ニューヨークから広報の人が書いていた。カーネギーホールからの生放送時間がこちらで夜中になるからだ。まるで月着陸の時のような感じである。兎に角眠い。生を録音するにしてもタイマーをセットしておけば録音可能なのだが、知らない局でもあり、あまり確実ではない。オンデマンドは音質的に使い物にならない。但し映像の場合は生での受信状況があるので、現在UPされているSWR2のラディオ局の映像の様に大きなものがダウンロード出来るときは価値がある。これは例外でARTEの方では大きなものがDL出来ない。MP4であるからデジタルコンサートよりは良くはないのだが、映像はこれで充分だ。音声は月曜日20時からのSWR2でしっかり録音したい。その前には土曜日にオーストリア放送協会で、「三部作」の初日の録音が流される。「外套」の録音に傷があったので、「修道女アンジェリカ」の熱演も併せて、もう一度聞き直したい。
指揮のキリル・ペトレンコにとってはニューヨークは慣れたものだろうが、座付き管弦楽団としてはデビューになるので私たち常連も少しは緊張する。ある意味、ミュンヘンの座付き管弦楽団が出来ることも出来ないことも分かっているのだが、エルプフィルハーモニーなどでの評を読むと期待が高まる。放送のある初日はブラームスとチャイコフスキーであるから、特に後者はブレゲンツ音楽祭でのヴィーナーシムフォニカーとの放送録音も存在して、大凡は想像がつくのだが、そこはそれで楽しみなのだ。
バーデンバーデンでは、祝祭劇場とフィルハーモニカーの間で先五年間の契約が調印されたようだ。実際には2022年までのことを考えて既に計画を進めているのだろうが、大きな費用の必要な舞台などを発注するとなると契約書が無いと動けない。着々と準備が進んでいるようでとても喜ばしい。調印後の記念写真の表紙を見るとバーデンバーデンの祝祭劇場のロゴが真ん中に入っているので、復活祭祝祭期間中のフィルハーモニカーのバーデンバーデンでの活動を義務付けた契約なのだろう。その他は出演料と費用などの条件やプロジェクトの提案や決定過程を定めているのだろう。
朝知らせを見て、ミュンヘンの劇場のオンライン一般販売に入ってみた。現時点で入手可能な公演などを確認したかったからだ。先ずはウェイティングの番号は240台だった。何時もと同じくこの番号では順番が回るまでに20分以上掛かるので先ずはおいしいキャンセルものは入らない。それでもプッチーニ「三部作」は少し残っていた。これは二回あるので最初のに行ってもいいかなと思ったら一回目はあまり残りが無かった ― 流石に皆よく知っている。そもそも下のクラスの座席は並んだ時に半分で買えたのだ。その時はもう一度などとは全く考えてもいなかった。「パルシファル」は二度行ってもよいかと思うが、これはもしかするとラストミニッツで高額席が出て来るかも知れない。「リング」の方は四枚買うとなると、精々二回ぐらいしか行かないので厳しい。
バーデン・バーデンでの「パルシファル」初日について覚書を付け加えておく。祝祭劇場の音響が大きな話題となったのは、一部の批評が書くように「そのバイロイトの劇場のための書法」が演奏されたことにもあるが、嘗てケント・ナガノの演奏でそれを口にした者などいなかった。当日にメルケル首相も来ていたのだが、それ以上の話題になるようなものではなかった。サイモン・ラトルは今回色々工夫していたと思う。先ず私の上手のザイテンバルコンからは金管楽器は一つも確認できなかった。右端手前のチューバぐらいだろうか。可成りうまく隠していたと思う。それ以外では正面のオーボエのケリーやクラリネットのオッテンザマ―は当然のこと、デュフォーのフルートでさえ際立つのはそのように書かれている上昇音型の時ぐらいで、それ以外は常時見事にミックスされていた。当日のコンサートマスターは樫本氏でこれもとても重要な仕事をしたと思う。ベルリンで再び演奏されて中継されるのでもう少しこ音響に関してはもう一度吟味してみたい。
全体の印象として、ブーレース指揮のバイロイトの響きを聞いたのは平土間の24列目であったが、その時は可成りチェロや中声のヴィオラなどの原色的な響きと同時に低音などの籠もり感が記憶にある。それに比較すると当然ながら分離感のある響きなのだが、音質自体は遥かに暗くミキシングされた柔らかな響きだった。明らかな管弦楽団の技術の差が明らかになった演奏で、あの手の響きを醸し出すときのサイモン・ラトルが最も素晴らしいと再認識する。それだけダイナミックスの差があるものだから無理なく響きの恍惚へと、アマルガウへと無理なく弧を描いていたのである。
