バイエル社がザントを吸収するそうだ。一昨年はモンサントを吸収したが、これは初耳だった。巨大になるというよりも如何にも業界の整理が始まっているという印象がある。バーゼルでの流出を減らして、出来る限りラインを汚さないようにして、下で汚すように再構築して欲しい。
1ユーロ少しで入手した蓄電池を時計に組み込んだ。先ずは先日組み込んだ分厚いもののケーブルを外す。綺麗に外そうと思うと細かいのでそれほど雑には出来ない。そして入手した4ミリ厚のものを設置しようと思うが中々方向やら裏表が定まらない。収まり難いのだ。こんな予定ではなかった。二ミリ薄くて同じ大きさだから簡単に収まると思っていた。それが形が整っているものではないので食み出したりする場所が出てきて、形を揃えないと上手く入らない。横幅が5ミリ広いものをシナに発注したが本当に収まるのだろうか?
電池の方向や向きを定めて、線の取り回しを吟味して、半田付けとなる。自身の不器用な手先ではこんなものだ。このために新規購入した半田こてはとても助かった。温度も丁度良く、過熱もあまりなくとても扱いやすい。半田付けが楽しくなるようなこてである。ネットの評価通りだった。
問題は防水パッキングで、開け閉めしているうちに一部が切れかかって伸びてきた。いずれ貼り付けないといけないかもしれないが、シリコンで接着効果の薄いものなどを探さないといけない。このまま使ってみて、ガラスなどが曇ることなく、順調に作動すれば、シナから発送された充電池に取り換えれば最後までもう二三年使えるかもしれない。問題は防水である。
週末に迫った復活祭音楽祭のお勉強に追われる。初めてみる「ドンファン」の楽譜と、手元にあるLPを比べてみる。賞などを獲得したドレスデンのシュターツカペレをルドルフ・ケムペが振ったものは予想していたよりも健闘していて、当時の東独で時間を掛けて録音したのではないかと思う。現在のシュターツカペレでこれだけの録音が可能だろうか?その比較としてSACDでルイージ指揮の一時代前のものが手元にあった。流石にこの座付き管弦楽団らしからぬ整理整頓されたアンサムブルが聞けるのだが、この指揮者の特徴も見えてくる。生で聞いたことのない一流指揮者なのだが、そのアゴーギクなどの作為的な特徴がマゼールなどに似ていて興醒めした。なるほどこれならば管弦楽団と喧嘩別れになった筈だと思った。こういう名門は盆暗指揮者の方が遣り易いのだろう。曲自体は思っていたよりも中々微妙な書法で、コンサートで好んで取り上げられる理由が分かった。
もう少し「ペトローシュカ」と「七つの初期の歌」と「シェーラザード」を調べて、金曜日には「パルシファル」全曲の名録音をもう一度通したい。曲数が多いと演奏時間は短くてもそれなりに負担は増える。バーデンバーデンでのプローベは順調に進んでいるようなので否が応にも期待が高まる。座席も大分埋まってきたようで、特にラトル人気に最後の火が点いたようだ。
その一方フィッシャー指揮の会は散々で、二階バルコンの閉鎖を決定して、平土間に追いやられるようだ。つまり安い座席の販売を中止した。イヴァン・フィッシャーの経歴も長く、2015年の後任者候補の中ではティーレマンよりは良いと思っていたが、なんといっても人気が無い。楽器配置を変えたりのアイデアも否定されるものではないが、所詮普遍性をもつアイデアではなくて極個人的なそれとしか思われていないようなところが、こうした東欧出身の音楽家への西欧での観方であり、実際にそうである。まあ、彼らからすればある種の市場開拓であるから、そうした特異性というのも市場的には必ずしも悪くない売りなのだろう。
車中のラディオはフェースブックの顛末を伝えていたが、そもそもネット上にクラウドであれ何であれ個人情報を上げているのが悪いのであって、それが裸の写真であろうが何であろうが同じである。特にフェースブックの場合は十年以上前から米国の親戚や仕事仲間からお誘いがあって、とんでもない個人情報が入っているなと思って、敬遠したのだが、ドイツでは特に強い懐疑が払拭せず、業務用は兎も角個人用では評判が決して良くは無かった。どんなデジタル情報も同じだが一度ネットに上げて仕舞えば全ての情報は制御の効かないところで流れるということだけは明白にしておこう。要するにネットのデジタル情報は全て無料である。
参照:
こてを使う腕を振るう 2018-03-17 | テクニック
モンサントがバイエルになる 2016-05-22 | アウトドーア・環境
1ユーロ少しで入手した蓄電池を時計に組み込んだ。先ずは先日組み込んだ分厚いもののケーブルを外す。綺麗に外そうと思うと細かいのでそれほど雑には出来ない。そして入手した4ミリ厚のものを設置しようと思うが中々方向やら裏表が定まらない。収まり難いのだ。こんな予定ではなかった。二ミリ薄くて同じ大きさだから簡単に収まると思っていた。それが形が整っているものではないので食み出したりする場所が出てきて、形を揃えないと上手く入らない。横幅が5ミリ広いものをシナに発注したが本当に収まるのだろうか?
