3月は陰暦で弥生と言います。草木がいよいよ生い茂る意味だとか。我が家の食卓には昨夜、フキノトウの天ぷらと菜の花のお漬物が並びました。食を通じて季節を味わう、これも楽しいものです。
今朝目覚めたときはうっすらと青空がのぞいていたのに、愛犬ゴンタとお散歩にでかけると曇り空に変わっていました。....今日は珍しく、高校生の頃によく聴いたセルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」を聴きながらのブログ更新です。選んだLPは、カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ピアノはアレクシス・ワイセンベルクです。
ワイセンベルクさんの演奏は、もうずいぶん前のことですが、大阪フェスティバルホールで同じ曲を聴きました。演奏が終わって小休止のあと、第二部の交響曲が始まる直前、隣の空席に静かに座る客。よく見ると、さきほど舞台で演奏していたワイセンベルクさんでした。口元に指を添えて「シー」という仕草です。びっくりしましたねぇ。コンサートが終わったあと、サインをお願いしました。今思えば失礼な話ですが、手元に紙がなかったので、鞄の中にあった板坂元著「続:考える技術・書く技術」(講談社現代新書)の表3にサインをお願いしました。私の万年筆を手に、笑顔で書いていただきました。私にとって初めてで最後のサインのおねだりでした。
ラフマニノフの曲を選んだのには訳があります。先週、庭の片隅に白いライラックの木を植えました。何年か前、映画『ラフマニノフ ある愛の調べ』を見て、なぜか白いライラックの花が印象に残っています。私には、ラフマニノフのように美しい女性からライラックの花束をいただくことはあり得ません(笑)。花木を植え付けるのに最適なこの時期、ホームセンターで1メートルほどに育った苗木を見つけました。
ところで先週末、私は縁あって高等学校の卒業式にご招待をいただきました。式場には、未だ初々しさの残る、そんな生徒たちが神妙な顔つきで座っています。卒業証書の授与、校長先生の式辞に続いて、在校生総代が送辞を述べ、卒業生総代が答辞を述べます。ここまでは定番ですが、答辞が終わると、急に卒業生全員が保護者席に向きを変え、総代の合図で「育てていただいて有難うございました」と。これにはカメラを手にした保護者の方々も感無量といったご様子でした。最後は校歌斉唱、次いで川嶋あい作詞作曲の「旅立ちの日に・・・」を一緒に歌います。目の前に座っていた女子生徒たちの目が潤んで見えました。久しぶりに素敵な卒業式を拝見しました。
私が高校を卒業したのは44年も前、1969年のことです。偶然の一致というべきか、ちょうどその日の夜、大阪・淀屋橋界隈で開かれた高校のクラス会に出席しました。在阪の仲間8人(男性5人、女性3人)が集まりました。新年会が遅れに遅れて開催に漕ぎ着けたものです。
御堂筋から少し横道に入ったところにあるお店ですから、三々五々、会社帰りの風情で仲間が集まってきます。リタイアを前に最後のお勤めに励む者、早々と第二の人生を歩いている者、孫の成長を楽しみにしている者など、様々です。その日の卒業式の模様を紹介すると、みんな44年前にタイムスリップしたようでした。
「○○さんは今どうしているの」「お正月に田舎に帰ったら、ばったり○○君に会った」「お米だけは今も田舎から取り寄せている」など、話題には事欠きません。高校を出て直ぐに就職する友人も多かった時代、御堂筋沿いの道修町の会社に就職した彼は、初め都会の喧騒に戸惑い道に迷って苦労したことなど面白おかしく話してくれました。頑張り屋の彼も今は執行役員です。
でも寄る年波には勝てません。最後はどうしても親の介護、自分の老後のことに話題が集中します。一線から退く時期もそう遠くない世代のこと、時間にゆとりが持てるようになったら皆で遠出をしよう、小旅行も企画しよう。意気投合しました。時空を越えて、昔と同じように会話が弾む、同級生ならではの絆の確かさを思ったものでした。成長期に、共に育った自然環境(場)が人の心を吸引するのでしょうか。
