Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

先の準備を整える

2018-03-16 | 生活
散髪に出かけた。前回は年始だったと思う。13日の「ラインの黄金」の前に出掛けた筈だ。新しい髪結いさんがやってくれて、横などを上手く処理して貰ったので、最後まで髪が重くならなかった。薄くなったのではないと思うが、森と同じで梳き方が違うのだろう。だから伸ばし放題伸ばしたが、襟首などが酷いことになっていて、彼女にも指摘された。やはり腕がある。週末の季節外れの雪にも合わせて綺麗に切ってくれた。来週は再び晴れて零下になるようだ。だからその前に処理しておくしか時間が無かった。

気の早い人は雪溶かしの塩の付いた車を洗車して、夏タイヤに取り換える準備をしていた。遅くても復活祭にはスキー場以外では冬タイヤは要らないからだ。そして季節外れの雪がワイン街道でも降るというから大慌てだろう。

2019年の復活祭の第一報が入った。それによると予想していた「千人の交響曲」ではなくて、チャイコフスキーの第五だった。それでも一日は下種なガイガリンとシェーンベルクが聞ける。これは素晴らしい。これは今年の様に練習でその前の三月辺りにイスラエル公演をするのかもしれない。もう一つはなんとランランとベートーヴェン三番となっている。これで恐らくランランの引退は決まっているとみる。まさかあれほどボロクソに貶した人と共演することは無いだろう。つまり来年もワンが弾くということで、ランランは人寄せパンダである。それも三番は既にフィルハーモニーでも振っているので、ワンならばプロコフィエフに変更になるのか。寧ろ興味あるのは、ミュンヘンで忙しくて、客演指揮のためにはシェーンベルク以外は新たなレパートリー開拓にまで時間が足りないということらしい。「トリスタン」公演がまたその前に来るのだろうか。「オテロ」の指揮はガッティーで、演出がウィルソンとなると態々出かける意欲が湧かない。その代わりムーティが「レクイエム」を振るのでこちらは行ってもよいかなと思う。

これで準備は整った。「パルシファル」初日までに、翌日の「ラトルのお好み演奏会」、そしてその翌々日のプログラムまで勉強しておかなければいけない。全七曲である。来週は冷えても陽が出るので、室内で陽射しにあたりながら時間が取れるかもしれないが、曲数が多すぎるので結構大変である。その「パルシファル」の三幕の録音を先日のメトの演奏から聞いた。予想通り一幕でだらだらと流していたルネ・パーペのグルネマンツの歌唱に熱が入ってきた。その一方、マッテイという人が歌ったアンフォルタスはどうしても六月のゲルハーハ―を思い浮かべると弱過ぎる。バーデンバーデンのフィンレーはどれぐらい歌えるのだろうか。なによりも弱かったのは合唱団で、客演というハンディーがあるとしてもミュンヘンのそれとは比較にならない。さて肝心の指揮者ナゼ・サガンであるが、リズムの特徴などは一幕と同じで、楽譜の読みもとても優れている。その反面アゴーギクの扱いがいつもぎこちない。一つにはオペラの歌手や合唱との距離感や対応力の経験の不足かもしれないが、一番問題なのは指揮の技術がありながら臨機応変に出来ない才能の限界と聞いた。三幕を通して同じようなぎこちなさがあるので、恐らくこの指揮者の最大の欠点ではないかと思う。

前任者のレヴァインの良さはそのバイロイトの「指輪」の奈落に入っていた奏者が語っていたことを思い出すが、そのテムポの安定感が特徴で、その変化については分からない。恐らく経験が長かったぐらいだから臨機応変に対応出来たものだと思う。オペラ指揮者の経験とそのテムポの変化対応などに関してはどちらがどちらか分かり難いところがあるのだが、キリル・ペトレンコのオペラ指揮を基準とすると、経験だけでは無く、正しいテムポを維持しつつ臨機応変に対応出来るのはやはり生来の才能でしか無いと確信する。サイモン・ラトルが正しいテムピを設定しながら破綻無く、歌手も十分に息をさせて歌わせるのがとても難しいのは当然のことなのである。



参照:
ミュンヘンのアラキー 2018-02-15 | 女
白船をしっかり見極める 2018-03-05 | 文化一般
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