心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

現実と非現実の間(はざま)

2013-03-10 09:46:56 | Weblog
 きょうは薄い雲に覆われた日曜日ですが、これって黄砂のためかもしれません。遠くが霞んで見えます。太陽もぼんやりと浮かんで見えます。それでも連日、4月並みの暖かい日が続いていて、2週間前に植えたライラックの苗木も、枝先の蕾が大きく膨らんできました。春は着実に近づいています。

 この冬、私は狸さんの死骸に二度も出会いました。最初は交通事故でした。その次は原因不明で道端に横たわっていました。小さな森を道路が分断しているためでしょうか。食べ物が少ない冬のこと、行ったり来たりしているうちに遭遇したのでしょう。可哀そうなことをしました。
 これで狸さんに逢うことはないだろうと思っていましたが、昨夜、愛犬ゴンタと散歩の途中、小動物の気配を感じました。街灯の光を避けながら目を凝らすと、なんと2匹の子狸さんが飛び跳ねて遊んでいるではありませんか。私たちに気づいても逃げるでもなく、じっと見つめていました。手を差し伸べると、さすがにお隣の庭に逃げ込んでいきました。.....寒い冬を強かに生き抜いた狸さん。その元気な姿に安堵しました。

 話は変わりますが、きのうの朝日新聞に「大阪国際フェスティバルの歩み」が特集されていました。こけら落とし公演まで1カ月に迫ったこともあって、興味深く読んでいると、カラヤンとワイセンベルクのツーショット写真が目に留まりました。奇遇と言うべきか、先週のブログで紹介した来日コンサート時のものでした。
 ネットで調べると、時は1977年11月10日、木曜日の夜。演奏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤン、ピアノはアレクシス・ワイセンベルクでした。その日の第一部は「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番」でした。ワイセンベルクさんと一緒に聴いたのは第二部の「リヒャルト・シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》」でした。ラフマニノフの2番とばかり思っていましたが、LPのそれとごっちゃになって、曲目を勘違いしていたようです。
 1977年と言えば、就職して5年目です。その4月に広報部署に異動になり、8月には長女が生まれた年です。文章を書くのが苦手だった私が、いろいろ本を読み漁っていた頃です。鞄に入っていた新書「続・考える技術、書く技術」にワイセンベルクさんのサインをいただく。当時の私の姿がぼんやりと浮かんできそうです。

 ところで、隙間時間に読んでいた村上春樹の「海辺のカフカ」。先週、東京出張の新幹線の中で読み終えました。15歳のカフカ君、猫と会話ができた初老のナカタさん。トラック運転手だったホシノ君、本当は女性なのに男性の大島さん。15歳であり50歳でもある魅力的な女性の佐伯さん。どこまでが現実で、どこまでが非現実なのか。でも物語はどんどん先に進んでいく。これが村上春樹の世界です。
 村上春樹の読者の多くは若者なのだそうです。その作品を60代の私が読んでいる。どうなんでしょうね。昨年「1Q84」を手にして以来、長編小説の大半に目を通しました。特定の組織や団体とは一定の距離をおく村上春樹、そう言えばグレン・グールドもそうでした。いやいや南方熊楠だってそうです。そんな生き様への憧れのようなものが、私の中にあるのかもしれません。なによりも、私とほぼ同世代の作家が、15歳の少年の視点で物語を綴る。そんな純粋さって、歳をとっても失いたくないですね。4月には3年ぶりに長編小説がご登場のようです。

 今日は、ベートーヴェンのLP「ピアノ三重奏曲変ロ長調<大公>作品97」(1975年録音)をスーク・トリオの演奏で聴きながらのブログ更新でした。この曲、「海辺のカフカ」に登場するホシノ君が気に入っている曲でした。

 狸と人間の共生。村上春樹の物語。この世の中、現実と非現実の境界がわかりにくくなっています。だから始末が悪い。私たちは、何を見、何を考え、そして、どこに向かって生きようとしているのか。そこには、果てしない試練が待ち構えているとも言えるし、それに立ち向かう者の、ある種の強かさとリアリティが求めれれているとも言えます。
 あの「3.11」から2年が経とうとしています。
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