日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

旧旭川偕行社(旭川市彫刻美術館)での、船越保武と船越桂

2011-10-30 14:13:53 | 建築・風景
今朝(10月30日)の日曜美術館(NHK)で放映された「静かな美・船越保武」を見ながら、この7月に訪れた旭川市の旧旭川偕行社(旭川市彫刻美術館)での彫刻展、「船越保武×船越桂 静かな詩」を思い起こしていた。

僕と諸澤さんは、この彫刻展ではなく、陸軍将校のクラブとして明治期に設立され重要文化財に指定されている旧偕行社の建物を見るために訪れたのだ。嘗て全国各地に設置された偕行社がなくなりその建物も数少なくなったものの、高知県善光寺偕行社の保存と重文指定に尽力した建築家と面識があり、資料ももらっているので気になっていた。

建物はほぼ想定どおり(最近よく聞く想定外、想定どおりという言葉は何かきな臭いが!)だったが、入館したとたん、足が止まってしまった。
船越桂の作品に奇妙に魅かれ、何度も拝見したことがあり、その度に心が震える。あの眼は何を視ているのだろうかと! だがうかつにもお二人が親子だということに気がついていなかった。展示構成ははやや大雑把だが、父保武のブロンズ像と、次男桂の楠による人物像が向かい合う一室から始まる。でもここにキュレーターの想いが読み取れるのだ。
日曜美術館でのタイトルは「静かな美」。この旭川では「静かな詩」。`詩`はうたとよばせるのだろうか。僕は佇みながら「静かな時」といいたくなっていた。

長崎駅前の丘陵地に建つ「日本二十六聖人記念館 聖フェイリポ教会」(1962年今井兼次:DOCOMOMO100選)の保武の日本二十六聖人像のエピソードをTVで見ながら、これにも心がざわめいた。迫害されている二十六人の像をと依頼されたが、保武は二十六人の祈りをささげて昇天する像とし、そしてふと、自分が制作したフランシスコ・キチの像に若くして他界した父の面影を見る。心のどこかに常に父がいることにそこで気がつくのだ。

70歳直前に脳血栓によって右手が不自由になった父保武について桂はこう述べる。
粘土を押し込んだ荒い顔の「ゴルゴダⅡ」をみて、父は之をつくるために右手が不自由になったのだ(と言いたくなる)。そういう父に自分は及ばないと。

「後世に残したい西洋建築」リストを考える

2011-10-23 22:09:25 | 建築・風景

朝日新聞10月8日に記載された記事のタイトルは、リストではなくRANKINGである。
「後世に残したい西洋建築」の1位から20位までが表になって掲載され、5位までに写真があり、10位までには簡単な建築の紹介文が書かれている。
なるほどとも思うし、へー!と吐息が出るものもある。そして何よりもふーん!とうなったのは、その全てを僕は訪ねたことがあり、そのうちの幾つかは、改修工事中に見学をさせてもらったことのあることだ。

さらにランク外として建築名と所在する県名だけが書かれている建築も、全て見ているし、札幌の「サッポロファクトリーレンガ館」では、ビールを飲んだ。
それらの建築を案内してくれた人の顔や、出かけることになったその時の状況も浮かんでくる。小樽運河のように景観構成をしている製缶工場も見学させてもらったし、例のプレスカフェでは、一年に一回の訪問であっても、ターマス(マスター)に認知された常連さん(?)でもあるのだ。

リストをランク順に列記してみる。
(1)東京駅赤れんが駅舎(2)大浦天主堂(3)迎賓館赤坂離宮(4)小樽運河(5)札幌市時計台(6)大原美術館(7)旧岩崎庭園洋館(8)大阪市中央公会堂(9)琵琶湖疏水(10)奈良ホテル。
さて次の10選は。
(11)京都国立博物館(12)ニコライ堂(13)日本銀行本店本館(14)富士屋ホテル(15)北海道旧本庁舎
(16)函館ハリスト正教会復活聖堂(17)富岡製糸場(18)旧古河庭園洋館(19)東京国立博物館本館・表慶館(20)築地本願寺。

これらのリストは建築歴史の研究者や建築家が選んだものではなく、朝日新聞読者「アスパラクラブ」のウエブサイトによるアンケートによるもので、藤森照信さんの著作など参照して58の選択肢から一人7つまで選んでもらって集計したものだという。
58というリストの数(少ない)と西洋建築という言い方がちょっと気になる。

例えば熱海のブルーノ・タウトの設計した「日向別邸」はここで言う西洋建築ではないのかなど。だが建築の専門家でなく、一般人の人気リスト、そしてランキングだということを頭に入れて改めて眺めてみるとなかなか興味深い。藤森さんによれば、東京駅は復元工事が行われていて多くの人が見たことのある場所だからだろうという。2位の長崎の大浦天主堂は歴史ドラマの舞台になって知られた。

アンケートによれば「今に残る西洋建築には、近代化を経た強みと重みを感じる」「洋館の雰囲気が大好き、コスト重視の現代建築にはない魅力がある」との声が届いたという。
まあそうだろう。だから僕は、そうとは言えないいわゆるモダニズム建築の存在を伝えたいと思っているのだ。機能を重視し、市民のために安価で時代を切り開く技術にトライした建築家とつくった魅力的な建築を!

