何時の頃からか、気になる写真がPC画面の右隅にひっそりと佇んでいる。斎場御嶽(セイファーウタキ)。樹々の隙間から見える海は太平洋!遥かな先の微かな島の姿。ここには何度も訪れたことがあるが、この写真のデジタルデータに20061105と記載あり、11年前の撮影ということになる。11歳若かった時の沖縄、11歳若い、フーと溜息が出てつい瞑目したくなる。この辺りの風情、さして変化はないだろうが、この数年訪れていないので、来春(例年2月)聖クララ教会でのコンサートに合わせての訪沖、立ち寄ってみようかとふと思った。
秋の日に聴くチェロとピアノのコンサート。
サン・サーンスのチェロソナタ2番の、マエストーソ、ラルガメントとされている第一楽章を聴きはじめて、この曲がいま(現在)の時代を象徴しているような気がしてきた。そして我が身の帰し越し方をふと振り返ることにもなった。異例である !
此の一文を書き起こしながら、改めて配布されたプログラムに目をやる。チェロを弾くのは小田急線沿線の秦野に住い、建築設計事務所を構える建築家久保寺敏郎、僕の出た明治大学建築学科の後輩でもある。曲の合間や、休憩時間に走り書きをしたメモ、そして「10回目の演奏会を迎えて」とタイトルされたプログラムに記載した久保寺とピアノを弾いた久保寺美帆の一文に改めて目を通し、瞑目する事になった。
1、(一曲目) 祈り――悲しみが胸に溢れるサンサーンス晩年の曲で、今年亡くなった心友に捧げます。此の曲を作曲したのは70歳のとき。サンサーンスは1835年の生まれ、1921年(大正10年)86歳で亡くなる。此の曲を冒頭に弾いた久保寺の想いに一夜を越して改めて心打たれた。そして休憩を挟んで演奏したチェロソナタ2番。こんな一文を記している。(文中一部略称)
1楽章は、力強く始まり激しい感情の起伏が増幅され・・・2楽章は8っの変奏曲形式・・・3楽章は心に染み入るう緩徐楽章、4楽章はピアノとチェロが絡み合い壮大に曲を構成していく・・・(以下略)。
時間と題したピアノを弾く久保寺美帆の一文。14歳のときに渡英してピアノを学び様々な賞を得た久保寺の姪、・・・チェロリサイタルも今年で10回を迎え、時間は瞬く間に過ぎていきます。世の中の平和を願い、多くの作曲家の音楽作品と出会い、演奏できることの幸せをかみ締め、ピアノが弾ける時間を大切にしていきたいと思います。この二人のコンビネーションに魅せられた。
そして第10回記念として演奏された`日本の歌シリーズ`。冒頭の「早春賦」。弾き始めたピアノの音を聴いて涙が出そうになった。春の小川、みかんの花咲く岡、と続いていく。会場から小さな声で囁くように歌う声が聞こえてくる。僕もムゴムゴとメロディを追うが、無念にも歌詞が出てこない。最後の一曲は`初恋`。そして拍手、幾つかのアンコールの最後に、久保寺はバッハの「G線状のアリア」を慈しむように弾いた。
此の秋の3連休、明日18日は敬老の日。不本意ながら我の日。新聞(朝日新聞)9月17日の全面を紐解きながら、この一文を記して置くことにした。
第一面冒頭の文字、太文字で「首相、年内解散を検討」とあり、ほんの少し小さい文字で`臨時国会冒頭も視野`とある。現首相、まだやる気なのか!とちょっとなあ!!その一文の左手には、拉致解決「いま動かないと」と題した北朝鮮拉致被害者の一人`蓮池薫`氏(現在は新潟産業大准教授)にインタビューした一文が記載されている。1970~80年代に日本人の失踪が相次ぎ、若き日の僕達を震撼とさせた事件を想い起こした。
一文を読み解きながら僕の心が騒ぐのは、被害者や家族の高齢化が進み、`拉致は国家の問題であると同時に家族の問題、家族が再会して一緒に暮らすにはいまだ切羽詰ったぎりぎりの時期にある」と語ったことだ。歴史を踏まえた此の一文を捉えたこの記者、何歳なのだろう!とふと思う。
「天声人語」。沖縄の『ガマ』を荒らした若者に言及し、`闇の向うから沖縄戦で倒れた約20万人が私たちを見ている`との一節に瞑目した。何度か訪れて、ガマの前で頭を下げたことを想い起こす。
2面。日朝首脳会談15年、核の脅威 拉致解決阻む、とのタイトル記事。日本、交渉手詰まり 圧力路線、とのタイトル記事。北朝鮮 体制維持優先 対話阻む。平壌宣言の骨格 事実上の「空文化」の文言も。3面には、編集委員・大野博人氏の`無関心と呼ばれる政治不信`と名打ち`文中には`民意を政治に届ける民主主義の動脈が彼方此方で詰まっている`との一節のある一文に、溜息が・・・4面、アベノミクスの「3本の矢」でまともに機能したのは金融政策ぐらいだ、との若田部早稲田大学教授一文。5面には「北朝鮮車両から発射」との記事。6面の社説2編。人づくり革命 言葉だけが踊っている、との一説と、五輪開催地難 運営の抜本的見直しを、の一文。
9面は「読書」。時折り参照するページ。ひもとく「壁」を考えると題した文化人類学者今福龍太氏の書籍紹介に目を凝らす。繰り返し読み込み、紹介された書籍を本屋で検索してみようかとふと思った。今号では読書ランが4面に渡って掲載されており、その紹介文に目を凝らした。
14面の広告欄は日曜日の.NHKで放映中の「オクニョ」の宣伝広告。愛聴していて今夜が楽しみ。広告ページを挟んで、15面、21面までスポーツ欄。未来ノートと題した稿にテニスの「錦織圭」が登場した。でも我が若き日テニスにのめりこんだ僕は、己がミスをするとラケットを地面にたたきつける錦織のその姿に許せないと思ったことに目が行く。ラケットガットを貼る職人・それに命を懸けている人への思いはないのか!お前はそんなに偉いのか!