電池の方向や向きを定めて、線の取り回しを吟味して、半田付けとなる。自身の不器用な手先ではこんなものだ。このために新規購入した半田こてはとても助かった。温度も丁度良く、過熱もあまりなくとても扱いやすい。半田付けが楽しくなるようなこてである。ネットの評価通りだった。
問題は防水パッキングで、開け閉めしているうちに一部が切れかかって伸びてきた。いずれ貼り付けないといけないかもしれないが、シリコンで接着効果の薄いものなどを探さないといけない。このまま使ってみて、ガラスなどが曇ることなく、順調に作動すれば、シナから発送された充電池に取り換えれば最後までもう二三年使えるかもしれない。問題は防水である。
週末に迫った復活祭音楽祭のお勉強に追われる。初めてみる「ドンファン」の楽譜と、手元にあるLPを比べてみる。賞などを獲得したドレスデンのシュターツカペレをルドルフ・ケムペが振ったものは予想していたよりも健闘していて、当時の東独で時間を掛けて録音したのではないかと思う。現在のシュターツカペレでこれだけの録音が可能だろうか?その比較としてSACDでルイージ指揮の一時代前のものが手元にあった。流石にこの座付き管弦楽団らしからぬ整理整頓されたアンサムブルが聞けるのだが、この指揮者の特徴も見えてくる。生で聞いたことのない一流指揮者なのだが、そのアゴーギクなどの作為的な特徴がマゼールなどに似ていて興醒めした。なるほどこれならば管弦楽団と喧嘩別れになった筈だと思った。こういう名門は盆暗指揮者の方が遣り易いのだろう。曲自体は思っていたよりも中々微妙な書法で、コンサートで好んで取り上げられる理由が分かった。
もう少し「ペトローシュカ」と「七つの初期の歌」と「シェーラザード」を調べて、金曜日には「パルシファル」全曲の名録音をもう一度通したい。曲数が多いと演奏時間は短くてもそれなりに負担は増える。バーデンバーデンでのプローベは順調に進んでいるようなので否が応にも期待が高まる。座席も大分埋まってきたようで、特にラトル人気に最後の火が点いたようだ。
その一方フィッシャー指揮の会は散々で、二階バルコンの閉鎖を決定して、平土間に追いやられるようだ。つまり安い座席の販売を中止した。イヴァン・フィッシャーの経歴も長く、2015年の後任者候補の中ではティーレマンよりは良いと思っていたが、なんといっても人気が無い。楽器配置を変えたりのアイデアも否定されるものではないが、所詮普遍性をもつアイデアではなくて極個人的なそれとしか思われていないようなところが、こうした東欧出身の音楽家への西欧での観方であり、実際にそうである。まあ、彼らからすればある種の市場開拓であるから、そうした特異性というのも市場的には必ずしも悪くない売りなのだろう。
車中のラディオはフェースブックの顛末を伝えていたが、そもそもネット上にクラウドであれ何であれ個人情報を上げているのが悪いのであって、それが裸の写真であろうが何であろうが同じである。特にフェースブックの場合は十年以上前から米国の親戚や仕事仲間からお誘いがあって、とんでもない個人情報が入っているなと思って、敬遠したのだが、ドイツでは特に強い懐疑が払拭せず、業務用は兎も角個人用では評判が決して良くは無かった。どんなデジタル情報も同じだが一度ネットに上げて仕舞えば全ての情報は制御の効かないところで流れるということだけは明白にしておこう。要するにネットのデジタル情報は全て無料である。
参照:
こてを使う腕を振るう 2018-03-17 | テクニック
モンサントがバイエルになる 2016-05-22 | アウトドーア・環境