月2回発行される建築雑誌「日経アーキテクチュア」に、「保存戦記」というコラム(4月9日号より隔号毎)を書き始めた。
僕が建築の保存に関わるようになったのは、母校千葉県立東葛飾高校本館取り壊し問題が発端なので12年を経たことになる。12年も経ったというより、まだ12年なのかという思いのほうが強い。建築観だけでなく都市の在りかたや社会の仕組み、更に人の生き方を、この保存の問題を通して考えることになった。大勢の人や組織との出会いもあった、というより現在形の「ある」という言い方のほうがいいかもしれない。
コラムは字数の制限があるだけでなく、当たり前のことなのだが、主語を明確に記述しなくてはいけないと編集者に鍛えられている。書き始めて改めて思うのだが、複雑な経緯と関わった人の思惑もあるので、短いなかでその状況を網羅するのは至難の業だ。
更にこの数ヶ月の建築界(というより企業の、或いは中央郵便局の場合だと国のと言っていいか)の様子がおかしいと思っていて、過去の成功例(失われたものの方が多いのだが)などを書いていていいのかと忸怩たるものを感じてしまう。要するに経済優先、言い方を替えれば「拝金主義」を何が悪いのかと開き直るような風潮を感じとれるのだが、その対処に四苦八苦しているからだ。
<東京中央郵便局>
5月1日付けで新聞各紙に「中央郵便局、高層化」と報道された。郵政公社は1日から東京中央郵便局の建て替え基本設計業者の募集を始めると書かれている。業者といういい方が気になるが、それよりも地上37階、地下4階、延べ床面積19万平米と詳細が記載されているのが気にかかる。様々な組織が建て替え検討のサポートをしていたことは聞いていたのだが。
10月の民営化で「郵政株式会社」の所有になったので不動産開発が可能になったからだと併記もされた。
郵政建築を率いてきた吉田鉄郎の設計したこの建築は、大阪中央郵便局などと共に、かけがえのない文化遺産だとして建築学会、建築家協会(JIA)、DOCOMOMO Japanから2006年5月19日、保存要望書を郵政株式会社宛に提出した。まだ郵政省の在った時代、僕がJIAの保存問題委員長時代に重要文化財、或いは登録文化財への指定や登録の検討要望を時の郵政大臣と、文化庁長官に出して以来、いくたびかこの建築の存在することの大切さを伝えてきた。民営化とは何だと考え込んでしまう。
今回の発表をうけて、急遽5月1日付けでDOCOMOMO Japanから民営化委員あてに、保存要望と共に既に各界から要望書が提出されている旨併記し、そのコピーと昨年行った「東京中央郵便局の価値」と題したシンポジウムの資料(報道した毎日新聞記事)なども同封して速達で送付した。芝浦工大の南教授も同日DOCOMOMOとは少し違う視点で記載した保存要望書を民営化委員に送った。
内閣は民営化委員会を設け、今回の実施に向けてとりまとめを行うとしている。
民営化委員は、評論家として名の知られている田中直毅委員長(21世紀政策研究所理事長)のほか下記4名で構成されている。
増田寛也・東京市政調査会 元岩手県知事、辻山栄子・早稲田大学商学部教授、冨山和彦・㈱産業再生機構清算人、野村修也・中央大学法科大学院教授。
発表を5月1日という連休の合間に設定したのは、反対意見や問い合わせを封じるために用意周到に調整したものと思われ、またこの発表を受けた民営化委員会を連休明けの5月7日に開催することなど考えると、これが今の日本の国のやることなのかと憤りを隠せない。
たまたま僕は1日に事務所に出てDOCOMOMO Japan会長の鈴木博之東大教授と打ち合わせができて要望書作成と送付をしたが、本来ならDOCOMOMOでは幹事会などを開いて対応すべきなのだ。
<三信ビル>
