日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

秋はきぬ―古井由吉の「雨の裾」

2015-08-27 14:03:06 | 文化考

西の空はうっすらと明るい。
深夜、ふと目覚めた時の豪雨はすごかったと思いながら、TVで朝のニュースを見ていたら、各地の暴風雨で車がひっくり返った様子が映り、昨今、不穏な政状と重なり合ってすっきりとしない。

4階の窓から、傘を差さないで歩いている人を見て駅に向かった。
隣駅、本厚木始発の電車に厚木で乗り、座席に座って読みかけの古井由吉の「雨の裾」を開く。町田で降りてロマンスカーに乗り換える。
`躁がしい徒然` `死者の眠りに` と読み進めるうちに、これはエッセイなのか、古井由吉氏の自伝なのかと混沌として来たものだ。糸遊という文字に`かげろう`とルビがふってあって作者の想いが伝わってくるものの、ルビなしの漢字にどうやって読むのかと困惑しながら、老いていくことの`糸遊`(かげろう)を思う。
そして、書かれたあっけなく人が死んでいくことに、僕の生きてきたことと、3歳年上の古井氏の目が離せないこの短編集に、しばしば目を閉じてしまう。

一昨日深夜の豪雨の余波、夜の空けた新宿中央公園の蝉時雨がパタッとやんで『秋はきぬ』と感慨を覚えたが、一夜明けた今朝の森、ここを先途と蝉が鳴き森が震えている。なんとしたことか!
`秋はきぬ`は、幻か・・・・
歩道には動かない蝉が、そして数えきれない押しつぶされたミミズの痕跡が!

秋はきぬ。 


愛しきもの 愛用している万年筆たち

2015-08-23 14:41:39 | 愛しいもの

バリバリと仕事をこなしていたほぼ十年ほど前から書き馴染んできた万年筆のキャップが、くるくると回るようになって困った。我が愛しきMONTBULANC(モンブラン)である。僕は手紙や葉書をこの万年筆で書く。手に馴染み滑らかな書き味は絶品としか言いようが無い。
購入した小田急百貨店の10階にある伊東屋に出向いた。でもこの一文を書き始めて気がついたが、品名がわからない。現在(いま)のカタログにも載っておらず、店員に聞いておけばよかった。

さて、店頭で相談して直してもらうことにした数日後電話をもらった。修繕費は3万円くらいになるかもしれないと言われて、流石にちょっと考えた。分解掃除をして内外装小部品交換の必要がある。キャップの修繕だけではなくペン先の調整もしなくてはいけないとのこと、でもこの書き味を変えたくない。「書き味が変わると困るんだけど」とは言ったものの、いずれ書き馴染んでくるだろうからイイやと思ってよろしくとお願いした。

僕は、封筒の宛名はセーラー万年筆の「シータ」で書く。この21金クロスポイント仕上げ(KICA処理)による太めのペン先の書き味は、モンブランとは一味違うが、滑らかでインクの出方もよくやはり絶品だ。これもまた僕の宝物だ。僕の筆記用具、このペアに、モンブランのボールペンが加わる。

さて嬉しいことに思ったより早く直してくれた。モンブランのシリアル番号などが記載されているペーパーが三枚添付されている。験し書き、良さそうだ。そして自宅に戻って友人に手紙を書いた。言いようもない滑らかな書き味、インクの出方も申し分なし!

<ところで嘗て、僕の筆記用具ついて書いたことがあった。調べてみると「愛しきもの」シリーズの2011年6月19日の項で、この万年筆に触れていた>

錦織の活躍と不可解な準決勝、盛夏の中の「日本車いすテニス選手権大会」

2015-08-16 13:38:34 | 日々・音楽・BOOK

― 8月14日―
カナダのモントリオールで開催されている「ATPテニス マスターズ1000」の3回戦で、錦織圭がベルギーのD・ゴファンにストレートで勝ち、準々決勝に進んだ。14日(金)(日本時間)の朝のその見事な勝ちっぷりに、人間の可能性を感じた。

その余韻の中で、ふと友人からのメールを思い出した。厚木市の南毛利のオムニ(人工芝)のテニスコートで行われている「第32回車椅子テニス大会」観戦への案内である。
彼女は嘗てのテニスの仲間、試合でペアを組んだことは無いが、東京都体育館や有明コロシアムの国際大会に誘われて出かけ、線審をやっている様を楽しんだりしたこともあったテニ友である。今はテニス倶楽部での試合には出るものの、審判に徹して活躍している。

