Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

手術台に射しかかる松蔭

2012-08-10 | 雑感
最近の国内の話題では臓器移植のスキャンダルが最も興味深い。実際が明らかにされればされるほど、如何に一般市民は医療の背後について無頓着であったかが思い知らされる。

移植の数が可也の量に上っていて、ドナーと患者数の不均衡ぐらいは周知の事実であったが、今回のスキャンダルの発端のように順番抜きで優先順位を上げようとする移植医の力関係などは考えてもみなかった。

自身の患者へと優先して臓器を入手しようとする感覚は、医師の患者との関係や自らの実績移植数争うなかで、考えてみれば当然の行いであるが、そうした明白な状況がなぜシステムとして公正な審査機構として十分に配慮されていなかったかが合点がいかない。

これは医療以前の社会的な規約や法的な検討の問題であるから、実際には医療問題では無いように思われるが、これが連邦共和国でのこととなると矢張りスキャンダルなのだ。どこかの国と違って知識層や文化人と呼ばれる層が比較的充実していて、高学歴化と反比例して希薄化が憂慮されているとは言いながら社会のエリート層が存在する国でということである。

その背後には伝統的に医療独自の聖域が存在するのかもしれない。まさに白い巨塔がドイツにも存在するということになる。特に大学自体が国立であり、高度な医療を行っている病院は公的な機関であるとどうしてもそこにアンタッチャブルな機構が生じるのだろう。

今後は、そうした臓器提供の機関と医療機関の金銭の授受など、一般市民どころか専門外医療関係者があまり知らない裏側も明らかにされて議論の対象となっていく。こうした複雑な機構が存在すればするほど、その枝葉の下に影が出来上がり、一般社会から隠される小さな闇が膨らんでいく。

闇の存在は、議論されない暗黒を生じさせるだけなので、出来る限り簡素化された社会機構が望ましいことには違いない。しかし、簡素化にも限界があるので、最も人間社会に有効に働くと考えられている市場の力学をそこに利用するのであるが、市場の機構の限界も一方において十分に知られている。



参照:
首に綱をつけてエスコート 2005-02-27 | 生活
医療現場の芸術の素材感 2010-06-16 | アウトドーア・環境
財政再建無ければ未来も無い 2011-01-13 | 歴史・時事
近所のアポロンとディオニソス 2010-07-25 | マスメディア批評
死期を先に延ばす荒治療 2010-06-18 | 雑感
更衣室で呟く前大統領 2008-11-24 | 生活
カローンが水脈引き行く 2007-04-28 | マスメディア批評
微睡の楽園の響き 2005-02-22 | 文学・思想
克服すべき倫理と回答 2007-06-12 | 数学・自然科学
怠け者は旨い汁を吸わない 2009-08-29 | マスメディア批評

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