今朝(10月30日)の日曜美術館(NHK)で放映された「静かな美・船越保武」を見ながら、この7月に訪れた旭川市の旧旭川偕行社(旭川市彫刻美術館)での彫刻展、「船越保武×船越桂 静かな詩」を思い起こしていた。
僕と諸澤さんは、この彫刻展ではなく、陸軍将校のクラブとして明治期に設立され重要文化財に指定されている旧偕行社の建物を見るために訪れたのだ。嘗て全国各地に設置された偕行社がなくなりその建物も数少なくなったものの、高知県善光寺偕行社の保存と重文指定に尽力した建築家と面識があり、資料ももらっているので気になっていた。
建物はほぼ想定どおり(最近よく聞く想定外、想定どおりという言葉は何かきな臭いが!)だったが、入館したとたん、足が止まってしまった。
船越桂の作品に奇妙に魅かれ、何度も拝見したことがあり、その度に心が震える。あの眼は何を視ているのだろうかと! だがうかつにもお二人が親子だということに気がついていなかった。展示構成ははやや大雑把だが、父保武のブロンズ像と、次男桂の楠による人物像が向かい合う一室から始まる。でもここにキュレーターの想いが読み取れるのだ。
日曜美術館でのタイトルは「静かな美」。この旭川では「静かな詩」。`詩`はうたとよばせるのだろうか。僕は佇みながら「静かな時」といいたくなっていた。
長崎駅前の丘陵地に建つ「日本二十六聖人記念館 聖フェイリポ教会」(1962年今井兼次:DOCOMOMO100選)の保武の日本二十六聖人像のエピソードをTVで見ながら、これにも心がざわめいた。迫害されている二十六人の像をと依頼されたが、保武は二十六人の祈りをささげて昇天する像とし、そしてふと、自分が制作したフランシスコ・キチの像に若くして他界した父の面影を見る。心のどこかに常に父がいることにそこで気がつくのだ。
70歳直前に脳血栓によって右手が不自由になった父保武について桂はこう述べる。
粘土を押し込んだ荒い顔の「ゴルゴダⅡ」をみて、父は之をつくるために右手が不自由になったのだ(と言いたくなる)。そういう父に自分は及ばないと。
僕と諸澤さんは、この彫刻展ではなく、陸軍将校のクラブとして明治期に設立され重要文化財に指定されている旧偕行社の建物を見るために訪れたのだ。嘗て全国各地に設置された偕行社がなくなりその建物も数少なくなったものの、高知県善光寺偕行社の保存と重文指定に尽力した建築家と面識があり、資料ももらっているので気になっていた。
建物はほぼ想定どおり(最近よく聞く想定外、想定どおりという言葉は何かきな臭いが!)だったが、入館したとたん、足が止まってしまった。
船越桂の作品に奇妙に魅かれ、何度も拝見したことがあり、その度に心が震える。あの眼は何を視ているのだろうかと! だがうかつにもお二人が親子だということに気がついていなかった。展示構成ははやや大雑把だが、父保武のブロンズ像と、次男桂の楠による人物像が向かい合う一室から始まる。でもここにキュレーターの想いが読み取れるのだ。
日曜美術館でのタイトルは「静かな美」。この旭川では「静かな詩」。`詩`はうたとよばせるのだろうか。僕は佇みながら「静かな時」といいたくなっていた。
長崎駅前の丘陵地に建つ「日本二十六聖人記念館 聖フェイリポ教会」(1962年今井兼次:DOCOMOMO100選)の保武の日本二十六聖人像のエピソードをTVで見ながら、これにも心がざわめいた。迫害されている二十六人の像をと依頼されたが、保武は二十六人の祈りをささげて昇天する像とし、そしてふと、自分が制作したフランシスコ・キチの像に若くして他界した父の面影を見る。心のどこかに常に父がいることにそこで気がつくのだ。
70歳直前に脳血栓によって右手が不自由になった父保武について桂はこう述べる。
粘土を押し込んだ荒い顔の「ゴルゴダⅡ」をみて、父は之をつくるために右手が不自由になったのだ(と言いたくなる)。そういう父に自分は及ばないと。