日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

踏み留まったレイモンドの「旧スタンダード石油会社社宅」

2005-09-26 13:43:02 | 建築・風景

残したい!本牧に建つレイモンドの「旧スタンダード石油会社社宅」(愛称ソコニーハウス)というメッセージで、僕のブログはスタートした。
ほぼ2ヵ月後の9月22日、「旧本牧スタンダード石油社宅と景観を救う会」の代表Nさんから、所有者の神鋼商事が墓地業者への売却を中止し、今後は建物付で取得してくれるところを探すことを、同月12日に決定したと連絡があった。

この住宅は1949年から50年にかけて、アメリカの大企業スタンダード石油会社の、外国人役員のための住まいとしてアントニン・レーモンドの設計によって横浜三渓園近くの高台に建てられた。
現在は樹木に埋もれて全容はうかがえないが、Nさんが送ってくれた(財)ケーブルシティ横浜 本牧センター提供によるVHS「レイモンドの本牧の家」を見ると、天井一杯に開かれた開口を持つモダニズム建築の典型とはいえ、打ち放しコンクリートによる建築の外壁に温かみのある縦張り板の張られた、建築家として思わず心が騒ぎだす建築だということがわかる。

JIA(日本建築家協会)の保存問題委員会の一泊二日で行う「理論合宿」(今年は8月の中旬土浦市霞ヶ関湖畔の国民宿舎で行った)で保存要望書の提出の検討をしたが、当初見学も許可されず状況確認ができないのでためらっていた委員が、このビデオで内部空間が映し出された途端溜息が出、即座に提出決定がされたことで、僕の言うこともあながち独りよがりでないことが解ってもらえると思う。

発端はレイモンド事務所のOB三沢浩さんの紹介でNさんから相談があり、何はともあれ現地確認をしようと、保存問題委員や既に提出を検討していたJIA神奈川のメンバー数名と現地を訪ね、Nさんに会ったことに始まる。
仲間と共に保存活動を始めた主婦でもあるNさんは、横浜市へ支援要請の要望書提出を検討しているとのことだったので、まず所有者に気持ちを伝えるべきだし、HPをつくることなどと意見交換した。その後のNさんたちの活動は目覚しく、所有者に保存要望をするだけでなく横浜市にも支援を求めて市の体制なども聞きだしたり、新聞に取材要請をし、三沢さんを招いてレクチュアの会を開催するなど、女性のパワー(と言うとしかられるか?)に驚かされる。
 
22日のNさんからの連絡は僕にとっても思いがけないことで、極めてレアケース。Nさんから公益法人のJIAから提出した保存要望書は、所有者を動かす大きな力になったと感謝を述べられた。今回の決定には,それだけでなく様々な思惑・状況があったとも思われるが、何より神鋼商事のこの決断を高く評価したい。
ひとまず解体は免れたが、それはまだ第一歩に過ぎない。今後はソコニーハウスを残し再生活用してくれるところを探すサポートをしていかなくてはいけないだろう。
蘇ったソコニーハウスをこの目で見、その空間を味わえる楽しみを目指して!
 

取り壊されるかもしれない「都城市民会館」

2005-09-24 18:23:01 | 建築・風景

都城という雅な風景をイメージさせる街が、鹿児島県との県境に近い日向の国、宮崎県の西南にある。人口約13万人の島津発祥の地。訪れたことはないのだが、菊竹清訓の設計した扇を開いたような、異型ともいえる都城市民会館のあることは知っている。
菊竹清訓は、DOCOMOMO100選にも選定された、自宅の「スカイハウス」(1958)や島根県のホテル「東光園」(1964)、「出雲大社庁の舎」(1963)などで知られる戦後の建築界を築いてきた建築家だが、川添登や黒川記章らと共同で提唱した「メタボリズム」理論も、建築界や社会に大きな影響を与えた。

