日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「(旧)東京中郵」を登録文化財にしないように文科大臣に陳情」、その後「京都会館問題」を論議

2012-07-22 16:11:02 | 東京中央郵便局など(保存)

躯体の一部を残して改修し、高層化された「旧東京中央郵便局」が7月17日にオープンした。郵政サイドが残したとする部分を登録文化財にするよう文化庁に要請しているとの報道がなされている。
その報は、早くから風聞のようなかたちで伝わってきた。

危機感を持った僕と南一誠芝浦工大教授は志のある方々と相談し、4月29日にドコモモ ジャパンの主催として「都市環境におけるモダニズム建築の保存・活用」と題したシンポジウムを行った。
中郵問題(主として東京と大阪の中央郵便局解体問題)を取り上げて、僕たちの抱えている現在の課題を論議しようという思惑からタイトルが総括的になったが、要は『(旧)東京中央郵便局を文化財にさせない』ためと、一方の解体が始まったものの「(旧)大阪中央郵便局を重要文化財にする」ための論議を行うためだった。

その報告は、4月30日のこのブログに記載したが、沖縄問題にも触れたために分かりにくくなったかもしれない。趣旨の要は上に記したことに尽きる。

7月19日(木)、ほぼ2年に渡って、超党派の国会議員連ともリンクを取りながら活動した「東京中央郵便局を重要文化財にする会」の南一誠教授、事務局長の多児貞子、兼松(副代表)の3人で、第一衆議院議員会館に赴き、平野博文文部科学大臣秘書官に、ドコモモのリーフレットやシンポジウムの概要を記載してくれた建築雑誌の記事などを資料として、陳情書を提出して僕たちの懸念と趣旨を説明させていただいた。
この陳情書は、6月13日付で提出済みである。

この「旧東京中央郵便局庁舎」は、躯体の一部を残したとは言え、外壁のタイルは新しいものである上に施工状態も継承されておらず、さらに窓枠とタイルの収まりなども設計者吉田鉄郎が腐心した志を継承されたとは言えず、つまりこの建築は高層化されたことの論議は別の課題だとしても、オーセンティシティ(原初性や由緒ある正しさ)を継承したとは言えないからだ。
文化庁での論議を踏まえてもし仮に「登録文化財」になると、建築文化行政の今後に悪影響を及ぼす上に、今後日本各地のさまざまな歴史を担った大切な建築が、この例に習って破壊されていくことへの懸案を憶えるからである。

さてその後、ドコモモ ジャパンの定例会議に出席した。
この会合で上記の、陳情した旨の報告し共感を得る。ところで今回の会合の大きなテーマは前川國男の設計した「京都会館問題」である。

ドコモモ ジャパンの副会長に就任した松隈洋京都工業繊維大学教授から、京都市の策定した「京都会館再整備計画」に基づいて提出された「基本設計案」についての報告がなされ、参加したメンバーによる喧々諤々な論議がなされた。
京都会館の要、第一ホールを解体、建て替える計画は、設計した前川國男の志した京都の風土への対応や、時代を超えたともいえるこの建築の価値を継承しているとは言えず、同時にこの建築が建てられてきた50年の間に、京都市民の慈しむ岡崎公園や疎水の趣を損なうものだと僕も考察する。

やはりここでも、モダニズム建築であっても「オーセンティシテヒイ」の概念の継承、そして論ずる概念の一つとして「インテグリティ(純粋性、豊かさ・言い換えると建築の相対的な価値)」という言葉が表明された。さて論議は論議、この建て替えに至る市の不透明な仕組みの気味悪さなど、沖縄問題にも通じる課題である。
どう対処すればいいのか!

