日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

白井晟一の雄勝町役場シンポの帰り・通り抜けた小野小町の郷で!

2016-08-28 12:28:59 | 建築・風景
撮った写真を検索していたら、単に露出不足だとも言い切れない気になる一枚が目に留まった。何処で撮ったのだろうと眼を凝らすと、微かに`道の駅おがち`という看板の文字が読み取れる。

データを検索すると6月12日の撮影。秋田県湯沢市で行われた「白井晟一」の設計した`旧雄勝町役場`を何とか保存したいというシンポジウムに、パネリストの一人として招聘されたその帰り道で立ち寄った秋田県最南端の`道の駅`だった。

シンポを聴講しもらい、車で送ってくれた仙台の建築家西村明男さんが、この地で採れる珍しい野菜を選んでお土産にとプレゼントしてくれたときの一枚。行き道は仙台の建築界の一翼を担う針生承一さんに、帰りは西村さんの車でという贅沢な旅、その道中、やり取りした建築談義は、僕が言うのも変だがこれもまた得も言われぬ面白さ、録音して於けばよかったと思ったことが心に留まっている。

更にこの「おがち」という街は、なにやら懐かしい平安時代の歌人「小野小町」の生誕地。パネル化された小町の案内板などに見入りながら、ホー!と溜息をつく旅になったものだ。

竹とんぼと東葛高校同窓会

2016-08-21 12:22:59 | 小、中、高、大という時
母校、千葉県柏市に在る「県立東葛飾高校」は、2年前に`医歯薬コース`が設置され、今年度から2クラスの中学校を併設し、千葉県で二校目になるという`中高一環教育重点校`になった。 

58年前に卒業した僕達同級生は、卒業と同時に「葛の会」と称する組織をつくり、有志が集って読書会を行ったり、エッセイや近況報告を取りまとめながら、ガリ版刷りの会報を発行したりした。
そして、ある時(おそらく32年前)から5年毎に賑やかな同窓会を開催してきた。そしてこの6月、喜寿を迎えることに思いを寄せ、地元の柏や松戸、取手、野田近辺の同級生を中心としたメンバーから、柏から四十数年前に転居した神奈川県海老名市に居る僕にも相談があり、本来なら3年後に行う予定だった第7回の同窓会を開催する事になった。

葛の会は、その昔はともかく、柏市内の要所にビルを所有して柏市の様々な活動を担っている仲のいい小柳が、事務局長的な役割を果たしてくれている。
考えると不思議な感じがしないでもないが、この僕たちの`葛の会`には代表が居ない。同窓会をやる毎に誰かが言い出しっぺになってその同窓会の代表が決まる。さて!今回の`葛の会`僕は2度目の発起人(世話人)代表を担うことになった。そして会合の前に小柳を誘って母校を訪ね、教頭先生に母校の現状をお聞きした。

2年前に行った前回に続いて僕は、同窓生名簿の表紙のデザインをし、今回は代表として巻頭文を起稿した。その一部の抜書きを下記に転載する。

・・・『ところで母校のある柏のまちは、常磐線沿線の主要都市として変貌、とは言え遠くに住む私にとっては‘懐かしい故郷`とは到底言えないほど様代わりをしました。折りしも熊本で大震災が起って沢山の方々が亡くなられ、私事ですが小学生時代を過ごした熊本県の天草市下田(当時は天草郡下田村)の様相が気になって同級生に電話をして無事を確認、手術を繰り返している彼の体調を聞いたりしました。その下田は市になったものの過疎化が進んで同級生たちも離散し、母校も廃校になってしまったことをふと思い出しました。』・・・

実はこの日の前日、当日出席と回答していた取手駅の近くに住んでいた盟友が急逝した。
今回の代表として冒頭の挨拶をする僕は、彼の死去を伝えるかどうか心が定まらないまま壇上に上がり、しばらく瞑目して口から出た言葉は、盟友死去の報告だった。

<写真の`竹とんぼ`は同級生の小熊からのプレゼント。竹とんぼ名人の彼から何時ものようにホイと渡されたが、飛ばしてみると正しく名人、得も言われぬ見事な飛び方、今回は先端に赤印のあるのも一つ、左利き用の竹トンボだった>

小田急沿線・ただ見て歩き(1) 民家 鶴川文化センター

2016-08-16 20:46:50 | 建築・風景
何時の頃からか、おそらく朝のみとは言え、ロマンスカー通勤をするようになった3年ほど前から気になっていた家屋がある。鶴川駅を通過するときに右手に垣間見える古ぼけた民家、大屋根と下見板張りの外壁とのバランスがとてもいいように見え、「建築家はこの家屋を超えることができるか!」とアジ的なタイトルが思い浮んだ。

しかも屋根が茅葺でも瓦でもないトタン(亜鉛引き鉄板)の様相。でも錆びだらけ。建てられたのはおそらく数十年前、この様相を見ると、このあたりは戦災を免れたのだろうとも思われるが、もしかしたらこの地の大地主の母屋だったのではないかと夢想する。

