心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

週末の夜に村上春樹とグールドを聴く

2013-01-20 09:50:57 | Weblog
 先週の土曜日から、夜にNHKラジオ(第2放送)の番組を録音しています。それは「朗読」の時間です。月から金の毎夜15分の放送をまとめたもので、1月は村上春樹の「遠い太鼓」です。
 昨年の夏、集中的に読んだ村上作品ですが、何冊か読み進んだところで立ち竦んでしまいました。村上春樹っていったい何者?その後は、小説ではなく、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」や「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」といった、ご本人の肉声を記したものを、暇にまかせてぱらぱらめくっていました。

 番組の紹介によると、「遠い太鼓」には村上作品に共通するエッセンスが散りばめられてあり、独特の人間観察、島での借家さがし、港があり丘があり教会がある島の風物、小説家・村上春樹の一日の過ごし方、アジアとヨーロッパとの接点の地・・・・・・などを36回にわたって朗読する、とあります。「ノルウエイの森」などを執筆した1980年代後半の頃です。それらの作品を村上さんは、日本ではなく、イタリアやギリシャで執筆されたよう。一人の同時代人としてのお付き合いが、再び始まろうとしています。

 さて、長い間、仕事人生を過ごしていると、週末の夜が唯一の息抜きになります。ほっとする瞬間でもあります。そんな1月半ばの週末の夜、私はDVDで映画「グレングールド~天才ピアニストの愛と孤独」を見ました。その映画の冒頭は、紅葉に染まった山々や湖を上空から追うという場面から始まります。そこにグールドの肉声が流れます。

どんな形であれ音楽家を自認するなら独創性がなければならない
オリジナリティーが前提だ
音楽のない生活など考えられない
音楽は私を世俗から守ってくれる
現代の芸術家に与えられた唯一の特権は世俗から距離をおくことだ
私の活動はメディアのない19世紀では難しかった

 人との交わり、世俗の煩わしさに距離をおいて、後年はコンサートを止めレコーディングなどメディアを存分に活かした音楽創作に集中した彼の、あの生き様を象徴的に語るものでした。グールドを温かく見守ってきた友人、恋人たちのインタビューも交えて、グルードの人となりが表現されたドキュメンタリーの秀作でした。
 楽譜をいったんバラバラに分解し、そのうえで独自の音楽観をもとに作品を再構築していきます。言えば、このデカルト的な手法がグールドの音楽創作の原点にあります。楽譜と対面しながら、その「意味」を徹底的に問います。目の前にあるひとつの事実、形をどう見つめ、どう表現していくべきか、彼は徹底的に考えます。
 
 グールドのLPに、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13<悲愴>」があります。小さい頃によく聴いた曲のひとつです。他の奏者が演奏する「悲愴」とは全く違います。そうなんだ。これがグールドなんだと。久しぶりに、ピアノを開いたときの、あの独特の匂いを、遠い記憶の中から思い出しました。

 そうそう、先週の日曜日、梅田の名曲堂さんで館野泉さんのLPを見つけました。「シベリウス・ピアノ小品集」です。今週の火曜日にはBSプレミアムで舘野泉さんの「ピアノ・リサイタル~左手の音楽祭から~」が放映されます。録画予約をしておきましょう。
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