<写真 国会議事堂>

三浦しをんの「船を編む」を読み、わがデビューを想う

2012-07-15 18:49:40 | 建築・風景

各地の本屋の店員が選ぶという「本屋大賞」を得て大ブレークした、三浦しおんの「船を編む」読んだ。なんとも面白かったが、考えることがある。「船」は大渡海という辞書だ。船を編むは、辞書を編むである。

一つは、好奇心が誘発される辞書を編纂する仕組みの面白さと、馬締光也という主人公や林香具矢、国文学者の松本先生をはじめとする登場人物が魅力的で、皆好い人なのだ。毎朝楽しみにしているNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」もいろんな事件が起こるが、登場人物は皆好い人、微かに危惧を覚える好い人大好きな現在(いま)の市井を僕は慮って(おもんばかって)いるのだ。
もう一つは、若き日を取り戻せないもどかしさ、今の僕だったら!という思いの一言である。

僕の建築家としてのデビューは、三十数年前に取手に建てた「赤塚忠(あかつかきよし)邸」だ。
手元に赤塚忠先生(東京大学名誉教授)が、西田太一郎、小川環樹各先生と編纂された「新字源」(角川書店)がある。
赤塚先生は、高校の同級生で仲良くなった赤塚孝雄(現山形大学名誉教授)の父親で、中国古代思想の研究者だった。赤塚孝雄を見ていると、歳とともに親父さんの風貌に似てきて、声やしゃべり方までもそっくり、孝雄君は言いたいことを言うが、親父さんは若かった僕のことを息子のように扱ってくださった。

親父さんにはこう言われた。
「これが兼松君の建築家としてのスタートになるのだから好きなようにつくってくれ!」。
思い起こすと涙が出そうになる。だって僕は70歳で亡くなった先生の歳を越してしまい、では己は先生の志に達したのかと・・・でもここではそれには触れず、もしいまの僕だったら先生に、辞書を編む、つまり「新字源」を編むことについて根掘り葉掘りお聞きしたかもしれない。でもそう思ってもせん無いことだ。

親父に触発されたのか、孝雄君は東京大学に行ったが文系ではなく、工学部計測工学の途を選ぶ。
情報工学、当時のソフトウエアや画像処理、つまりコンピューター検証の最先端研究に携わるのだ。東大から筑波大学を経て赴任した山形大を定年で退いた後、山形県立産業技術短期大学校の学校長に携わり、つい最近ここに移り住んだ。

彼の自邸となった僕のデビュー作は、コンクリート打ち放しの外観の中に、モダニズム建築全盛時に神のような存在だった白井晟一の呉羽の舎や、吉田五十八が多用したハッカケによる回り縁を範にしたり、或いは穴空けラワンベニヤやタモ柾ベニヤの目透かし貼り、壁の一部に渋い紅色を塗るなど、その時代に影響されている。

つい最近、些細なメンテナンスをしながら想うのは、若き日ではあったがディテールに気を配っていることに僕の建築への想いの原点がここにあるのだとの確認である。同時に、時代の最先端を目指す世に名を残す建築家とは違う僕のスタンスを視ることにもなるのだ。この一文を書きながら感じているのは、かたちとして残る建築は怖いということでもある。

孝雄君に聞くと、赤塚先生は「船を編む」に書かれているように、常に用例採集カードを持ち歩いていたという。時代が移り、採集カードはタブレットなどに取って代わっていくのかもしれないが、辞書は時代の最先端を担うのだ。方丈記を読んでいて電子辞書で「栖」の文字を検索したところ、岩波の広辞苑には現れず、もうひとつの明鏡国語辞典(大修館書店)にはあった。岩波文庫フェアでの一点、方丈記なのに!

辞書余話:若き日の痛恨はまだある。柏中学を卒業するときに市長賞を頂いたが、その賞品が分厚い辞書(辞書名失念)だった。それをほしいという友人に売ってしまったが、数日たって思いなおして返してほしいと頼んだら、転売したとのこと、彼はささやかな利を得たのだろう。
賞状はどこかにしまってあるが、辞書は時代を映す鏡である。今になってそんなことを悔やんでいる。
情けなや!

