日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ロータス・ヨーッパのある、小樽・プレスカフェの夜

2011-07-23 18:05:26 | 日々・音楽・BOOK

札幌市立大学那須聖准教授の院生に講義するためのPPをいじくっていたら、日付が変わって7月の4日、明け方の3時になってしまった。
テーマは「歴史性と計画 資産・遺産の継承と建築的発見の探求」という興味深いものである。羽深教授研へ留学した韓国からの院生には、韓国第三の都市大邱(デグ)の日本が統治した時代の変遷の概要もレクチュアする。

明るくなってきた5時半に起きて羽田に向かった。社会人院生2年目になったMOROさんのBOX・CARで、内藤廣さんの設計した旭川の駅舎や偕行舎などを案内してもらって小樽に向う。講義は明5日、今年は、からッとして気持ちのいい北海道をのんびりと楽しんで下され!というのがMOROさんの心遣いだが天気は良くない。まあなかなか思うようにいかないのもまた楽し。

高速を走る車の中でうつらうつらしていたら、あの赤い奴、ロータス・ヨーロッパに乗り換えたいと言う。天気が大丈夫そうだから!雨の中を走らせるのが恐いのだ。
昨年に続いて乗ってみてくださいというので、恐る恐る尻を突っ込んで地面にくっつきそうなシートにもぐりこむ。シートベルトが伸縮しないので〆ると、足の短い僕はクラッチが踏み込めない。寝転ぶように必死で足を伸ばしてギヤを入れた。
こいつ!だから僕はこの車を『奴』と言いたくなるのだ。「この赤い奴!」。

日が落ちたプレスカフェの室内から灯りが漏れてくる。ライトアップされたメニューを置いたチンクエが中庭に鎮座している。ああ!いつものプレスカフェだ。
ターマスがニコリとうなずく。天井梁のBOZEからスローバラードがながれてくる。ピアノの呟くようなタッチが僕を迎えてくれた。

プレスカフェの日常が僕の、無論MOROさんの、ターマスの日常なのがじんわりと嬉しくなる。MOROさんはマンデリンで僕はイタリアン。このコーヒーを飲むことからいつもの小樽の夕闇が始まる。そしてメインディッシュはあの赤いケチャップを使ったナポリタンだ。メニューにない特別ディナーである。
去年、ケチャップの食べ比べをやって、こっちがいいねえ!といったらニヤリとうなずき、お主味がわかる奴だと僕を喜ばせたターマス。幾つも試してたどり着いたのが、そこらにあるコンビニで売っている奴だと言うので話が弾んだのだった。




飯田鉄の撮った「庭」の距離感 

2011-07-17 21:03:30 | 写真

新宿御苑前から10分ほど歩く`TOTEM POLE PHOTO GALLERY`で、飯田鉄の写真展「二つに別れる小道のある庭」を視て、写真家大日向欣一の問いかけによるギャラリー・トークを聞いた。5月27日、トークのテーマは「写真の変容について」である。
飯田さんからの案内葉書には「こんなことやります。例のベッサです!」とあった。ベッサは蛇腹による6×6版、レンズはフォクター75ミリF3,5、コンパクトなクラシックカメラである。

会場で配布された資料には、バーネットの「秘密の花園」をモチーフにした極めて「誌的な」メッセージが記載されている。そのエッセンスが、日本カメラ7月号に写真と共に掲載されていて妙に僕の心に留まっているのだ。

『写真は「秘密の花園」のように、時間を止めたり、またこれまでとこのあとを入れ替えたり出来る魔法の装置なのではないかとも考えてみる』。

日本カメラ誌での`口絵ノート`ではここで終わっているが、資料ではこう続く。「写す対象の外在的な意味合いに沿って目配りすることなく、ロールシャッハテストのように、私が撮影した写真自体に向いあって、ひとつの問答を繰り返すという方法をとってみた」。この一言はなかなか興味深い。
テーマ「写真の変容」は、既に還暦を過ぎて今まで行ってきた個展や著作を振り返って会場の人々に投影をし、感性の趣くままに心にとどまっていた「庭」を撮ってみた結果を、自身への問いかけと共にどうなのだ?と、あの穏やかな笑顔でさり気なく会場に投げかけたともいえるからだ。

ベッサで撮ったのが飯田さんらしいが、おやっと思ったのは会場での展示と、写真誌に掲載された写真セレクトの違いだ。
(1)ベッサは不思議なことに近接して撮ると4隅が欠られる。そこが面白いのと思ったのだが、掲載された写真では、庭の草花をクローズアップ的に撮った写真が少なく、対象とのいつもの飯田距離感を感じた。そこにはそれで深い味わいがあるのだが、会場で見たふんわりとした草花の姿が思い起こされる。
つまり、(2)一ページに12点のベタ焼き的に2ページに渡って掲載した写真は?この発表の写真のセレクトと組み方は、飯田鉄一人で行ったのか、編集者との共同作業なのか、編集者に委ねたのかを聴いてみたい。それはともかくこのベタ焼き構成を意識して百数十本の中で数本を撮ったのだとも受け取れる。トライだ。と思うのだが・・・

(3)若き日に読んだ「秘密の花園」の引用は、「廃園」のイメージだと言う個人的な記憶の残り方だと述べていて心が打たれるが、『庭』に「二つに別れる小道のある」とつけたのはなぜなのか。深読みはできるのだがそっと聞いてみたい。飯田鉄の花園・廃園は行き止まりではなく、通り道なのかと。