社会に巣立つ者いれば、絆を確かめ合う初老もいる。こうして人間の歴史は流れていくのでしょう。楽しい時間を過ごすことができました。
今朝目覚めたときはうっすらと青空がのぞいていたのに、愛犬ゴンタとお散歩にでかけると曇り空に変わっていました。....今日は珍しく、高校生の頃によく聴いたセルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」を聴きながらのブログ更新です。選んだLPは、カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ピアノはアレクシス・ワイセンベルクです。
ワイセンベルクさんの演奏は、もうずいぶん前のことですが、大阪フェスティバルホールで同じ曲を聴きました。演奏が終わって小休止のあと、第二部の交響曲が始まる直前、隣の空席に静かに座る客。よく見ると、さきほど舞台で演奏していたワイセンベルクさんでした。口元に指を添えて「シー」という仕草です。びっくりしましたねぇ。コンサートが終わったあと、サインをお願いしました。今思えば失礼な話ですが、手元に紙がなかったので、鞄の中にあった板坂元著「続:考える技術・書く技術」(講談社現代新書)の表3にサインをお願いしました。私の万年筆を手に、笑顔で書いていただきました。私にとって初めてで最後のサインのおねだりでした。
ラフマニノフの曲を選んだのには訳があります。先週、庭の片隅に白いライラックの木を植えました。何年か前、映画『ラフマニノフ ある愛の調べ』を見て、なぜか白いライラックの花が印象に残っています。私には、ラフマニノフのように美しい女性からライラックの花束をいただくことはあり得ません(笑)。花木を植え付けるのに最適なこの時期、ホームセンターで1メートルほどに育った苗木を見つけました。
ところで先週末、私は縁あって高等学校の卒業式にご招待をいただきました。式場には、未だ初々しさの残る、そんな生徒たちが神妙な顔つきで座っています。卒業証書の授与、校長先生の式辞に続いて、在校生総代が送辞を述べ、卒業生総代が答辞を述べます。ここまでは定番ですが、答辞が終わると、急に卒業生全員が保護者席に向きを変え、総代の合図で「育てていただいて有難うございました」と。これにはカメラを手にした保護者の方々も感無量といったご様子でした。最後は校歌斉唱、次いで川嶋あい作詞作曲の「旅立ちの日に・・・」を一緒に歌います。目の前に座っていた女子生徒たちの目が潤んで見えました。久しぶりに素敵な卒業式を拝見しました。
私が高校を卒業したのは44年も前、1969年のことです。偶然の一致というべきか、ちょうどその日の夜、大阪・淀屋橋界隈で開かれた高校のクラス会に出席しました。在阪の仲間8人(男性5人、女性3人)が集まりました。新年会が遅れに遅れて開催に漕ぎ着けたものです。
御堂筋から少し横道に入ったところにあるお店ですから、三々五々、会社帰りの風情で仲間が集まってきます。リタイアを前に最後のお勤めに励む者、早々と第二の人生を歩いている者、孫の成長を楽しみにしている者など、様々です。その日の卒業式の模様を紹介すると、みんな44年前にタイムスリップしたようでした。
「○○さんは今どうしているの」「お正月に田舎に帰ったら、ばったり○○君に会った」「お米だけは今も田舎から取り寄せている」など、話題には事欠きません。高校を出て直ぐに就職する友人も多かった時代、御堂筋沿いの道修町の会社に就職した彼は、初め都会の喧騒に戸惑い道に迷って苦労したことなど面白おかしく話してくれました。頑張り屋の彼も今は執行役員です。
でも寄る年波には勝てません。最後はどうしても親の介護、自分の老後のことに話題が集中します。一線から退く時期もそう遠くない世代のこと、時間にゆとりが持てるようになったら皆で遠出をしよう、小旅行も企画しよう。意気投合しました。時空を越えて、昔と同じように会話が弾む、同級生ならではの絆の確かさを思ったものでした。成長期に、共に育った自然環境(場)が人の心を吸引するのでしょうか。
社会に巣立つ者いれば、絆を確かめ合う初老もいる。こうして人間の歴史は流れていくのでしょう。楽しい時間を過ごすことができました。