この市民会館は1966年竣工。時を経て構造や設備など、変わらない部分と、変えていく部分を分けるというメタボリ実践の好例ともいえる。菊竹清訓には、1973年発行の「1956-1970菊竹清訓作品と手法」(美術出版社刊)という素晴らしい作品集があるが、この都城市民会館については、あの特異な形には触れずに、メタボリに関わる設備や光・空気といったことに終始して論じていて興味深い。当時の菊竹の意気込みといってもいいのだろう。
さてこの建築は、松井源吾(構造)、井上宇市(設備)、粟津潔(色彩)、伊藤隆道(アルミ緞帳)、NHK総合技術研究所(音響)、それに施工は鹿島建設という、当時の建築界やアートの世界の第一線で活躍していた技術陣やアーティストの総力によって建てられ、約40年近くに渡って都城の風景を創りあげてきた。
牧歌的な街に突然舞い降りたような、ライター磯達雄さんの言うコンクリートと鉄の「キメラ」(日経アーキテクチャー050110号)に市民は驚いたようだが、これもメタボリズム理論にのっとって生まれた形態で、今ではなくてはならない景色として定着している。

この建築が取り壊されるかもしれないという。

都城市は新しい文化ホールを建設中でそれに伴って取り壊す検討をしている。市では、市民会館管理運営対策プロジェクトチームを作り、2003年には市民にその是非を問うアンケートなどを実施してきた。調査の結果は、「そのまま存続、コンバージョンをして使い続ける」を併せると52,4パーセントで「解体する」をやや上回った。公表されている資料を読むと、存続については今や都城市のランドマークとなっており、長年市民に親しまれてきたという意見が多い。市は迷っているようだ。
今回新たにその是非を問うアンケートが為され、ある市民からDOCOMOMOに存続支援の要請があった。締め切りの9月15日直前だったので大勢の人に情報を伝えられなかったが、DOCOMOMOからと僕個人はこの建築を保存・活用していくことの大切さを市に伝えた。
 存続か否か、最終決定をするという12月までまだ時間がある。下記市民からのメッセージを読んでいただき、是非皆様からも都城市にメッセージを伝えて欲しい。
<写真・一市民の提供>
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<都城市の市民からのメッセージ>

都城市民会館はデザインの優れた大型建築作品です。

都城に残された最後の有名建築物です。
みんなが気付かないうちに、シンボルやランドマークになっていました。
昭和41年に菊竹清訓氏の設計により建てられたものです。
パリのポンピドーセンターにも菊竹清訓氏の作品として市民会館の模型が展示されています。
イタリアの建築学の教科書にも菊竹清訓氏の作品として市民会館の写真が掲載されています。
日本の残したい建築物100選にも市民会館の写真が掲載されています。
今、都城市の財政改革の一環で、古い、雨漏りする、維持費が掛かるということで取り壊されようとしています。
何とかこの建物を50年、100年と残していきたい気持ちでいっぱいです。
再生させる道を考えてください。
例えば、市民会館が菊竹清訓氏のアート作品なので、そのまま美術館に転用したら!
市では、島津久厚氏より重要な島津家資料を約1万点寄贈頂いているので、現在の美術館は、島津家資料館として模様替えする。
そうする事により、新規に島津家資料館を建設する必要がなくなる。
市民会館も長期保存と活用が出来る。
島津家資料館を新設する一方で、市民会館を取り壊すのは理不尽と思います。
改修費用は、島津家資料館を建設する費用と同程度と考える。15億円ぐらい?
ほかに都城市民会館を救ういいアイデアがあれば!知恵を下さい。



地球と生きる家

2005-09-20 11:16:40 | 建築・風景

建築と環境の関係が取りざたされるようになってから久しい、と簡単にいってはいけないくらい多くの時間をかけて、様々なメディアがこの問題を取り上げ論陣を張ってきた。しかし僕たちの身近なところでの実践はまだ数多くない。
環境は、大雑把に言って自然的環境と社会的環境に分けられると思うが、建築はそのどちらとも深い関わりがあるといえるだろう。今僕が語ろうとしている建築家野沢正光さんは、勿論社会的環境についても深い洞察を持って言及しているが、彼の主眼は建築を自然環境との視点から捉えることだ。主として室内環境を恩師と共にコンピューターを使って研究を始め、その成果を自邸をはじめとする多くの自作の中で生かし、それを社会に伝えることで建築と環境の関係の大切さを訴えている。人間は自然環境と一体になって生きている存在、だからそこにむやみに刃物を当ててはいけないと、かみそりで顔を剃ることもしないという、彼を語るときに、なにやら伝説的な言い方が囁かれたりする建築家。

