心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

夏の終わりに

2014-08-31 09:45:58 | Weblog

 けさ、ゴンタ爺さんと朝のお散歩にでかけると頬を撫でる風がなんとなく優しく、つい先日までの暑さが嘘のようでした。第四十一候・処暑・次候「天地始粛」(てんちはじめてさむし)。暑さが鎮まり、秋の虫の音が響く季節を迎えました。
 きのう京都に向かう電車の中で、ローマ人の物語(33)「迷走する帝国<中>」を読み終えました。パクス・ロマーナ。平和を無為に過ごしたためでしょうか、数年ごとに皇帝が入れ替わり、国を守るという緊張感が薄らいだためでしょうか、北からの「蛮族の侵入」に悩む時代を迎えます。平和ぼけした日本にもなにがしかの示唆を与えてくれそうな気がします。国内にあっては、多神教、八百万の神を崇め宗教に寛容であったローマ帝国に、一神教のキリスト教が広がり始めます。西暦300年前後の、遠い西洋の歴史ですが、多神教から一神教への変遷を追いながら、34巻目に手を伸ばします。
 秋は読書の季節と言います。昨日、京都のジュンク堂で、1冊の雑誌に出あいました。文藝別冊KAWADE夢ムック「須賀敦子 ふたたび」です。実は、このKAWADE夢ムック、16年前の秋にも出版されています。その時のタイトルは「追悼特集 須賀敦子 霧のむこうに」でした。須賀敦子さんとの出会いは、5年前の季刊誌「考える人」の特集記事「書かれなかった須賀敦子の本」でした。そのときに購入した須賀敦子全集全8巻(河出文庫)が今も本棚に鎮座していますが、3冊を残してざっと目を通したあと、しばし眠りの中に。それが、いま、再び私に語りかけています。
 なぜ須賀さんに惹かれるのだろう。考えてみるに、宗教心とは異なる人の生き方がぼんやりと浮かんできます。ものごとに対して優しくも真摯に対峙された須賀さん。私にはない強さ、優しさ、直向きさがあります。それが文章の美しさ、言葉の美しさと相まって、非常に純粋な形で私に語りかけてきます。「心」と「言葉」が一致したとき、「言葉」はより大きなインパクトをもって私たちに迫ってきます。
 いよいよ明日から9月です。あと4カ月もすれば2014年という年も終わります。時の流れの速さを思います。今夏64歳を迎えた私ですが、あっという間に70歳を迎えそうな予感がします。一日一日を目いっぱい生きているつもりでも、まだまだ不足感があります。まだまだ考えることがあります。まだまだすることがあります。根無し草のような人生、いつ安寧の地に辿りつけるのか。
 まあ、気難しいことを考えるのはよしましょう。昨日は、夏の終わりに孫君一家と楽しい夕食会を催しました。会うたびに成長している姿に自然と笑みがこぼれます。今日は、これから庭仕事です。たくさんの実をつけてくれたキュウリやゴーヤの蔓を整理しましょう。空いた土地は耕して秋野菜の準備をしましょう。ひとつの時の流れに身をおくことで、生かされている自分に気づく、それも大事な時間だろうと思います。 

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