心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

能楽や杉本文楽を楽しむお気軽な春

2014-02-02 00:06:04 | Weblog

 早いもので、あっという間に2月を迎えました。旧暦では、第72候(大寒・末候)「鶏始乳」(にわとりはじめてとやにつく)なのだとか。書物によれば、春の訪れを感じた鶏が卵を産み始める頃と言い、鶏は冬場には卵を産まないけれども、日照時間が長くなると産み始めるのだそうです。でも、田舎では冬場でも産んでいたような記憶がありますが、どうだったかなあ、もうずいぶん昔のことで忘れてしまいました。いずれにしても第72候をもって1年が終わり、旧正月を経て、いよいよ第1候(立春・諸侯)を迎えます。
 玄関先の水槽では、プラティ―が今年も出産時期に入りました。ヒーターで水温を管理しているので季節感はないはずなのに、毎年今頃の時期になると、それこそ沸いて出てくるようにお産まれになります。卵胎生と言って赤ちゃんの姿で産まれてきます。こんな細やかな変化に、季節の移り変わりに気づくのは楽しいものです。
 きょうの土曜休日は、久しぶりに近くに住む孫君たちがやってきて賑やかでした。お正月に会って以来ですが、もうすぐ2歳になる孫次男君、1カ月も会わないうちに、一段と成長のあとが伺えます。一方の孫長男君はずいぶんお兄ちゃんっぽくなりました。一人だけリュックを背負って泊まる準備です。今夜は、お祖父ちゃんお祖母ちゃんに甘えっぱなしでした。弟ができて自分の立ち位置を考える微妙な時期、成長するための心の準備が進行中のようです。8時過ぎにはご就寝になりました。
 さてさて、孫君が寝静まったあと、マイスキー奏でるバッハの「無伴奏チェロ組曲全集」をBGM代わりに、いつもより1日早いブログ更新に取り掛かりました。簡単に題材を整理して、まずはテキストベースで思いつくままに綴っていきます。きょうのお題は文楽と能楽に決まりです。
 週の初めに、親しくしている某社の社長さんから珍しくメールをいただきました。3月に大阪フェスティバルホールで杉本文楽「曽根崎心中」があるけど行かない?と。ちょうど、文楽協会の入場者数が大阪市が示した目標に達しなかったので補助金が減額になるという記事を見たばかりだったこともあり、家内と一緒で2枚申し込みました。
 杉本文楽の意味が解らなかったので、ネットで調べると、「2013年秋、マドリード、ローマ、パリの観客を魅了した杉本文楽 曾根崎心中が、ついに待望の東京・大阪公演を果たします」とあります。文楽協会とは無関係なんでしょうか。どうなんでしょうか。深く調べもせず、とりあえずは3月のスケジュールに追加です。
 今週の土曜日には、能「井筒」を観に大槻能楽堂にでかけます。世阿弥生誕650年記念シリーズのひとつです。家内もお誘いしましたが、眠くなるからと体よくお断りになりました。一人で気軽に行くことに。
 事前学習のため、夜な夜なネットに公開されている動画を眺めますが、古文の素養はゼロ。謡の言葉が理解できません。対訳本の現代語訳と原文の両方を眺めながら、えい!やあ!シテの姿、所作で理解することに。それでも、静かな流れのなかで所作のひとつひとつから十分に伝わってくるものがあります。
 枕元にある世阿弥著「風姿花伝」の現代語訳をぱらぱらめくっていると、650年前の記述が今にも通じる新鮮さをもって迫ってきます。もう少し熟読したうえで、いつか、風姿花伝の内容に触れてみたいと思っています。

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