日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

呉市安浦漁港の武智丸の防波堤

2015-05-30 22:59:56 | 建築・風景

瀬戸内海に面した広島県呉市の安浦町。その安浦漁港に、戦時中(1944年:昭和19年)に鉄筋コンクリートで作られた戦艦第一武智丸と第二武智丸が連結され、防波堤として設置されていると、前稿を読んでくれた沖縄の建築家がメールで知らせてくれた。<この防波堤は、安浦町の観光協会によると、「海の守り神として親しまれています」とのことだ。>

安浦港は、広島から松島港に向かうフェリーの航路には無く、点在する島影に隠れてその港と防波堤の様子を伺うことが出来ない。メールを読みながら、何時のことだったかコンクリート製の戦艦が作られたことを知って、複雑な思いに駆られたことがあったことに気がついた。
呉港の対岸は、旧海軍兵学校があった江田島。その呉港は、戦時中に戦艦大和をつくったが、現在でも軍港ともいえる風情だ。あの穏やかでうつらうつらしたフェリーでのひと時を想い起こしながら、瀬戸内海の一側面を知ることになって溜息がでる。
このいづれも、拭い去ることの出来ない日本の歴史の一側面でもある。つい2週間ほど前のひと時だったが、想い起こすと、と同時に国会で情けない野次を飛ばす首相の薄笑いが重なってきて、なにやら薄気味悪くもなった。

<写真 軍艦が係留している呉港>


広島港から、呉の軍港に立ち寄り松山港へ

2015-05-23 10:18:25 | 建築・風景

建築家梶本尚輝さんに建てた建築を案内してもらい、ヒヤリングするために新幹線`のぞみ`に乗って広島を訪れた。晴天に恵まれた5月17日、日曜日だった。
久しぶりの広島は、かつて何度か訪れた時のイメージが色濃く僕の中に留まっていることに気がついた。同時に山に囲まれた街の姿に驚くことにもなった。若き日、建築そのものしか視ていなかったのかしれない。

丹下健三の建築、平和記念公園の要「平和記念会館」の一階ピロティの、修復した打ち放しコンクートの腰から上の部分が網に覆われているのと、その間近まで数多くの観光バスが乗り付け、そこがバスの駐車場になっていて、丹下の理念、この建築の全体像と共に、中央から軸線を通してみる平和アーチと慰霊碑、その先の被災した「原爆ドーム」の姿が捉えにくい。
 
重要文化財になった記念会館は、免震工事が行われることになっているので、仮の姿として市は意に返さないのかもしれないが、沢山の海外からの見学者を見るにつけ、彼らにとっては一期一会かも知れず、被爆地としての細かい気遣いが必要なのではないかと痛感した。

その夕刻、同世代の梶本さんとは懇親の意を込めて酒を酌み交わした。翌早朝、車に同乗させてもらって、広島港から松山港へ、フェリーに乗って瀬戸内海を横断した。A・レーモンドの設計した愛媛県鬼北町(旧広見町)町役場の、保存改修のための委員会に出席するためだ。梶本さんは若き日、レーモンドに学んだ建築家である。

ANAの窓から観る瀬戸内の移り行く島々の光景を見るのが好きで、いつも窓際を取るが、海面から観たのは初めて、本州と四国の大地の区別がつかないままうつらうつらしながらの凪の瀬戸内海の島々は、まるで夢の中の景色だった。このフェリーは、一港だけ立ち寄る。呉港だ。そしてショックを受けることになった。
造船所にIHIの文字が大きく描かれていてこれが呉港かと思ったもったものの、海面に係留しているのはグレーに塗られた海上自衛隊の軍艦だった。呉港は軍港だった。軍艦群の姿は気味が悪い!
僕の思いをよそに、フェリーは粛々と松山港に接岸、近年政界でよく言われる「粛々」というコトバが胡散臭く思えたものだ。

<写真 瀬戸内海に浮ぶ軍艦>
 
 

上棟式の女の神様

2015-05-10 01:13:16 | 自然

栃木県の国道に面して建っていた商家があった。長い年月空き家になっていたが、3.11で被災し、通し柱が折れたり壁が崩れたが、主要部材と取り外した建具などを使って、山梨県甲州市塩山に移築的な新築をした住宅が竣工した。
その興味深かった上棟式を想い起こしている。

縁があって、文化財などの仕事をしている地元の建築会社に建ててもらうことになり、上棟式のときにこの地のやり方で良いかと問われ、建て主と相談して是非それでとお願いした。

さてどうやるのかと興味津々だったが、僕の好奇心を上回る興味深いものだった。棟梁をはじめとする大工連と現場を担当する社員の法被(はっぴ)・・といって良いのか?・・姿が堂に入っている。
さて、上棟式の神様は女、本来なら二階に式典の設定をするが、今日の建て主は女性、神様がやきもちを焼くので神様は2階に鎮座していただくことにしてお供えは1階に設置する。お祈りをし、棟梁は屋根に上ってそこから餅をまく。(クライアントと設計した僕に屋根先から四角い大きな餅を落としてくれた)

クライアントは茂原に土地を持っていて、娘が生まれたときに植えた桐が大樹になった。それを伐採して塩山に運び、板取をして一階の廊下の床と、集会の場にもなる広い玄関の天井に貼った。
さてお披露目は!庭木の整備(造園)が整ってからだ。

のんびりと休日を!改めて憲法を考える

2015-05-06 14:57:52 | 添景・点々

天気に恵まれたこの連休、久し振りに我が娘が帰宅?来宅!。
お土産は´京抹茶のワッフル´や中村屋の`新宿カリーあられ`と、5月23日から渋谷のイメージフォーラムで上映される、磯崎、安藤、伊藤、アイゼンマン、ジェンクス、コールハウスが登場するという「INSIDE ARCHITECTURE・建築家に未来はあるか」と題する映画の案内チラシである。