この夏、10日間ほど夏休みをとることにした。
そして予てから目論んでいた小田急沿線の、気になる幾つかの建築を見て歩こうと思い立った。そのスタートが鶴川のこの民家。

鶴川の駅を降りてのブラ歩き。歩き始めてオヤッ!と思ったのは、この道歩いたことがある、という既視感。そして現れた家屋、広い空地を前にして車が3台駐車しており、1階前面のかなりの改装がなされた様相を観、嘗て思い立って訪ねてみたものの、車窓から見るイメージとの落差があって、文章化できなかったのだと想い起こした。
一階の中央には出入り口があったと思われるが壁になっているし、その仕上げ材に違和感を覚える。とは言え もごもごと我一人つぶやく。この空地は嘗てはお屋敷の庭だったのだろう。そう思うと好奇心が湧いてきた。

道に面して妻入りの入り口がある。「鶴川文化センター」の大きな看板が掛けられている。職員に会えれば様相が解るのだろうが、この日は夏休みとかで入り口のガラスドアには鍵が掛かっている。
でもまあこうも思った。この地の田園風景の中に、或いは嘗て此処に在った集落の中に建っていた大きな庄屋、ふと僕はこの3月に訪れてヒヤリングした岡山の建築家大角雄三さんの田畑に囲まれた実家、改修した嘗ての大きな庄屋屋敷の姿を想い起こしていた。




この夏日、オリンピックを観ながら、キャメロン展を想う

2016-08-07 16:32:44 | 文化考

光を受けた積乱雲の漂う夏日、アスリートと彼らを支える人達の、時折浮き浮きし、そして時折涙ぐみたくもなるリオでのオリンピックで戦う選手の様を味わいながら、2週間前に拝観したジュリア・マーガレット・キャメロンの、「視線」とサブタイトルをつけた写真展を想い起こしている。

久し振りに訪れた東京丸の内の三菱一号館美術館。
広くはない展示室を巡り歩くこの美術館は、作品群やその展示構成によって味わい方が異なるので是非交々。でもこの写真創世記の写真展構成とクラシカルな展示室の有様、更にこの時代の女性がトライした写真が醸し出す空気観が折り重なって、得も謂れぬ味わいを醸し出している。
こういう世界があるのだと、会場を改めて見渡しながら感じるものもある。

1815年(江戸時代)にインドで生まれたキャメロンは、英国の上層中流階級の社交界を楽しんでいたが、写真という記録媒体に惹かれ、独自の感性で写真技術にトライしながら上流階級の人々の撮影にトライする。

撮影の対象はキャメロンだからトライできた上流階級の人々であるとは言え、単なる記念写真ではなく作品である。大人と子供のやり取りが聴こえてくるような芝居のささやかな一齣を感じさせるような画面構成、遠くを見つめる女性のプロフィールにしても、その微細な女心の一齣を感じ取れる。
そして乾板作成という技術にトライしてプリントアウトした、ほぼ150年程前になるオリジナルプリントも展示されていている。久し振り写真とは何かということを考えさせられた。

<この写真展は9月19日まで開催されている>

夏の日に 蝉の音を!

2016-08-04 14:18:25 | 沖縄考

蝉の音が喧(かまびす)しい。
新宿の西口を出て事務所に向かう朝の9時半頃、ヨドバシカメラや世界堂の脇道を抜けて京王プラザホテルの左手の欅並木の道をゆっくりと下っていくと、ここを先途と鳴き喚く蝉の音を、我が身に受ける。さらに西口公園の脇道に差し掛かるとそれはまあ騒音(!)の坩堝(るつぼ)。
時折、手が届く幹にへばりついて鳴いている姿を見てしばし立ち止まるが、その懸命な姿が微笑ましくなってしまい、まあ頑張れよとでも言いたくなる。その僕の足元には、寿命尽きて転がっている姿が目に入ることもある。踏まれるのは不憫だとも思い、拾い上げて木の根っこあたりにぽいと置く。

しかし、新宿の蝉の音はまだしも、この7月に訪れた沖縄、一泊した宮古島の「かたあきの里」の蝉の音は狂癲動地だった。
眼があいたら、まだうす暗いのに一瞬頭が(聴覚が)おかしく(異常に)なったのではないかと思うくらいのわうんわうんとの異常音、どうしたのかと思ったら蝉の音。こういうものかとは思ったものの、此の地が揺らいでいるような気もしてくる。そうだ!、夏だ!、とこの異郷の地が愛おしくもなった。

余話を。
一番座、二番座の背後にある三番座(奥の座・プライベート室)におかれたベッドで一泊。
ふと眼があき、帰宅したらしき若き男女の笑い声とやり取りが聞こえてきた。壁にかかっている時計を見たら午前2時。そうかここは、沖縄の民家の形態を取り込んだ10軒ほどの宿泊施設、僕の向かいには、夏休みの若き青年男女が宿泊しているのだろうと思ったものだが、すぐに僕は寝こんでしまった。

<写真、一泊した宮古島「かたあきの里」の家屋>