さて藤森さん自身のベスト5を尋ねたところ、(1)富岡製糸場(2)旧岩崎庭園洋館(3)神戸女学院(4)豊平館(5)万平館だそうだ。豊平館は札幌の中島公園の中にあり、建築学会全国大会の時に、建築歴史意匠委員会の懇親会を行ったことがある。藤森さんがこの5つを選んだということも面白い。

ちなみに21から25位までのリストは、東大本郷キャンパス、僕がビールを飲んだサッポロファクトリーレンガ館、日光金谷ホテル(泊まったことがある)、万平ホテル(コーヒーを飲んだことがある)、日本橋三越本店。

さて僕の5つ(順不同)を考えてみた。首相官邸、誠之堂、清風亭、旧東方文化学院東京研究所と、そしてあえて日向別邸を。
形や立場は違うがそのどれもに関わったからだ。
それにしてもやはり西洋建築という言い方は奇妙でもあり、面白いといえば面白い。どこかに皮肉っぽい響きも感じとれる。洋館でもなく西洋風建築でもなく日本に建った西洋建築。ところで日向別邸は、やはり西洋建築とは言わないだろうなあ!

<写真 迎賓館 1909年(明治42年)設計片山東熊 改修村野藤吾、平成の改修後国宝指定>

沢木耕太郎の「旅する力-深夜特急ノート-」:週間ブックレビューを楽しみながら!

2011-10-16 16:33:24 | 日々・音楽・BOOK
テレビがデジタルになって時間帯が変わったので、録画して繰り返し愉しんでいる番組がある。NHK BSプレミアムの「週間ブックレビュー」である。土曜日の早朝6時半からになったのだ。
毎週メンバーの変わる3人が興味を持った3冊の本を紹介し、そのうちの一冊を合評するスタイルで、そのあと話題になっている本の著者を招いてインタビューする。そのどれもが興味深く面白い。司会者二人で掛け合う呼吸が絶妙で、紹介された全ての本を読んでみたくなるのだ。そして作家とは何者だ!と思うことになる。

僕の3冊とはなにか。最近読んだ本を考えてみた。
あさのあつこの「木練柿」(こねりがき)と、沢木耕太郎の「旅する力-深夜特急ノート-」には心が揺さぶられた。そして「旅する力」に触発されて再読した沢木が43歳のときの「チェーン・スモーキング」。
「木練柿」は別の機会に書くことにして、沢木の二つのエッセイに触れてみたい。
ふと感じたのは、26歳のときにユーラシアへの旅を思い立ってスタートした紀行文「深夜特急」は、多くの若者をゆさぶったが、沢木の人生を決定付けただけではなく、若者たちの生きかたをも動かした。

副題に`深夜特急ノート`とあるように、このエッセイは、`深夜特急`に触れながら、沢木自身の人生の変遷を記述している。第五章は「旅の記憶」。旅には適齢期というものがあるのかもしれない、とある。それが26歳だという。
「26歳になったので会社を辞めて日本を出ることにした」という人が現れるようになったと書く。
26歳。棟方志功から(正確にはちや夫人から)インドに旅するので一緒に行かないか(しかもお金を出してあげるからとまで!)と誘われたのが26歳だった。同行していたら、と考えることもあるのだが・・

一緒に仕事をした事のあるT君は、ウラジオストックから列車でイタリアへ向かった。思い出すと僕の周囲にそういう旅にトライした建築家の卵が何人もいた。沢木も触れているが彼は「バス」にこだわった。とは言え、僕たちを惹きつける深夜特急という出色のタイトルを思いついた沢木は、数は少ないが深夜を走る夜行バスに乗ったことを後悔していると述べる。通過した街のさまが解らないからだ。
僕は一度だけだが沢木の話を聞いたことがある。十数年前になるのか!JIAトークだった。