4日に富士霊園にお墓まいり、亡き父と母へ花を授けた。その足でプレミア・アウトレットへ車を向けたが寸詰まり、やめたと宣言して久し振りに`二の岡フーズ`へ立ち寄った。ハムやベーコンを取得。

5日、子供の日には海老名ビナウォークへ出かけた。大勢の家族がぎっしりの舞台、「手裏剣戦隊ニンニンジャー」で湧き上がっている。ちらりと覗き、僕は娘と妻君に勧められて、ニューバランスのズックを買った。通勤にも履くのだ。そして丸井の1階でコーヒー豆「ケニア」とブラジルの「ツッカーノブルボン」を買う。そこで二人と別れて三省堂でついつい篠田桃紅さんの「一〇三歳になってわかったこと」というエッセイ(幻冬舎刊)を買ってしまった。
お会いして語り合ったこともあり、パラパラっとページをめくって、ああ!桃紅さんだと思ったからだ。

5月3日は「憲法の日」。4日の朝日新聞の社会面の「改憲論議を問う」と題した特集に違和感と危機感を持つ。
小林節慶大名誉教授、谷口真由美大阪国際大准教授、柴山桂太京大准教授の論考、谷口氏の柔らかい論考はともかく、ことに改憲論者小林氏の9条は改正すべき、つまり侵略戦争放棄と自衛隊保持を明記すべきだという論考に危機感を覚える。一見護憲と思わせながら自衛隊を軍隊とすれば、「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」と明記されている9条の主論がなし崩しになるのは明らかだからだ。
沖縄の辺野古問題にも繋がる課題でもある。

<写真 海老名ビナウォークで「手裏剣戦隊ニンニンジャー」のイベントが終わった後、子供たちと握手すニンニンジャー>

東北巡り(2) 自然の原理の中で 盛り土

2015-05-05 12:17:05 | 自然

この度の東北紀行は、前項に記したように女川、石巻を森教授と共に小岩さんに車で案内してもらうことでスタートした。その女川も石巻も、そのまちの様を隈なく回ったのではなく、気になっていたところだけを案内してもらったということになった。それでも4年を経たその地の抱える現状の一端を生身で感じ取ることはできた。
石巻。
堤防構築工事がなされていて、内地側には柵があって近寄ることは出来ない。その向うに海があるのだが・・・
一本の少し盛り上げた仮設道路がただ走っていて人影はない。そして草の野原の1軒の放置された家屋の姿が僕に焼きついた。

朝日新聞の4月20日の社会面に、1200億円をかけて、120ヘクタールという膨大な土地をかさ上げ(盛り土)する復興事業がなされている岩手県陸前高田市の様相が特集されている。(市の)存続へ命運をかけた事業、という副題に、この記事を書いた杉村和将記者の一言にそうだと思いながらも、何かが気になる。

・・街に愛着を持つ人たちが各地でバラバラで暮らす現状を見ていると、中心となる街が消滅したままでいいとは思えない、とあり「陸前高田」が存続できるかどうか命運をかけた事業・・だと捉え・・応援する視点で見つめていたい、とある。そうなのだが、命運をかけた女川復興事業と、何かがなされているとも思えない石巻のこの地の一側面を見ると、単に人の生きることと、自然の原理との葛藤の回答の一つの事例だともいえなくなる。

東北巡り(1) 女川の駅舎と盛り土

2015-05-01 14:50:20 | 自然

5月に入った初日、何をするでもなく事務所に出てきたが、晴天の春日和、暖かくて夏日和とでも言いたくなった。
山形県米沢市の山奥白布温泉の西屋旅館に、若いスタッフの運転で建築家本間利雄さんに案内して頂いたときには、道の両側にはまだ雪が盛り上がっていて驚いたのがほんの二週間前だったのかと、思わずカレンダーをめくって確認してしまった。

さて、週初めに、購読している日系アーキテクチュア(4-25号)が届いてパラパラと頁をめくった。フォーカス建築の項に、´羽ばたく姿の膜屋根に復興への思いを托す´と題した「女川駅、女川温泉ゆぽっぽ」が紹介されている。
前項で「釈然としない形状」と書いた女川駅(宮城県)の駅舎の設計者が、世界で活躍し、2014年には国際的な評価とされるブリツカー賞を受賞している坂茂(ばんしげる:敬称略)だということをこの特集で知った。

実は建築誌では、阪神・淡路大震災時に復興時のための仮設の住まい構築に尽力した坂の活動や作品群を見ているが、建築の実態を見るのは初めてで、これが坂なのかと憮然とせざるを得ない。
津波への対応のために線路も敷地も7メートルのかさ上げをし、屋根を膜屋根として夜になると周辺から浴場を組み込んだこの駅舎が町のシンボルとして光が浮かび上がるのだろう。浴場(温泉!)を組み込んだのは、復興に取り組んでいる女川町長の強い要請によるとのことだ。

山並に対応したという屋根の形状は、坂のつくってきた建築言語のひとつともいえるのだろうが、何やら気味が悪い。復興に必死で取り組んでいる作業に、通りすがりの僕が何も言えたものではなく具体性のないいい方になるが、どこかに毅然とした建築家としての姿を読み取りたかったと思う。

住宅地、街並みを復興するための盛り土作業のために大型のダンプカーが行き交っている。2年前には建っていた駅周辺の建物は全て撤去されていて、倒れた交番だけを記録として残すとこの特集に記載されている。盛り上げた土地は、津波はともかく大きな地震に対処できるのだろうか。