日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「虹の彼方に」から、集団的自衛権

2014-06-28 22:32:46 | 東北考
「日本にとってもっとも大きな脅威は北朝鮮でも中国でもなく、アメリカである。」
そして、今、日本の外交はひどい状態にあって近隣のどこの国(中国、韓国・北朝鮮)ともうまくいっていない、と続けて「自衛隊はアメリカの傭兵と化して世界各地へ送り出される」。
「これからの五十年を考えてみれば、日本が立つべきはアメリカの陰の中ではなく、アジア諸国とアメリカ合衆国とヨーロッパと途上諸国のすべてから等距離の位置である」。・・・「その基点が現行の憲法九条だ」。

こう書いたのは池澤夏樹である。

「虹の彼方に」とタイトルをつけたこの著作は、2000年から2006年のまでの間に、月刊「現代」や他の新聞や雑誌に寄稿した文章(コラム)を集めたもので、本稿は2005年の「諸君」六月号に起稿した一文の中から抜粋したものである。小泉純一郎政権の時代だった。
池澤はこう続ける。
「『集団的自衛権』とは要するに、徒党を組んで力の対決でことを決めるということで、実際にはボスに従うチンピラに成り下がるわけだ。この集団の中は決して対等ではない」。
そしてこの項を池澤らしくこう閉じる。アイロニイだ。
「アメリカを見ればわかるとおり、世界の警察を自称するのは危ない。では世界の消防を担うのはどうか。どこが違うかと言えば、消防士は銃を持たないのだ」。

北海道室蘭出身で、ギリシャに移住したことのある池澤は、日本を見るために沖縄に移住、その後フランス、札幌へ移り住んで世界と日本を見ている。
この著作のあとがきに「時代について書くことは、その先を予想することでもある」と記し、外れたものもあるが、`残念ながら`当たってしまったものもある`と「残念ながら」と書き添えるところに胸が騒ぐ。あとがきは本稿を書いてから2年後。しかし初出から9年経った現在、本日、まさに池澤の指摘が実体化されることに黙してはいられなくなる、僕の思いを池澤の、この9年前の想いに託して(引用させてもらって)ここに記す。

ところで、2007年7月、札幌と書かれたあとがきの最後の一言は「この先の7年はもっといい時代だといいけれど」。
さて池澤は、奇しくもそれから7年経った2014の6月の末、昨今のこの事態をどう捉えているのだろうか!
<文中敬称略>


写真家・飯田鉄さんのトーク「街並み、都市空間、建築物」

2014-06-20 18:41:08 | 写真

JIA(日本建築家協会)のアーキテクツ・ガーデンというイベントで、写真家飯田鉄さんをお招きし、写真を見せていただきながら話をお聞きすることになった。(6月26日木曜日,JIA建築家会館にて)

飯田さんは、朝日カメラ、カメラ毎日などの写真誌に登場、クラッシクカメラ談議で知られているが、様々なテーマによる写真展を開催して問題提起をしている。そして、写真を愛好する方々とグループをつくり一緒にまちを歩いて写真を撮り、その人達の発表する場をつくり出してきた。
同時に武蔵野美術大学で学生を指導し、大山裕氏や美術・写真評論家家大日向欣一氏、と「写真の内側・外側研究会」を結成して、写真論を展開している論客でもある。

嘗て僕は、オリンパスペンなどのハーフサイズカメラを持って街歩きをしたことがあった。大宮さんという女性が中心となった「三軒茶屋写真倶楽部」である。共に歩いて僕たちを触発したのが飯田さんだった。いつの間にかこの会は自然消滅したようなことになったが、そこで参加したメンバーの街を見る視点の違いに興味をもったことを思いだした。消滅したのは、社会が(カメラが)デジタルへ移行していったからかもしれない。写真を撮る行為は、社会と時代の変遷を身近に感じ取ることにもなるのだ。

飯田さんには「レンズ汎神論」、「使うライカレンズ」そして「街区の眺め」などの著作があるが、僕は汎神論という「神」という一文字を使うところに飯田さんらしさを感じ、街区の眺めでの作品群を見ると、飯田さんの写真家としての対象物との独特の距離感に魅かれることを不思議に思う。つまり僕の見る距離感との違い、写真を撮る僕とのスタンスの違いが興味深いということになる。