東京日比谷にある「三信ビル」に足場が掛かっている。表示看板には5月1日から解体と記されているが、2週間ほど前に所有している三井不動産宛にJIAから見学の申し入れをしたが、既に取り付けてある彫刻などの取り外し作業をやっているので許可できないとの回答が来た。
「残すことも検討したがどうしようもなかった」という三井不動産のコメントを記載した新聞記事が気になる。
今年の1月、僕がコーディネート役を担ってJIA主催によるシンポジウムを行ったが、足場設置を見て急遽JIAから保存要望書(既に2005年1月に提出、建築学会からも2005年3月提出)を提出した。保存問題委員会から持参して意見交換をしたい旨打診をしたが、六本木ミッドタウン公開作業に忙殺されているとのことで、時間をとってもらえなかった。したがって三井不動産の「なにがどうしようもなかったのか」という詳細を聞くことができないが、察するに、いろいろと工夫したが、「残しては許容容積がとりきれない」ということとしか思えない。
皇居寄りの道路に面した敷地は、暗黙の制約があって高さが抑えられているのだ。高さの制限のなかでは容積をクリアできない。結局経済優先、三井のシンボル三信ビルだって壊して当然だという企業論理が見えてくる。
いずれ彫刻などを取り付けたレプリカっぽい高層ビルが建てられ、歴史と記憶を継承したと自己宣伝する有様が眼にちらつく。
<中銀カプセルタワー>
黒川紀章の代表作というだけでなく、メタボリズム理論を実践した建築として世界に知られる「中銀カプセルタワー」が、所有者の5分の4の同意を取り付けたので解体する旨報道された。
僕は建築学会、JIA、DOCOMOMO Japanの要望書を理事長や、中銀マンションに持参したが、一度だけ対応してくれた理事長は、趣旨は理解できるが、私達は文化財などどうでもいい、お金を掛けたくないしお金がほしいのだと明快に述べた。そんなことは当たり前だろうというスタンスだ。難しい問題が内在しているが、黒川さんに聞いたところ、約30%の所有権を持つ中銀マンションは名称だけが残っているものの、実態は外資系ファンドに既に売却積み、まだまだ紆余曲折があるという。
この5月1日、僕は黒川さんと相談して、黒川都市建築研究所の所員とDOCOMOMOのメンバーT・Kさんと共に25名のクロアチア建築家協会の一行をこの建築に案内した。日本を訪れているこのメンバーは、京都などを廻ってきて東京の建築も見て歩くのだという。彼らはこの建築の様子を世界の建築界に伝え保存の要請をするといってくれた。日本より世界に知られている建築なのだ。
<栃木県県庁舎議事堂>
建築家大高正人の代表作、1969年(昭和44年)に建てられた「栃木県県庁舎議事堂」に足場がかかった。解体して駐車場にするのだという。
この建築は昭和44年度の芸術選奨文部大臣賞(美術部門)を受賞した建築で、工場生産をしたPC部材を巧みに用いてその架構をそのまま見せて、独特な内外部空間をつくり出した。その姿は今でも僕たち建築家の心を震わせる。
JIAからは2005年11月に保存要望書が出されているが、モダニズム建築の代表作がまた消えるのかと思うと、いてもたってもいられない気持ちになる。
東京駅とセットで、この景色が残ってほしいです。
60年代とか、ファンの少ない?モダニズム建築が簡単に
へっていくのも、とても気がかりです。
常に新しい建物しか存在しなくなるのではないかって・・・。
建築への想いのない人で構成される組織・・でないことを祈ります。
大阪の朝日ビルもね!
5月1日の読売新聞に三信ビル解体の記事が記載されていますが、「建物の老朽化と安全性の観点から解体はやむを得ないと判断した」という三井不動産のコメントが書かれています。なにもやらなければ安全性に問題が生じるのでしょうが、表向き発表はやはりそうなるのでしょうね。「安全性」というのは使いようによってはとても『危険なコトバ』なのだとこのごろ考えます。
建築家のおごりだと思いますね。