つい最近出版された、子供たちに伝えたい家の本「地球と生きる家」(発行インデックス コミニュケーションズ)は、そういう彼の思いのこもった絵本だ。この絵本のシリーズ名‘くうねるところにすむところ`にも発行者の前嶋さんや、解説を書いた鈴木明さんの想いに共鳴する野沢さんがいると見た。
絵本とはいえ、建築家の僕が読んでも教えられることが多いくらいで、子供たちには難しいのではないかとも思うが、僕が気にすることでもないのかもしれない。学生時代、計画言論つまり設備が大の苦手だった文系の僕が心配することもないだろう。
「ぼくの家はこんなふうにできている」という自邸の断面図や写真も楽しいが、収録されている復元された岩手県御所野遺跡、竪穴住居の写真が、つい最近福岡の人口島アイランドシティにできた、伊東豊雄さんの話題作「ぐりんぐりん」にちょっと似ているのも面白い。

神様のこと

2005-09-15 13:15:19 | 文化考

我が家には、バリの神様がいる。オフィスにはマニラの神様がいて、僕の心には青森の真っ黒な大黒様が住み着いている。
バリにはいろいろな神様を売っている店がある。僕はこの背が1メートル50センチもある木の板に彫ってあって、渋い金色や紅、ブルーグレーで彩色がしてあり、顔などは一見胡粉で塗られていると錯覚を起こさせる神様を一目見て、一瞬にして虜になった。神様を値切っては罰があたるかなあ!と思いながらも散々値切って担いで飛行機に持ち込み成田まで持ってきた。包装が解けて顕になり、宅急便で送ろうと思ったら美術輸送でないと受け付けないといわれて戸惑ったことがある。

マニラの神様は、たぶん神様でなくいわゆる聖人。20年くらい前になるが初めて行った海外旅行がフィリピンのマニラで、従兄弟に連れていかれた骨董屋で一目惚れしたレリーフスタイルの木彫。欲しくなるとどうしようもない。硬木でこんなに重いものをよく持ち帰ったと思うが、素朴な眼差しがなんともいとおしい。
事務所に見に来てください!

問題は僕の心にある大黒様だ。`ねぶた`を観に青森に行ったときに、友人と回った骨董屋で見つけた煤けた真っ黒な大黒様。買えない値段ではなかったのに躊躇して手に入れなかった。それが十年経った今でも僕のまぶたから離れないのだ。青森での大黒様というのもちょっと変な気もするが、その大黒様が僕を呼んでいるような気がする。それ以来骨董屋に足を運ぶたびに大黒様を捜すが気に入るものが現れない。

何のことはない。神様といったってまあたいしたこともない美術の作品として心魅かれているといわれそうだが、僕にとってはそうとも言えないのだ。
もう一つ 僕を「パパ!」と呼んで皆をびっくりさせる街歩きの友人Y子ちゃんが、ラサに行った時にお土産にくれたアンティークな「マニグルマ」。時々これをくるくる回して、いい仕事がありますように!とか、人並みに、健康でありますようにとか、建築の存続がうまく行きますようにと目を閉じて祈っているのだ。 
でも僕の神様ってなに!僕はなにに向かって・祈っているのか?


大阪中央郵便局の品格

2005-09-08 17:32:20 | 建築・風景

9月1日より3日間、建築学会の大会が東大阪市にある近畿大学で行われたが、初日のPD(パネルディスカッション)に参加するため大阪を訪れた。大坂の街を歩き、建築を観て撮ることも楽しみに出かけたので、其の様子を2,3回に分けて書いてみたいとおもう。

