません。お題のことが一番最後になりましたが、ブログ「心の風景」も、開設から3,454日目を迎えています。

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