Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

主役は一体誰なのか

2018-03-24 | 歴史・時事
トラムプが建てた貿易障壁で影響が出ている。個人的には直接はないが、上海からフランクフルトに来た旅行者が買い物をするための銀行から金が出せなかったという。限度額200ユーロを超えたからということらしい。つまりシナから対抗制裁によっての爆買いはこれでなくなる。合衆国の輸入障壁などよりもシナの対抗制裁の方が遥かに世界中の多くの人に影響を与える。ドイツ連邦共和国も愚かな輸入障壁には厳しい態度で挑んでいるが、これでワシントンは四面楚歌になるだろう。もはやトラムプ政府は世界の敵であり、悪の枢軸の親方の違いない。世界のどちらが主役かはこれではっきりする。

「ペトローシュカ」の録音を聞いた。昨年ベルリンのフィルハーモニーで演奏されたもので、日本公演では更に上出来だと評判が良かったものだ。改訂版と態々あるが、一般的には西欧的な合理的な譜面の版と思うのだが調べていない。フィルハーモニカーのフルートやファゴットなどの管楽器群の名妓性を示した演奏である。何か所か意味不明の歌わせ方などもあったのだが、版の問題がソリスツの独自性に任せたものかは見当が付かない。それでも熟せば熟すほどハマる演奏だと思った。しかし同時に昔のフォンカラヤン時代のそれの様に、その特徴こそ異なるが、「普遍の完成」に近づくような演奏形態だと思った。

それと比較する意味で、イスラエルからのペトレンコ指揮の演奏実践を放送前から色々と想像していた。今回改めて譜面を眺めながら録音を流して腰が抜けそうになった。その録音や録画は何回かBGMで流していて分っていた筈なのだが譜面と合わせて真面なスピーカーで真剣に聞いて驚愕した。予想ではロシア風の節回しなどが出て来るかと思っていたが、またまた天才の遣ることは想定外だった。

そのリズムの扱いが何時もの様に安定していて、ここでもテムポは早い筈なのにしっかりと拍を刻んでいる。要するに楽器が過不足無く歌い込めるように拍が取られる ― ペトレンコ自身もオペラでの経験を感謝しているのではないかと思う。こうなるとあれほど正確に聞こえたラトルの打拍がまるで上滑りするかのように聞こえるのだが、決してその辺りのロシアの「巨匠指揮者」のようなタメるくどさや深堀が見当たらない。その反対で楽譜を忠実にイスラエルフィルでも弾きやすいような精緻な指揮となっていて、メータが振る時のようなこの交響楽団のユダヤ的しつこさが無い。

改めてヴィデオを確認したいが、やはり技術の卓越と共に楽譜読み込みの情報量の桁が違う。ラトルのストラヴィンスキーは寧ろ十八番に近いものだと思うがあまりにも西欧的に表面的な譜読み以上に踏み込んでいない ― アバドのそれとの比較が面白いだろう。アクセントや前打音なども正確に演奏されていても、引っ掛かりが無いのはまさにカラヤン節をもこの最も距離のある指揮者の音楽から思い出させる。やはり改訂版は違うのだろうか。

イスラエルフィルは健闘しているもののベルリンのそれとはそもそも比較対象にはならないので、その音響はBGMとしての印象ではとても冴えない。それがこうやってみると譜面が浮かび上がるような演奏をしていて ― 全く声部の強調とか対照とかの単純な書法ではない ―、正しくペトレンコが読み取ったそのストラヴィンスキーの響きをなぞっている。変拍子の扱いもアクセントもしっかりと音化されていて天晴なのだ。それでもベルリンとの響きの差は甚だしい。こうした演奏を観察すると、個人的には確信したことはないのだが、「20世紀の最高の作曲家はストラヴィンスキーだ」という意味も合点が行く。

このように覚醒してしまった耳で日曜日にその生演奏を批判的に聞くことになるのだが ― 本当に難儀な境遇であり、良い意味でも悪い意味でもサイモン・ラトル時代を表徴する演奏会になるのではなかろうか、複数のストリーミングや放送で生中継され再放送されデジタルコンサートにもアーカイヴされる。長年のファンとしてはしかと見極めたいと思う。



参照:
お得なバーデン・バーデン 2017-03-21 | 生活
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする