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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

身体的運動で見出せる死

2025-03-30 | 文学・思想
日曜日の初日までにもう一度楽譜に目を通せるか。もう少しフランス語が出来れば定着したと思う。先ずは初日に行ってプログラムと字幕で前後関係を認識しないといけないかもしれない。とても容易なテキスト乍その真意は色々と迷う。

先日の指揮者エンゲルの解説を参考に先ず三部の完全な寓話のところから見た。一部の抽象性をより認識する為だ。音楽的には死の動機のような下降動機など非常に節約されているのだが、重ねられて、特に二部での混合音色は同じメーテルリンクの「青髭公」などを想起させる。

コントラバスまでも分奏となる一部ではより音列が扱われて、組み合わせて、力点をずらすなどの中世のホケテュス的な扱いで、素材の制限がなされている。同時に拍子も5、3が4に入れ込まれるなど、如何にもヴェテラン作曲家の書法であろう。速度も統一されて扱いで、演奏技術的な破綻を起こさない配慮がなされているように思われる。

メシアンやベルクなども研究している。勿論フランス語の使い方はドビュシーもなのだろうが、その言葉の音節という事では当然そうなるのかもしれない。因みにフランクフルトではこの新制作に続いて同じエンゲル指揮でオネゲル作曲「ジャンヌダルク」とドビュシー作曲「選ばれし乙女」のオリエ演出の制作が再演される。偶然にこの二つの制作を組み合わせたものではないだろう。序乍そのジャンヌダルクを演じるのは映画「ノルトヴァント」でヒロインを務めた女優さんである。その映画の監督が昨年復活祭で「エレクトラ」を演出した人で、またもやペトレンコやエンゲルが同じような世界の面子と仕事をしるのが分かる。件の女優さんは、素手便器のナチの若い兵士を支える役だが、映画のアップでは決して魅力的ではないのだが、舞台では悪くなさそうだ。
Trailer zu »La Damoiselle élue / Jeanne d’Arc au bûcher« von Claude Debussy / Arthur Honegger

Nordwand (Philipp Stölzl, 2008) (Eng. The North face, SK - Severná stena) incl. ENG, SK Subs



抜歯のあとは薬も出されなかった。女医さんもこちらに慣れたのであまり心配していなかったのか、夕方にスポーツしてよいかと尋ねるぐらいの人間に考えも及ばなかったのか。寒気がして、今迄の抜歯よりも厳しかった。理由は化膿が活きているからだろう。それでも夕食もしてシャワーも浴びたが、痛みもあったので痛み止めを服用して、就寝前にも飲んだ。朝もあまり気分はよくなかったのだが、肉屋に行けた。それでも部屋に戻る階段は結構苦しかった。やはりまだ健康体でないことが分かった。それでも午後給油する燃料代が安くなったところで、走りに出かける準備で車を走らせた。

決して安くないスーパーで1.69ユーロで、15リットルだけ入れた。それでもタンク容量の48%となったので、十二分走れる。そこで帰りに走りに出かけた。ゆっくり走っていたので後ろから近づく音を聞いた。男女のペアーで、女性はアフリカ系の軽快な足取りのお姉さんで、追い抜かれてから後を着いてきたのは30代の独逸人男性だった。足取りが重かった。あのお姉さんについていくのがトレーニングになっているのが分かった。若い女性と走るといいトレーニングになるのは間違いない。

こちらは弱っていたのだが、この抜かれる経過がよくて、折り返しは20分台で全然悪くはなかった。そういうものである。やはり無理とは思っていても身体を動かすとすっきりする。其の儘であったなら日曜日のフランクフルト行にも元気が出るということはなかったであろう。



参照:
罰金を避ける時計板 2025-03-29 | 生活
明らかになる現象「死」 2025-03-28 | 文学・思想

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