きょうは午前中、今期最後の水彩画教室がありました。これまでに描いた水彩画を白板に張り出して先生から評価と今後の課題を教えていただくのですが、厳しい先生の評価をクリアしたのは3点だけでした。焦らずじっくり研鑽を重ねていくしかありません。
水彩画教室が終わると、急ぎカレッジの事務局に移動して打ち合わせ、夕刻からは新旧アシスタントの歓送迎会がありました。久しぶりに組織の一員として動くことになりますが、さあてどうなんでしょう。気負うことなく気楽にお付き合いをしていきたいと思っています(笑)。
さて、本題に入ります。先日、読売新聞のご招待で住吉大社の観月祭に行ってきました。天王寺駅前から大阪唯一の路面電車(阪堺電車)に乗って15分、住吉大社鳥居前で降りると、熊野街道と紀州街道に挟まれた一画に住吉大社はありました。もちろん、その昔、遣隋使、遣唐使を送り出した住吉の浜は跡形もありません。
鳥居をくぐり、第三本宮、第四本宮、第二本宮、第一本宮と参拝したところで、第一本宮の大屋根に痛々しい修理の傷跡が目にとまりました。聞けば先日の台風21号の被害のようです。ほかにも境内の至る所で樹木が被害を受けていました。
さて、受付をすませると、反橋の絵馬殿内のお茶席に向かい、お茶のお接待をいただきました。
午後6時半、反橋上の舞台では、献詠歌「天地人」位の披講、献詠歌「佳作」の吟詠、献詠句の朗詠が行われました。和歌や俳句に疎い私は、ただただそのリズム感を楽しむばかりです。
だんだんとあたりが暗くなってきますが、肝心のお月さまは厚い雲の中です。「住吉踊奉納」が始まりました。「第四本宮のご祭神、神功皇后様の凱旋時、堺七道の浜で土地の人達が踊って出迎えたと伝わる祭りで、大傘を立てて音頭取りが歌うのにあわせ、保存後援会の童女達が団扇をうち振り足をはねて「心」の字をなぞって踊ります」とあります。目を閉じると、住吉の浜の波音が聞こえてきそうな、そんな風景を心に抱いたものでした。
いよいよ「奉納舞楽」の始まりです。まずは、奉納に先立って舞われる儀式的な演舞「振鉾」です。唐楽・赤色系装束の舞人と高麗楽・緑色系装束の舞人が、横笛と太鼓・鉦鼓の伴奏で舞います。暗闇のなかに浮かび上がる幻想的な世界を楽しみました。と、そのとき、雲の隙間からお月さんがうっすらと顔を覗かせました。会場に大きなどよめきが起こりました。お隣に座っていたお婆さんは「これは奇跡だ」と感激です。
演目「承和楽」。833年に仁明天皇ご即位の時、勅によってつくられた和製舞楽なのだそうです。逆にいえば、平安時代に舞楽は輸入されていたということです。その舞楽が国風化、整理統一され、以来、寿の舞として宮中の饗宴等で舞われたのだと。笙、箒簟、龍笛の三管が奏でる壱越調調子を伴奏に4人が舞います。
つづいて「林歌」。太鼓と高麗笛による高麗乱声を伴奏に舞います。そして最後に「長慶子」が奏せられ、この日の観月祭は幕を閉じました。岸和田のだんじり祭りに続いて、大阪に古くから伝わるお祭りを体感したことになります。
ここで話はがらりと変わります。4月から聴講していたNHKテレビこころの時代(宗教・人生)=「マンダラと生きる」(全6回)が先日、最終回を迎えました。毎月1回の放送でしたから、その分、じっくりと頭の中を整理する時間をもてたのは良かったように思います。
驚いたことに、かの心理学者ユングが、精神を病む人々がマンダラによく似た図形を描くことに気づいたのだと。そして、マンダラとかかわることで深い癒しが得られることを発見したのだと。その後、ユング派の精神科医や心理学者たちがマンダラ型の塗り絵を考案して治療に使い始めたのだそうです。テキストには何種類かの塗り絵が添えてありました。
マンダラは強い対称性をもち、基本的に円形で閉鎖系、幾何学的な形態と言われます。大日如来を中心に周りにたくさんの菩薩が描かれていて、そんなマンダラを、わたしは朝のお散歩で立ち寄るお不動さんの大師堂で対面することがあります。金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅のふたつです。ただただ見つめるだけです。
きょうは歓送迎会のあと天満橋のジュンク堂で空海著「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」(加藤純隆・加藤精一訳=角川ソフィア文庫)を買って帰りました。副題に「こころの底を知る手引き」とあります。お大師さんというよりも、思想家・空海のものの見方と考え方に関心があります。