若き羽生善治にヒヤリングしてきたと述べたことも記憶に新しいが、深夜特急を題材にして「旅」を語った沢木に、質問しようとしてためらったことを鮮明に憶えている。そのころの僕は、写真家藤原新也の「旅」を生々しく、また耽溺的に撮ったといいたい写真とともに構成した「全東洋街道」に魅せられていて、忽然と登場した棋士羽生のことと、藤原新也の「旅」をどう思うかと聞いてみたかったのだ。ためらったのは、どこかに藤原新也と比べて物足りない思いを吐露しそうで不躾付けになることを恐れたのだった。ところが年を経て読み返してみると、若き沢木の瑞々しさがなんともいいではないか。

もう一遍の「チェーン・スモーキング」は、多少の気負いがなんとも楽しく、壮年という年代の熟成の自信が読み取れる。沢木の一面に思いを致すのである。

「旅する力」のあとがきの後に、深夜特急をドキュメントしたTV番組で沢木耕太郎役をやった大沢たかおとの対談が掲載されている。
年配者としての沢木の言葉使いにオヤッと思った。そして旅をするときに、ある年齢を感じると述べる。僕より7歳若い沢木耕太郎にそういわれるとねえ、と思ったりもする。
9月の末に、建築家たちと鎌倉を歩いて見た彼岸花(曼殊沙華)の写真を記載する。「彼岸」、僕が初めて海外に行ったのは26歳から15年を経た41歳、戦死した父終焉の地フィリピン、ルソン島を訪ねる旅だった。


150選展で一緒に働いた若者たち

2011-10-08 18:30:29 | 建築・風景
10月3日の夜9時、DOCOMOMO Japan150選展が終わって撤収作業を行い、11時前にはきれいに片付けて、帰宅する全員が見事に終電に間に合った。

運搬を担ってくれた日本通運の担当者Fさんが、翌朝立ち会った新横浜の倉庫に搬送した時に感銘を受けたとつくづく述べたのは、ドコモモメンバーと共に展示していたパネルを取り外し、梱包作業を和やかにしかも見事なチームワークによって、のめりこむように取り組んでいた学生たちの姿である。
その作業だけでなく、6年前に行った100選展パネルの点検のために明大生田校舎の建築学科製図室に預かってもらったパネルの荷おろし、3階への運び込みと、積み込み作業を一緒にやり、展示作業の様子も感じ取っていたのだ。

いまどきの学生を見直したというそのFさん自身が、ドコモモにシンパシイを感じてくれて、夢中になって一緒に撤収のための梱包作業してくれたのが痛いようにわかる。
いや指導する先生がいいんですよ!と茶化したがそれもまた僕の実感である。
僕たちは建築文化を伝えるために、ことに、どこにでもある普通に使われているモダニズムと言われるジャンルの建築の魅力と、それを設計した建築家の存在や、共に支える施工する技術者の技術の大切なこと、それが歴史を形作ってきたことを伝えようと思っているが、先生方は自身の言ってみれば社会活動する姿を見せることによって、次代を担う学生にそれを伝えている。それも教育者としての大切な一齣なのだ。こういう学生に支えられていると述べる教師もいる。

学生と話すのは楽しい。

昨夜、渡邊研司東海大学教授が学生二人を連れて僕の事務所に来てくれた。
ポスターを折りたたんで箱詰め作業をするためである。150選展のポスターは、広げるとポスターになり折り畳んで表紙(カバー)で包むとカタログになるという工夫をして下さった寺山祐策武蔵野美術大学教授の、その発想と共に誰しも感動するデザインなのだ。しかし発送費が思いがけず高くなり、手渡ししかできなくて沢山残っている。印刷所で機械折したものを送って広げてポスターとして使ってもらったからだ。
いずれ昨夜僕たちの折ったこのカタログは、DOCOMOMOの会員に送付する。


僕も狭い事務所で学生と談笑しながら一緒に折った。今夜のJapanとベトナム戦のサッカーから話しが始まった。
澤の何度見てもどうやってゴールしたのかわからない離れ業が、修練を積んだ技術の成果だと共感し、今回の作業で日大の女子学生と仲良くなって一緒にプレーをして楽しんだボーリングの話を聞いた。かつて若き日の僕がのめり込んだボーリングやテニスに話しが飛んだ。考えてみたら建築の話しは一言もしなかった。

「観てきたよ。良かったよ。明らかに建築やってますな学生くんもいたけど、知っている建物があって立ち止まっている人も結構居たっぽい。私ら素人がみるとただのなんてことのない汚い(笑)建築が、実は結構貴重ななんだな、って思うかも。
少しその辺の建物にたいして見方も変わる人もいるかもね~な展示だと思いましたわよー」
9月24日、始まったばかりの会場に行った僕の娘からのメールである。