愛しきもの 紐がこんがらがるタイの木馬

2012-07-08 11:54:13 | 愛しいもの

部屋の本棚の片隅に鎮座している馬がいる。操り人形なのだろうが、紐を操ろうと操り板を動かすと、糸がこんがらがってどうしようもなくなる。でも気になって時折そんなことをやってみてほぼ20年にもなるのだ。
この木馬人形は亡き母の喜寿の祝いに弟と相談して、タイのバンコクとチェンマイに母を連れ出したときに、どこか?で手に入れたのだ。
細工は荒っぽいが、それがまたみやげ物としてつくられたのではなく、少数民族のささやかな民族行事の道具のひとつだったのかもしれないとか、白く塗られた馬の胴体に細い黒線で書かれた枠の中に赤や黄色で彩られた文様が、その土地の神への志が表現されているのではないか!と勝手に想像して喜んでいるのである。

―建築は誰のものか(Ⅱ)― 京都会館の存続の課題

2012-07-06 14:36:26 | 建築・風景

「岡崎公園と疎水を考える会」から、メッセージを寄せてほしいとの依頼があった。送付した一文に少し手を入れてここにも記載しておきたい。京都会館改修計画は建築家香山壽夫氏である。

香山氏の「京都会館再整備(工事に関わる)基本設計の総括」によると、京都会館再整備の目的は(要約、)「これまで長く市民に愛され、親しまれ、また専門家にも高く評価されてきたこの建築の、優れた特質を尊重し、保ちつつ、さらに今後長く、生きて使われる建物として存続できるよう、必要な保守・改良の手を加えること」だとする。
その結果が、京都市の2011年3月に京都市が策定した「京都会館再整備基本計画」の下記三点だと明言する。
(1) 第一ホールは建て替える。
(2) 第2ホールおよび会議棟は保存・改修する。
(3) 会館全体を一体的に、そしてより活発に、利用できるよう諸空間、諸機能を拡充・向上させる。
しかし、香山氏の論旨は上記(1)によって既に論理矛盾している。市民に愛され、親しまれた建築を継承すると述べたそのあとで、取り壊して建て替えるといいうのだ。香山氏の、前川國男が風土に目を向けて腐心して抑えた高さの制限を撤廃して策定した計画案と温室のような(発表された計画案パースによる)囲いが建築の主体者市民の批判を浴びている。

―岡崎公園と疎水を考える会へのメッセージ―「建築は誰のものだ」
京都会館問題を考えるときに「建築は誰のものだ」という命題が浮かび上がる。個人の住宅であっても人々の生活に影響を及ぼす「まち」を構成するので「市民のものだ」と言いたいが、さまざまな課題が浮かび上がってきて、短絡的には言い難い。しかし少なくとも公共建築の所有権は市民にあると言い切りたい。同時に建築は、設計する「建築家のもの」でもあるといえるのかと問いたい。僕の答えは「NO」である。
つくられた建築が時を経ておおぜいの人々の共感を得てそこにあるのが当たり前の景観となり、まぎれもなく「市民のものだ」と認知されて「建築家のもの」にもなるのだと考える。

1960年に前川國男によって建てられた京都会館は、50年を経て前川國男のものになり、この度の事件(事件と言いたくなる)で紛れもなく市民権の確認を得た。東山を望む風土を汲んで広場をつくり、高さや形態、材質感に配慮し、さらにピロティによって、行き交う「市民と前川という建築家」の建築になったのである。

そういう建築であっても使い続けるためには、時代と場所に対応した手入れをする必要がある。
前川の育んできたオーセンティシティ(価値)を検証し、市民の意を受けることになる。ことに改修を担当する建築家にその認識がなくてはいけない。またその実現のための仕組みにも取り組む必要があると拝察する。

さまざまな課題が顕在化して、新たに武庫川女子大学建築学科長岡甚幸教授が委員長による建築の在りかたを検証する委員会「京都会館の建築勝ち継承に関わる検討委員会」がつくられ、この建築の価値の、つまりオーセンティシティティの検証がなされた。
提案された基本計画案は、この建築に敬意を表してオーセンティシティに対応した提案とはいえないと委員の大半がそう表明したが、この委員会の意向が反故にされたと嘆く状況は異様である。詳しい状況はよくわからないが、提案された基本計画に対してその是非や担当する建築家とのやり取りのできる(検証する)次の段階の委員会設置を、委員長主導によって構築する必要があったのではないだろうか。基本計画が提案された現在(いま)からでも遅くない。

現段階では、この建築は改修担当する建築家のものではないのである。まして、市長や議員、そして市の担当職員のもの、またオペラハウスにすることを条件に資金を提供するという企業のものでもないのである。 

<写真 京都会館第一ホール>