心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

トクトク周遊券「山陰めぐりパス」で帰省

2018-10-10 14:23:18 | 旅行

 父親の33回忌と兄の7回忌法要があった島根の実家に帰ってきました。9人兄姉のうち残っているのは姉2人と私の3人。叔父叔母たちも既に他界しているので、あとは甥や姪やその子どもたち、地元の親戚縁者が集まりました。
 お経をあげていただく和尚さんも、私が実家にいた半世紀前とは様変わりです。その息子、そして孫と引き継がれ、今回は孫にあたる和尚さんにお務めいただきました.....。母校小学校の校庭に立つ樹木は半世紀を経てなお健在ですが、そこに生きる人々は世代交代が進んでいます。それでも、街の空気は半世紀前と変わりません。

 昨年の秋、出雲の姉のお家に立ち寄ったときは、義兄と一献傾けながら楽しい夜を過ごしましたが、その義兄は今年5月に急逝し、いつも傍にいるはずの人がいない寂しい法要になりました。それでも80歳を前にした姉は気丈に振る舞っています。ただ、認知症は着実に進んでいるようで、元気は元気なのだけれども話がプツンと途切れたり、同じことを何度も話したり。私はただただ相槌を打つのみ。元気でいてくれるだけで良いのです。
 義兄が亡くなり、姉たちも運転免許を返上したため、今回は列車で移動することになりました。ところが運悪く台風25号の接近です。運休の可能性が出てきたために、法要の一連の行事が終わるや否や列車に飛び乗りました。強風のためノロノロ運転、時々緊急停車もします。ずいぶんな時間がかかりました。それでも若い運転手さんのニコニコ笑顔でイライラすることもなくすみました。
 途中で姉たちとはお別れして私たちは松江に向かいました。その夜、松江城近辺で行われる水燈路を観に行くつもりでしたが、残念ながら台風接近のため中止に。しかたなくホテルで松江の夜を楽しみました。
 今回は期間限定の「山陰めぐりパス」という格安周遊券での旅だったので、翌日は朝いちばんに松江市から安来市に移動し、足立美術館に向かいました。秋季特別展「横山大観VS日本画の巨匠たち」と再興第103回「院展」などを見て回りました。ことし生誕150年を迎えた横山大観には、京都国立近代美術館に次いでの再会でした。
 ふたたび安来駅に戻ると、プラットホームで安来節のドジョウ掬い踊りに扮した観光協会の方(?)のお見送りを受けました。次に向かったのはお隣の米子駅です。駅前から「大山る~ぷバス」に乗って大山寺に向かいました。あいにく山頂は雲に覆われ全容を望むことはできませんでしたが、何カ所かの観光スポットを通り抜けながらその日のお宿である大山ロイヤルホテルに向かいました。部屋からは大山の裾野にある孝霊山の山並みを臨むことができ、温泉に浸かってゆったりまったりの夜を過ごしました。

 久しぶりに山陰に帰ったのだからと、翌朝は境港に足を延ばしました。境港といえば漁港、関西にもたくさんのお魚を供給してくれる拠点港です。また隠岐の島に向かうフェリーが出ている港でもあります。海を守る巡視艇が停泊する港でもあります。
 境港で近年有名なのはゲゲゲの鬼太郎で知られる「水木しげるロード」です。境港駅から約2キロにわたって妖怪のブロンズ像が街のあちらこちらに設置されてありました。三連休の最終日、多くの家族連れで賑わっていました。
 大阪で生まれ境港で育った水木しげるさんにちなんだ取り組みなのでしょうが、ゲゲゲの鬼太郎に特化した観光開発はあっぱれと言うしかありません。米子と境港の間には14もの駅がありますが、そのひとつひとつに「妖怪駅名」が併記されています。例えば大篠津町駅は「砂かけばばあ駅」、余子駅は「こなきじじい駅」、境港駅は「鬼太郎駅」といった具合。
 かつては魚を満載した大八車が境港と国鉄の駅の間を行き交ったであろう商店街通りは様変わり。多くの観光客で賑わっていました。地方創生の知恵比べのなかでは成功したモデルなんでしょう。お金をかけて田舎にはそぐわないほど立派な市庁舎を建てる前に、知恵を発揮する余地がたくさんあるということです。ハコモノよりソフトパワー。他にやるべきことがありそうな気がします。それが本当の意味の「地方創生」なんだろうと思いました。
 こうして3泊4日の法要帰省の旅は終わりました。半世紀前と同じ風景が見え隠れする道すがら、時間の感覚を忘れてしまいそうな4日間でした。大阪に帰って昨日、今日とひと休みです。明日はいくつかの会議をこなすためにカレッジにご出勤。そして、その翌日の夜、再び土佐の国へ「歩き遍路」に向かいます。
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