心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

日本昔ばなしのようなお寺の由緒~四国遍路№2

2023-02-24 21:02:51 | 四国遍路

 河津桜の開花便りが届く季節、寒暖を繰り返しながら「春」は確実に近づいています。庭先のカリンの枝には葉芽が顔を出し、鉢植えのクレマチスの枯れ蔓の先には葉芽が膨らんで来ました。そんなある日、花壇の土を鍬で掘り起こし、自家製腐葉土に牛糞肥料を混ぜて「土づくり」をしました。

 さて、ここ1週間を振り返ってみると、やはり四国遍路の旅が浮かんできます。小雨舞うなか大阪・梅田を出発しましたが、7番札所・十楽寺に着く頃には雨もあがり、時々晴れ間も覗く一日でした。三巡目とは言え、それぞれのお寺で改めて1200年前の時代に思いを馳せ、贅沢な時を過ごしました。
 10番札所・切幡寺では、バスツアーとは言え、駐車場から坂道を1キロ余り歩き、さらに550段もの石段を登りました。切幡寺のホームページによると、
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この山麓に機を織る乙女がいた。ここで修法していた弘法大師は、結願の7日目、綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。乙女は、織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。大師は、この厚意にたいへん感動し、「何か望みはないか」と尋ねた。乙女は、「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり、母は身ごもっていたが、男の子が産まれればその子も咎を受ける。どうか女の子が産まれるようにと、清水の観音様に祈願し、やがてこの地に来て産まれたのが私です」といい、「亡き父母に代わり、観音様をつくってお祀りし、わたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。
大師はつよく心を打たれ、さっそく千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けた。乙女はたちまちのうちに即身成仏し、身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。大師は、このことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。
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 こうした由緒は行く先々で伺いますが、「日本昔ばなし」のようで何となくほっこりします。
 今回訪ねたお寺では、ご本尊をまじまじと拝見することができませんでしたので、前回紹介した「仏像を訪ねて」に掲載されているご本尊・千手観音像の写真を載せておきます。
 このお寺のもうひとつの見どころは国指定重要文化財である切幡寺大塔です。明治政府の神仏分離令に伴い明治6年に大阪の住吉大社神宮寺から移築されたものでした。神と仏の長い歴史のひとコマです。
 11番札所・藤井寺の境内には、焼山寺へ向かう遍路道の入口があります。「遍路ころがし」と言われる難所で、前回は近くの遍路宿「吉野」を早朝暗いうちに出発し、ふた山を越えて7時間あまり。12番札所の焼山寺に到着しました。時々道を迷いながらよくも歩き通したものだと今でも思います。良い思い出ということにしておきましょう。
 3回目のバスツアーでは駐車場までバス、そこからタクシーに乗り換えて山頂の焼山寺に向かうことになっています。
 ところで、霊山寺の巡礼用品店で購入したものがあります。以前、歩き遍路でお会いしたオランダの女性が持って歩いていたガイドブック「Shikoku Japan 88 Route Guide」です。付箋をいっぱい付けていらっしゃいました。一体どんな紹介がされているのかという単純な気持ちで買い求めました。語学に長けているわけではないので、移動するバスの中でさらりと眺めていました。
 これから毎月1回、遍路の旅に出かけます。リタイアして7年目に入りましたので、ここで改めて初心に返り、後期高齢者に向けて次の生き仕方を考える1年にしたいと思っています。

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