PK戦になって駒野の球がバーを弾き、JAPANのW杯が終わった。抱きかかえられる駒野を見ていて、僕も涙が出た。JAPANはいいチームだった。ウインブルトンでは、ビーナス・ウイリアムスが負けた。
「閑話休題」の後半をUPします。でも其の前に一言だけ。TV中継のアナウンサーがのべつ幕無し能書きを言い続けるのに閉口し、耳をふさいだ。残念だった。
さてその翌日の写真展。
写真家飯田鉄さんからの案内は、四谷三丁目Rooneeでの「ライカレンズの楽しみ」。土曜日の夕方パーティーをします、カメラ好きの人たちです、なんて書いてある。でも頼まれた原稿もあるので1時間半をかけて出掛けるのは辛い。
飯田さんの写真はM9ではなくM8で撮った王子近辺の都市の光景、深いカラーの発色に魅かれた。流石にデジタルのライカを使いこなしている。プロに向ってこんなことを言ってとも思うが、僕が言うのだから仕方がないと彼は苦笑するだろう。
そしてもう一つ。麹町JCIIでの、若松豊光作品展「百花 誰が為にか聞く」。
思わせぶりと捉えられかねないタイトルだが、ベス単(単は一枚のレンズ)で撮った昭和30年代の日本の様。
風景とは言いたくないし、光景というのも言い得ていない。モノクロのふわっとした風景なのだが、引きずり込まれた。この撮影者は、建築家、坂倉建築研究所のOB、若松滋さんの父親なのだ。
坂倉のOBでJIA神奈川の代表もやった金子修司さんからメールが来て、建築家会館の役員会で、7月に発行される会館のシリーズの第三巻「建築家の清廉上遠野徹 北のモダニズム」の試作版に掲載された僕の撮った降りしきる雪の中の上遠野徹自邸の写真を見て、僕の自然への想いを感じ取った。同じく感銘を受けたベス単若松豊光の写真を見て欲しいというものだ。
あの時代の日本社会の受け止め方が僕とは違って、何故そこに眼を向けたのかと思わせられる写真だ。それは又其の時代の日本にはそういう風景があり、若き日の僕は一体何を見ていたかという想いと裏腹なのだが、これは出来得れば別項で論じたい。
二つの写真展(27日に終了しました)を梯子して、新宿の「日本設計」プレゼンテーション室で行われるDAAS(建築デジタルアーカイブス)の運営委員会に出席する。理事長の槇文彦氏から退任したいと申し入れがあるので後任の候補者を検討したのだかどう思うかと、国交省の高見さんに問いかけられた。候補者は親しくしている人なので、成る程と思いながらもぐもぐと答える。
会議の終わった後、JIAでの「JIA―KITアーカイヴス運営委員会」に出席。
議題についての意見を取り交わした後、ふと僕がもらした、日曜日のpm6:00より放映されていたNHK3チャンネル、マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱講義」論議に、相田武文さんや仙田満さんが夢中になった。
相田さんはアメリカの学生に設計課題を出して講義をしたことがある。おかしな提出案にときどきぶっ切れたくなるが、アメリカの教師はとことん丁寧に学生に付き合う。それが1年経つとその学生が考えられないくらい成長する。それとマイケル・サンデル教授のハーバードでのこの講義が重なって見えるというのだ。
そして日本の今の学生たちはねえ!と仙田さんが同調して嘆いたりする。サンデル教授のテーマ設定も興味深いし、学生の考えを引っ張り出す其の方法も見事だが、教授と渡り合う学生が素晴らしいといったものだ。
でもね、アレはいいところだけを抽出して番組構成しているに違いないと力み、僕たちの会議室は和やかな笑いに満ちた。こんな会話が満ちるところが建築家集団・JIAの面白いところで、だから僕は時間をやりくりして出かけるのだ。
其の僕はつい最近早川書房から出版されたサンデル教授のこの講義を取りまとめて書いた「これからの´正義`の話をしよう いまを生き延びるための哲学」を持っている。
僕は教授のテーマの「正義」だけでなく、TVで関連して論考した「コミュニティ論議」に興味があるのだ。この本がベストセラーになる日本も、棄てたものではない。
ところで僕はこの一文を、決勝トーナメント韓国とウルグアイ選(残念ながら韓国が敗退した)の始まる前、TVドラマ「交渉人遠野麻衣子」をチラチラと見ながら書いていた。
舞台の建物が瞬時写りおやっと思った。DOCOMOMOで20選に選定した林昌二さんの設計したパレスサイドビルの、改修されたエレベーターホールだった。