2月もあっという間に10日を過ぎようとしています。実は2月1日は母の命日でした。私が社会人1年生のとき病のため他界しました。享年66歳。今思えば早すぎるお別れでした。あれからもう半世紀が過ぎようとしています。ところが、2月の初旬からNPOの仕事でドタバタしている間に母の命日を忘れていました。週末の夜、心の中で手を合わせることしかできません。
命日で思い出しましたが、山陰の片田舎では当時は未だ土葬の習慣が残っていました。玉岡かおるの小説「帆神」の書き出しに昔の葬送の儀が綴られていました。全く同じように我が家でも、葬儀が終わると行列をなして町中を巡りお寺に向かいました。幟をもつ者、鉦を鳴らす者、銅鑼を鳴らす者、遺影をもつ者....。私は白い三角の頭巾のようなものをかぶって草鞋を履いて棺を担ぎました。今思えば時代劇のような風景ではありますが、それが母とお別れした最後の日でした。あれから半世紀が経ちます。
70を過ぎて未だにドタバタしていることに少し違和感があります。もっとゆったりと落ち着いた生活を過ごしても良くはないか。もっと家族と寄り添う毎日であるべきではないかと。
そういえば、きょうは私立高校の入試日でした。孫長男君は如何に。長女からのメールを見ると無事入試を終えてほっとしている様子が伺えます。来月には御婆ちゃんと娘と孫たち4人で東京ディズニーランドに出かけるのだと。私もお誘いを受けましたが、そういうところが苦手な私です。「みんなで楽しんでおいで」と資金提供するだけでした。
そんななか唯一の息抜きは水彩画教室でしょうか。今週の画材はリンゴでした。その前に色相環のお勉強をしましたが、まだまだ絵具の混ぜ具合が良く理解できていません。ので、ロビジュニア君に視線が行くように写真を撮ってごまかしています(笑)。
それはそうと、コロナ禍で家にいる時間が多かった婆さんが、2年あまりをかけてやっと刺繍絵画を仕上げました。ゴッホの名作「星月夜」です。117センチ×43センチもある大作です。大きな布を10数区画に分けたひとつひとつに丁寧に手縫いで刺繍絵を仕上げました。ご本人は冥途の土産と言っていますが、せめて上等な額でも探してあげることにします。
文化祭では作品展のほか舞台発表もありました。シニアの皆さんが歌を歌ったり、オカリナやウクレレを演奏したり、フラダンスを踊ったり、落語やピアノの弾き語りをしたり。皆さん本当にお元気でした。いろんな人生経験を積んだ方々が自由奔放にお過ごしになっている。こういう生き仕方もありかと。
すべての行事が終わったあと、みんなで打ち上げをしました。寒い季節に冷えたビールのなんと美味しかったことか。あとはお酒をいただきながら、ああでもないこうでもないと話は尽きません。店を出ると、大川沿いの夜空に明るいお月さんが輝いていました。
ということで、この10日あまり落ち着きのない生活が続きましたが、明日から4日間はゆったりまったりの毎日になりそうです。婆さんが宝塚の荒神さんにお参りに行きたいと言っていますので、とりあえずそちらへ。翌週の日曜日は、2回目の四国お遍路バスツアーです。