PDのタイトルは「歴史的建築リストDB(データーベース)の活用と直面する課題」というもので、サブタイトルは、地域・大災害・協働となっている。僕の役割はモダニズム建築と学会のデーターベース、つまりDOCOMOMOの活動とこのPDを主催した「歴史的建築リスト整備活用小委員会」との連携について話すことだった。
延々4時間半にも及んだ各パネリストからの報告が面白く、珍しく身を入れて聞いたので自分の番がくる前に疲労困憊、言いたいことをうまく伝えることができたかどうか僕自身よく判らない。でも企画した主査川向正人先生の趣旨提言は、今の時代の課題を言い得ているし考えることも多かったので、機会があればPDの様子も合わせて紹介したい。

<大阪中央郵便局と東京中央郵便局>
人に品格があるように、建築にも品格というものがあるような気がする。今の僕は「知性」という言葉に魅かれるが、品格は知性につながっている。建築に知性というとちょっとどうかなと思うが「大阪中央郵便局」を一言で言うと、知性に満ちた`品格のある建築`ということに尽きるのではないだろうか。
東京中郵は、赤系のタイルや煉瓦によって建てられた東京駅や丸の内の建築を意識して、白色のタイルが貼られ、多分竣工時は新しい時代が始まる予感を感じさせて注目を浴びたと思うが、窓割など繊細なデザイン配慮がなされているものの、多少意気込んでいるような気がする。帝都東京の駅前に建つ建築としての威厳を求められたといわれると、さもありなんと納得させられるのだ。それを装飾で示すのでなくシンプルな形で感じさせるところが、モダニズム的といえるのだろうか。ブルーノ・タウトはそれを評価したのだろう。

<大坂中央郵便局・当たり前の風景>
8年を経て建てられた大阪中郵は、更に洗練されて落ち着いた薄ねずみ色のタイルになり、東京中郵で採られていた4階と5階の間に設けられた水平蛇腹もなくなり、深い庇と柱と梁とだけで構成された形、そこにはめ込まれたスチールサッシュのとの微妙なバランスの見事さ。僕は撮ってきた写真を目の前にしてこれを書いているのだが、視るほどにこういう建築があるのだと、心が沸き立ってくる。
設計した吉田鉄郎は、東京中郵時は弱冠37歳、大坂の時には45歳になっていた。8年の歳月が吉田鉄郎を大人にしたのだろう。この建築は並木の中に溶け込み、大坂駅前の喧騒、乱立された高層群をさりげなく受け止め、威厳的でもなく、古くもなく、新しくもなく、品格で其の存在を人に認識させ、商都の玄関先の当たり前の風景となって建っている。

時を経て(比較的新しい)「モダニズム建築にも成熟していくことがあることを経験した」と、自作のヒルサイドテラスに触れて槇文彦氏は述べているが(「メタボリズムとメタボリストたち・美術出版社刊)、少し意味合いは違うものの、大阪中郵を視るとまさしく其れを(僕は)実感できる。多分この建築は時を共有しているのだ。
朝10時だというのに大勢の人で客溜まりは賑わい、記念切手の発売日だったので特別のコーナーが設置され、お客と職員が笑顔でやり取りする有様を見ていると、建築は生きているなあ!と嬉しくなるのだ。

こういう建築を「つぶしてしまう」のだという。壊すといわずに`つぶす`という大阪弁は、実感がこもっていて怖いくらいだ。
どういう取引がなされているのかわからないものの、東京は前面を残して後ろを高層化することが可能といわれたりしているが(様子はある程度わかっているが今は言い難い)、大阪は市の再開発計画がされており、更に地下鉄新設の計画のあるようなことも言われていて残せないという。経済効果とか、開発が社会を生き生きさせるのだとか、民意によってとか、僕のメッセージを読んで悩みながらも開発ありきと談じた方がいるが、この建築を前にして佇み、視てもそういいきれるだろうか。
都市を更新していく大切さは建築家である僕はごく当たり前のこととして受け入れる。でもこの建築がはじめからないものとして計画していく都市の計画って何なのだろう。吉田鉄郎というかけがえのない建築家のいたことを忘れてはいけない。

大阪駅を出るとすぐ右手にこの建築が見えるはずなのに、JRの仮設ぽい駅事務所に塞がれていて駅前の風景を台無しにしている。僕のような大阪中郵フアンがいることも忘れないでもらいたい。