新宿超高層街の欅並木。街の喧騒の中から蝉の鳴き声が聞こえてくる。学校が夏休みになり街の景色は夏真っ盛りだ。
梅雨が明け、からっとした夏日がくると思ったら蒸暑い。東京近辺が連日33、4度、名古屋が36、7度。とうとう昨日の多治見、タイルや陶磁器の里が39度になったそうだ。熱中症で亡くなった方もいると伝えられた。僕たちの住むこの日本で。
ヒートアイランド現象、地球温暖化だと新聞でもテレビでも連日報道しているが、自然現象ではなく人災だという問題認識である。問題認識はあるが政界も財界も手をこまねいている。
人はつまり僕たちは短いスパンでしか物事が見えない。インドや中国、そしてアメリカの対応はおかしいとは言うし、各国の抱える問題は理解もできるし、だからと言って誰しもそれで仕方がないとは言わない。しかしそれが施政者や財界人の単なる「際限のない欲」によるものだとは言わない。誰もがそれでいいとは言わないのに言えない亡霊のような今の社会の組織とは何なのだろうか。
日経アーキテクチユアの最新号の冒頭に、首都大学東京高橋日出男教授の、「都市を襲う局地的な集中豪雨」は超高層街に多発するとの研究成果が記載された。
10日ほど前、駅を出て事務所に歩き始めたらパラパラと雨が降り始め、あっという間に豪雨になった。
バケツをひっくり返えしたような、いやいや浴槽が?いやそんなものではなかった。小さな湖の底が抜けたような、と言いたくもなった。
あっという間に舗道が池になった。折りたたみの小さな傘は何の役にも立たない。あまりなことに呆れながら歩いて事務所に着いたが、困った。着替えがない。
Gパンを通りこしてパンツもびしょぬれだ。人が来たらどうしよう!
1時間後事務所に着いた妻君が僕の格好を見て笑った。どうしたの?
今年の夏はいろいろなことを考えさせてくれる。
3年前の7月、ふと思いついてブログを書き始めた。壇ふみの書いたエッセイに登場した安藤忠雄さんのコメント、思わずにやりとさせられたこういう軽いタッチで建築を伝えたいと思ったのだ。
「ブログ」というのがあるよと教えてくれたのは娘だ。
お蔭様で大勢の人に読んでいただけるようになった。ブログを通して終生の友とも言える人との出会いもあった。日経アーキに「保存戦記」と言うコラムを1年間書かせていただくきっかけにもなった。
何気なく書いたJAZZと酒。コメントをもらって驚いた。JAZZ界に関わりのあるいわばプロ。僕にとってはJAZZの師というだけでなくJAZZによって人の生き方にも思いを寄せることになった。マイルスの人生、麻薬の時代、僕がJAZZにのめりこんだ時代の出来事に驚いたりする。
僕の世界が広がったのだ。
イギリスにいる知人が、僕のブログを読んで大人のJAZZ、エラとジョーパスのテイク・ラヴ・イージーのCDを買って奥さんと秋の夜を楽しみ、美味いと書いたアイレイをお土産に空港で買い求め喜ばれたと手紙が来た。アナログ人間の僕が、デジタル化していく今の時代を認識することになった。
『生きること』を書いた。
父と母が書き残してくれた僕が生まれたときからの「育児日誌」を紐解いたのだ。戦争の時代の「普通の一家族の記録」だ。この記録(エッセイ)はファイルにして母の一周忌に来てくださった親戚の方々に差し上げた。
ブログと言う媒体がなかったら書いてみようと思わなかったかもしれない。人が生きるということはどういうことなのかとつくづく考えた。皆様にももう一度読み返していただけるとうれしい。
ささやかだけどこのブログをこれからも大切に書き綴りたいと思う。膨大な(ちょっと大げさ!)新聞のスクラップをひっくり返しながら書いてみて、一晩置いて読み返して手を入れてUPしている。
4年目に入った暑い日の独り言です。
<写真 君子蘭・4月から5月にかけて咲く花なのに7月末の今見事に咲いた。育てている妻君は、狂い咲きだと苦笑しているがなんとも綺麗だ>