それはおそらく、写真を考えることだけではなく、都市や、村落、建築という対象物だけではなく、人が生きていくことについての距離感の違いという事ではないかとも思ったりする。26日には、そんなこのとやり取りもしてみたい。

当日、8ミリのムービーを短時間だが見せてもらえるという。それも興味深い。
このトークの後半では、飯田さんを囲み、会場の方々と一緒に写真を題材にしながら語り合いたいものだ。


蛙の子・軸装展

2014-06-13 16:41:46 | 愛しいもの

蛙の好きな娘が、水墨画の展覧会に出展した。そこには8匹の蛙が様々表情で鎮座ましましている。
アンディ・ウォーホルが好きで展覧会に行ったりする娘が、出光美術館など浮世絵の展覧会に妻君と一緒に出掛けたりしていることは知っていたが、「洛陽中国書法水墨院」を主宰する矢形嵐酔師に師事することになって1年ちょっと、これにはちょっと驚いた。
軸装展に出展したと聞いて、初日の6月10日、地下鉄南北線・三田線の白金高輪駅に隣接している高輪区民センター(高輪コミュニティぷらざない)の会場に妻君と一緒に出向いた。中国をはじめとして深い繋がりのある各国の中国書法の作品群も展示され、初めて見る好奇心が刺激される様々筆致の作品群に混じった我が娘の軸装を見て、おやまあ!と思ったものだ。
好きな蛙に取り組んでいるのも我が娘らしくて妙にほほえましくなったりした。
オヤバカかな!
新宿に戻り、エルタワーの地階、銀座ライオンビヤホールで3人で一杯やりながらの四方山話。夏の始まりの一夜だった。

この展覧会は、15日の日曜日まで開催。興味をお持ちの方にご覧いただける幸いです。

<写真、初心者、我が娘の軸装>

沖縄・ウチナンチュのパワー

2014-06-04 11:47:47 | 沖縄考

6月4日。一昔前になったが今日は92歳で亡くなった母の誕生日。赤紙で召集されフィリピンで戦没した父を伴侶とした母を思い起こしながら、僕の来しかたを振り返ることにもなる。

梅雨だというのに何故か雨の降らなかった沖縄での4日間。帰京してから猛暑が続いていたが、明日からどうやら天気が崩れそうだ。梅雨になるのだろうか?

コーディネータを務めた那覇市民会館で行ったシンポジウムで、「沖縄文化」の中での戦後に建てられた建築の存在を改めて考えることになったが、何よりも夜に2,3時間シフトしているウチナンチュのパワーに驚くことにもなった。
そしてJAZZのライブハウス沖縄での僕の拠点「寓話」で行った懇親会で、リズムに乗って踊りまくるシンポと展示会を仕切り、裏方で働いた若き男女の、カチャーシーをベースのリズムに乗った沖縄人のパワーとそのユーモラスな仕草に正しく脱帽。僕も引っ張り出されそうになったが、情けないことに尻込みしてしまった。
パネリストとして参加いただいた渡邊欣雄國學院大學教授や、80歳を超える詩人の川満信一さん、久し振りに建築を語れて建築家であることを自認したという真喜志好一さん、そして音楽家海勢頭豊さんとも談笑する。

そして先週は疲労困憊、事務所の床に横たわって2時間ほど寝ころぶ日もあった。
が、流石に我は元気全快、今日の午後は沖縄行きの2日前に行った母校「東葛高校」同窓会の記録を取りまとめて、参加できた同級生と参加できなかった者併せて200人強への発送の準備、その後 懇親会。
これから遠路柏市へ向かう。

<写真・沖縄ではなく千葉県柏でのライブ。司会をやった母校の同窓会2次会でのWUUで行ったバンジョーとギターによる演奏、バンジョーの吉原聡さんは高校の後輩、ギターの上野高志さんは吉原のバークリー音楽大学での同級生、歌っているのは飛び入りの同級生>