心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

近代科学と上棟の儀式

2016-01-30 23:50:24 | Weblog

 寒い日が続きましたが、昨日あたりから少し和らいだような気がします。そして来週は、二十四節気で言うところの「立春」を迎えます。これまで真っ暗だった早朝のご出勤も、日に日に明るさが増し、遠くに春を感じる季節になりました。そんな土曜休日の夕方、家内のお買い物のお供に近所のスーパーに行きました。活きのいい魚売り場で品定めしたあと、野菜のコーナーに行くと、なんと菜の花と蕗のとうが並んでいました。ひと足早く「春」を味わうことにいたしました。
 さてさて、ブログの更新でもしようかと思い取り出したレコードは、グレン・グールドのバッハ「パルティータ(全6曲)」2枚組です。単調さのなかにも躍動感を漂わせるクラヴィーアが、やはり更新作業にはお似合いです。この1週間の出来事を振り返りながら、捨てていくもの、残していくものを整理していきます。
 きょうのお題は「近代科学と上棟の儀式」です。先日、ここ2年ほど関与してきた新社屋の上棟の式に出席しました。幸いにも好天に恵まれたその日、ビル風が舞う建設工事現場の一画で、儀式は賑々しく執り行われました。斎主が祭壇・祭具・玉串・参列者を清め祓う儀式「修祓」、祭神が来臨することを祈る招霊の儀式「降神之儀」、神前に神饌物を供える儀式「献饌」、神に祝詞を申し上げる儀式「祝詞奏上」、切麻・塩・米・酒等で敷地を清め祓う儀式「清祓」、棟札を棟木に取り付ける儀式「棟札奉祀の儀」.....。
 子どもの頃、餅まきが行われた木造建築の棟上げの儀式には違和感はなかったのですが、建築技術の粋を集めたビルと上棟の儀式がなんとも不釣り合で、近代科学主義に対する不信任を突きつけているようでもあるし、何はともあれ最後は神頼みということのようでもあり、いずれにしても、ある種アニミズムの中に生きる現代人の不思議な風景を垣間見た思いがしました。空に浮かぶ意味不明な祝詞の響きに聴き入っていると、外界から遮断された真空の世界、だだっ広い草原に独り佇む私を感じたものでした。
 そういえば、「南方熊楠の謎~鶴見和子との対話」の中に、必然性と偶然性というテーマが登場します。2004年、南方熊楠から土宜法龍に宛てた大量の書簡が、京都・高山寺で発見された直後に行われた座談会でのことです。脳梗塞で倒れる前と後で、必然性、論理性だけでは捉えることのできないもうひとつの視点が見えてきたという鶴見先生。86歳にしてなお頭脳明晰な先生のひととなりを改めて知ることになります。そして、「多様なものが多様なものでありながら、異なるものが異なるままに、お互いに助け合って、ともに生きる道を探る。それが私の内的発展論を普遍的に結びつけるすじ道になるわけ」と。若手研究者たちの活躍に大いなる期待を寄せた鶴見先生、その1年後に他界されます。

 そうそう、先週お話ししたかつての上司からこんなメールをいただきました。いわく、「お互いに着実に年を重ねていますね。小生は72歳になりますが、ともかく大量の本を読み、文章を書くことを心掛けているところです」「文章を書く仕事で一生を終わりたいと願っていただけに、好運を感じています」と。なんとも充実した日々を過ごしていらっしゃるご様子。いつの日か、ご一緒に東京・神保町を散策してみたいと思っています。

 考えてみれば私自身、書籍を通じて、あるいは現実生活の中で、数え切れないほど多くの方々と出会い、知的な刺激をいただきながら歳を重ねてきました。さあぁ、ブログはこのへんにして、もういちど鶴見ワールドの世界に舞い戻ることにいたしましょう。

 

 
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