どちらでもよいのだがザルツブルク復活祭での「トスカ」への批評も読んだ。もはや誰も期待しておらず、あの高額の席も売れていないようで当然だろう。兎に角、折角のプッチーニの響きをテムポを落としてどやどやとやるものだから、来年の「マイスタージンガー」を待つしかないとされている。夏のヴァークナー祝祭が始まる前に誰も居ない劇場に一人はいるらしい。初代音楽監督というよりもこれじゃまるでファントムデアオーパーではないかと、思わず笑ってしまうのである。
参照:
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評
指揮のキリル・ペトレンコにとってはニューヨークは慣れたものだろうが、座付き管弦楽団としてはデビューになるので私たち常連も少しは緊張する。ある意味、ミュンヘンの座付き管弦楽団が出来ることも出来ないことも分かっているのだが、エルプフィルハーモニーなどでの評を読むと期待が高まる。放送のある初日はブラームスとチャイコフスキーであるから、特に後者はブレゲンツ音楽祭でのヴィーナーシムフォニカーとの放送録音も存在して、大凡は想像がつくのだが、そこはそれで楽しみなのだ。
バーデンバーデンでは、祝祭劇場とフィルハーモニカーの間で先五年間の契約が調印されたようだ。実際には2022年までのことを考えて既に計画を進めているのだろうが、大きな費用の必要な舞台などを発注するとなると契約書が無いと動けない。着々と準備が進んでいるようでとても喜ばしい。調印後の記念写真の表紙を見るとバーデンバーデンの祝祭劇場のロゴが真ん中に入っているので、復活祭祝祭期間中のフィルハーモニカーのバーデンバーデンでの活動を義務付けた契約なのだろう。その他は出演料と費用などの条件やプロジェクトの提案や決定過程を定めているのだろう。
朝知らせを見て、ミュンヘンの劇場のオンライン一般販売に入ってみた。現時点で入手可能な公演などを確認したかったからだ。先ずはウェイティングの番号は240台だった。何時もと同じくこの番号では順番が回るまでに20分以上掛かるので先ずはおいしいキャンセルものは入らない。それでもプッチーニ「三部作」は少し残っていた。これは二回あるので最初のに行ってもいいかなと思ったら一回目はあまり残りが無かった ― 流石に皆よく知っている。そもそも下のクラスの座席は並んだ時に半分で買えたのだ。その時はもう一度などとは全く考えてもいなかった。「パルシファル」は二度行ってもよいかと思うが、これはもしかするとラストミニッツで高額席が出て来るかも知れない。「リング」の方は四枚買うとなると、精々二回ぐらいしか行かないので厳しい。
バーデン・バーデンでの「パルシファル」初日について覚書を付け加えておく。祝祭劇場の音響が大きな話題となったのは、一部の批評が書くように「そのバイロイトの劇場のための書法」が演奏されたことにもあるが、嘗てケント・ナガノの演奏でそれを口にした者などいなかった。当日にメルケル首相も来ていたのだが、それ以上の話題になるようなものではなかった。サイモン・ラトルは今回色々工夫していたと思う。先ず私の上手のザイテンバルコンからは金管楽器は一つも確認できなかった。右端手前のチューバぐらいだろうか。可成りうまく隠していたと思う。それ以外では正面のオーボエのケリーやクラリネットのオッテンザマ―は当然のこと、デュフォーのフルートでさえ際立つのはそのように書かれている上昇音型の時ぐらいで、それ以外は常時見事にミックスされていた。当日のコンサートマスターは樫本氏でこれもとても重要な仕事をしたと思う。ベルリンで再び演奏されて中継されるのでもう少しこ音響に関してはもう一度吟味してみたい。
全体の印象として、ブーレース指揮のバイロイトの響きを聞いたのは平土間の24列目であったが、その時は可成りチェロや中声のヴィオラなどの原色的な響きと同時に低音などの籠もり感が記憶にある。それに比較すると当然ながら分離感のある響きなのだが、音質自体は遥かに暗くミキシングされた柔らかな響きだった。明らかな管弦楽団の技術の差が明らかになった演奏で、あの手の響きを醸し出すときのサイモン・ラトルが最も素晴らしいと再認識する。それだけダイナミックスの差があるものだから無理なく響きの恍惚へと、アマルガウへと無理なく弧を描いていたのである。
どちらでもよいのだがザルツブルク復活祭での「トスカ」への批評も読んだ。もはや誰も期待しておらず、あの高額の席も売れていないようで当然だろう。兎に角、折角のプッチーニの響きをテムポを落としてどやどやとやるものだから、来年の「マイスタージンガー」を待つしかないとされている。夏のヴァークナー祝祭が始まる前に誰も居ない劇場に一人はいるらしい。初代音楽監督というよりもこれじゃまるでファントムデアオーパーではないかと、思わず笑ってしまうのである。
参照:
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評