写真は、撮ることも視ることも、僕たちが生きることに深く関わる。
でも語りあうのは旨い酒で一杯やりながらがいい。

今治市庁舎一連の建築

2011-07-14 14:46:48 | 建築・風景
地元の人はともかく、丹下健三の設計した今治市庁舎の一連の建築を見る機会のない人が沢山いると思うので写真を掲載する。市民会館と公会堂の存続論議がされていて危惧を覚えるが、この建築群の今治における位置づけや価値、そしてその魅力を、多くの方々と共有したいと思う。
ことに行政を担う職員や市会議員、それを束ねていく議長や市長に、市の誇る丹下健三という建築家の存在や、日本だけでなく世界に建築文化築いてきたその軌跡と功績を認識していただきたいものと願う。
それにしてもなんとも魅力的な建築群ではないか!

<写真 左上・市民会館、右上・公会堂、左下・左に市庁舎、右に公会堂、右下・奥に後に増築した市庁舎、右は市庁舎:広場の反対側) 

丹下健三の今治市民会館危うし

2011-07-09 21:00:44 | 建築・風景

瀬戸内海に面する今治市は、人口165000人を擁する松山市に継ぐ愛媛県第二の都市である。
瀬戸内海をまたぐ、しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が開通し、姉妹都市広島県の尾道が身近になった思いがけず大きなまちだ。
と思ったのは、正しくバブルの時期、僕は新横浜を中心として沢山のオフィスビルの設計をしたが、収支のためのプログラムソフトを開発したのが今治の人で、何故四国の僻地でこんな素晴らしいソフトがつくれるのかと驚いたことを思い出したからだ。
無論僻地ではなかった!港町ではあるが、新しい建築が点在する四国では第五の人口を持つ、いわば大地方都市である。

初めて訪ねたのは昨年の4月、四国宇和島郡にあるA・レーモンドの設計した鬼北町庁舎(町役場)の保存活用のための委員会時に、委員会仲間の藤岡洋保東京工業大学教授と共に、傷み始めたまま放置されていて気になっている西条市の体育館(設計・坂倉準三)を見たあと、丹下健三の設計した庁舎や市民会館、公会堂を見るために訪ねたのだ。

藤岡さんは、丹下健三の代表作と言っていいのかと案内してくれながら気にしていたが、僕は市民会館のディテール(おさまり)に魅せられていた。
打ち放しコンクリートの梁や方立(格子のようなもの)のハメ殺し窓ガラスは、スチールによるシンプルな上下枠に組み込み、左右は工場でつくったPCコンクリートに溝を切って収めている。この施工では誤差が許されず、精度の高い仕事が要求される。だからこの建築がシャープなのだ。これに類する繊細な収まりが随所に見て取れる。

丹下はこの建築に命を懸けたと言いたくなった。
今治市は丹下健三の出身地で、名誉市民に推挙されている。丹下はそれに応えたのだ。

2度目に訪れたのは今年の3月4日、鬼北町の最終委員会の翌日に足を伸ばした。東日本大震災の起こる一週間前の、まだうっすらと雪の残る山街道をレンタカーで走った。
愛媛の建築家から、耐震診断をしたものの、市長が市民会館の建て替えをほのめかしていて、市民会館に続いて折版構造による公会堂も解体を目指しているのだと耳打ちしてくれたからだ。もう一度今治のまちと丹下の建築を見たい。

丹下健三は市庁舎と公会堂を53年前になる1958年につくり、1966年の市民会館による三つの建築群によって囲む外部空間を市民広場として位置づけ、港と駅を結ぶ大通りに延長上に配置した。1年前に訪れたのは日曜日で、その広々とした外部空間を感じ取ることが出来たが、2回目に訪れた3月時には車で埋まっていた。
駐車場にすることを丹下が望んだのだとは思えないが、再度確認したのは3棟の建築の高さを押さえた、このまちの景観の中の公共建築の正統な姿だ。
その後、同じ丹下事務所によって庁舎の裏手に高層による増築がなされたが、丹下の志したこの都市広場は残されていて、見事な調和が保たれている。

丹下は今治市の誇りだが、この一連の建築も市民にとって掛け替えのない誇りうる文化資産なのだと実感する。同時にこの建築は日本の建築界や社会に果たした丹下の存在や建築史、とりわけモダニズム建築としての存在を考えると、この建築群を失くしてはいけないのだと心が騒ぐ。
ハナエモリビルや赤坂プリンスという丹下の軌跡を考えるときに欠かせない、しかも超高層建築が日本で始めて解体されることを考えると、どこかで歯止めをかけなくてはいけないとあせる。

6月の市議会で市長は、中心市街地再生基本計画に基づいて、公会堂、市民会館改築の検討をすると、言い回しは微妙だが明言した。その裏には何があるのか、建築の存廃を単なる経済行為として考察する市長の思惑に危惧を覚える。
6月7日、建築学会四国支部とDOCOMOMO Japanは市長と市議会議長宛に保存要望書を提出した。新聞各社が大きく報道してくれた。

<写真 左が折版構造による公会堂、その右手の奥に建つ市民会館。この写真の右手に市庁舎が建てられている。絶妙な配置がなされているのだ>