ところで22面の広告欄、絵師アラン・ウエスト。仕事力、と題した一文、こんなことが書かれている。「私は幼い頃、地面から水を吸い上げ静かに生き抜いていく植物が美しく・・・その生命力は人間と同じだと感じ、描かずにはいられなかった」。26面文化の扉は将棋、多様化する戦法。 科学の扉は「土星探査 カッシーニ有終」、土星の大気圏に突入して役目を終えたとある。カッシーニは20年前に打ち上げられたことを想い起こし、20歳若かった僕自身が設計をした家など瞬時想い起こす。27面は「さがみ野」。そうか我が家はさがみ野にあるのかとつい首をかしげた。
30面、31面は「社会」。北朝鮮による拉致被害者と失踪場所を記載した紙面、「高齢化 成果なく15年」と「拉致家族は叫ぶ」と言うタイトルに瞑目したくなった。そして「集団自決」のガマ損壊容疑、と題した`4少年「肝試し」困惑広がる沖縄`と題した一文に、じっとしていられなくなる。
『夏の終わりに!秋が来る』と題した上記一文を本稿に記載してから9日を経た今日は9月9日の土曜日。大リーグ、ロッキーズとドジャーズの一戦を、我が家でTVをちらほら見ながらその稿に追記する。
ダルビッシュがノックアウトされ、アーア!と溜息がでた。しかも4回で5失点、何やってんだ!とつい愚痴たくもなりながら、冷房が要らなくなり、窓を開けての秋の風を慈しむ。
さて上記タイトル、こんなことを書いた。『8月31日、今日は夏の終わりの日。新宿駅から事務所に向かう途中の中央公園沿いの欅並木。・・・今朝の並木道、小雨降る、それも小粒な・・・でも蝉の音(ね)が聴こえない。』そしてこう〆た。『・・・秋が来るのだ』。
ところが9月に入った途端、新宿中央公園の蝉の音が復活。一週間たった昨9月8日(金)。心なしか力が籠もっていないものの、上記中央公園沿いの我が事務所への通い道、つい「ここを先途と蝉が鳴く」と言いたくもなった。海老名の我が家では、9月に入った途端蝉の音が聴こえなくなったが新宿の蝉は頑張っているのだ。・・・我が家では蝉の音は聴こえないが、厚木飛行場から此のあたりの空を引っ切り無しに迂回する軍用機の轟音が・・・どういうことだ!
・・・・・・<追記:一夜明け、ふと気がついたら蝉の音が、ところがそのあとが続かない。遠くにパトカーか救急車のサイレンが!我が家の秋の朝のひと時です>
新宿の中央公園ではツクツクボウシ(つくつく法師、寒蟬ともいうそうな!)の音(ね)が・・晩夏・初秋を味わうことになる。秋、「読書の秋」が巡ってきたのだ。
昨今、妙に時が経て行くことに目が向く。時に目を向けることは、とどのつまり、なぜ現在(いま)の己がいるのかと言う命題と対峙することになる。善きにつけ悪しきにつけ・・・そんなことを考える歳になったということなのだろうか? 以上前文(苦笑!)
久松潜一東大名誉教授の監修による`新潮国語辞典━現代語・古語━(昭和44年2月5日 第3刷発行)をめくりながら、此の一文を起稿することにした。冒頭に`監修者久松潜一のことば`が記載されている。其れを読み解いていくと、此の辞典がこの時代の様相を映し出す`鏡`なのだと言う思いに捉われていく。
冒頭の一文。「日常用いている言語は一つ一つ歴史があり、その由来の遠いものが少なくない。と同時に、一方では新しく造られてゆくものでもある。」と書き起こし、「・・・ここに新しき一冊を加えようとするのは、従来の辞典の不備を補うと共に今後の辞典のあるべき方向をいくらかでも具現してみようとした為に他ならない」と続ける。昭和四十年十月、とあるので僕が25歳のとき。
ぎっしりと小さな文字でうめつくされた2170ページ余りになる分厚い黒い表装。裏表紙を開くと旧国名地図(奈良時代末期~明治元年)が記載されていて、その下部にS44,5(此の辞典を購入したと思われる年月)ありその右手に妻君の名前が黒いペンで書かれている。更にその右手には、その妻君の字で兼松との文字が・・・彼女が僕と結婚する前に購入し、結婚直後に署名したということになる。
さて戦後なんと72年の歳月を経た。その間に数多くの国語辞典が世に現れた。此の新潮社の辞典は47年前の発行、僕が妻君と一緒になったほんの少し前に妻君が手に入れて持参したようだ。そして今でも現役、僕を支援してくれる言わば宝物だと言いたくなる。
辞書と言えば欠かせない「新字源」。角川書店昭和42年発行の漢和辞典である。編者は小川環樹、西田太一郎、そして赤塚忠の3人。赤塚忠先生は僕の高校時代の同級生の父親、東大教授だった。その同級生も東大を卒業して現在は山形大学の名誉教授。かつてこのブログの何処かにコンクリート打ち放しによる「赤塚邸」のことを記載した記憶がある。此の住宅が、建築家としての僕の処女作になったのだ。 <この稿・間を置いて続ける>