南毛利といわれて思い出したが、嘗てこのコートで、海老名市の代表(シニア)として都市対抗戦に参加したことがあった。この夏休み、来宅している娘と妻君がなにやらごそごそとやっている。TVで観た錦織の活躍に浮き浮きとしていて、娘を誘ってみたが敢え無くNO!「ちょっと出かけてくるよ」というと、二人は「どうぞどうぞ」となにやら嬉しそうだ。

この全日本の大会は、ITFランキング男子20位以内・女子は10位以内・クアード4位以内の選手は参加申し込みできないともらったプログラムに記載されている。
車椅子テニスと聴くと誰しも描くのは、世界のトップ4冠を達成した国枝慎吾と女子シングルス・ダブルス同1位の上地結衣の名だ。しかし車で自宅から20分弱のこの地に全国から参集する大会のあることを知らなかった。
其れはさておき、この大会はITF(国際テニス連盟)と、JWTA(日本車いすテニス協会)の公認を受け『地域と気持(心)のストローク』という大会スローガンを掲げている。

会場に着いたときは、ジュニアのシングルスが行われていた。男女を問わない対戦によるこのジュニアの試合は昨年から行われるようになったようだ。コートから少し高い観戦通路から初めて見る試合にのめりこんだ。一緒に観る片足の無い車椅子の選手の明るい表情にちょっと救われるような気もしてくる。
家族や大勢のプレイヤーが子供たちの試合に見入る。そしていいプレイがされると大きな拍手が一瞬沸く。すると車椅子で観戦している選手たちから、拍手は控えようというささやきが起った。相手の選手を思いやってのこと、でもやられた選手もニコニコと笑顔、プレイできる喜びを謳歌しているようだ。
『可愛いね!』という観戦者の囁き声が聞こえてくる。
主催する神奈川県車いすテニス協会とともに、数多くの後援、協賛、協力者(企業)名称と、新幹線新横浜駅、羽田空港での送迎時間などがプログラムに記載されている。

― 8月15日― そして今日16日
錦織が準々決勝で、一度も勝ったことが無かったナダルに快勝した。素晴らしいフットワークと集中力、しかし16日のマレー戦で惨敗、試合を捨てる様は不可解としかいえない。満席の観衆から今にもブーイングが起きそうな気配、錦織はどうしたのだろう。脚をいためたのだろうか? TV放映も錦織のコメントなしでプッツンと切れた。

この一文を書きながら僕は、この炎天下の中に立って、幾つもの試合の審判する中年を超えても頑張っている女性陣と、其れを支えるボールボーイに密かに拍手を送りたくなった。

<写真 男子ダブルスの試合>

蝉の泣く夏休み、何事でもない盛夏の一齣

2015-08-11 18:40:24 | 日々・音楽・BOOK

戯れ句を一つ。
~ 夕暮れて ここを先途と 蝉の泣く

洗濯物を取り込もうとした妻君が、蝉が居るよ!と手を招く。
バルコニーの空調外機のすぐ側に蝉が居て動かない。そっとつまんでみてもびくともしない。死んじゃったんだと思って、あとで木の下にでも埋めてあげようかとティシュに包んでテーブルに置いた。
PCで書きかけの文章に取り組んでいてふと気がつくと、一間ほど離れた床の絨毯から僕を見ている。生きてるのだ。とりあえずゴムの木を植えてある植木鉢の土の上にそっと置いた。そしてひと時。植木鉢の淵に手足を引っ掛けてぶら下がっている。これじゃいけない、と思ってそっとつまんで1階まで降りて人目につかない木陰になる樹の枝にそっとおいてやった。

夏休み、何事でもない盛夏の一齣です。

8月9日の長崎を想いながら

2015-08-09 21:45:36 | 生きること

父方の実家のある長崎での「平和祈念式典」のTV中継を見た後、この項を起稿する。
<安倍首相は、非核三原則には言及した>

僕の実家は諏訪神社の近くの古町にあり、幸い家屋は被災しなかったが、父の妹、叔母は学徒動員で働いていた爆心地から近い工場で被災し、倒れた鉄骨に埋まってかろうじて助け出された。叔母は口にしないが、そう聞いてきた。
赤紙で招集された父がフィリピンで戦死した後、僕たち家族は長崎に引き取られた。小学校1年生だった僕は、勝山小学校から転校して家族と共に天草の下田村(当時)に転居して、小学生時代を過ごした。長男の僕は母や弟と妹を下田に残し、長崎中学に入学して1年半ほど通った。叔母は体調に異常は起きなかったが、僕を可愛がってくれた優しい叔母の同級生は被爆していて早世した。

この僕のブログに「生きること」と題して書いたシリーズがある。掲載を始めたのは9年前になる2006年6月、補遺を1項入れて23編になった。
母が入院し、2007年の元旦に92歳で亡くなるまでの半年間、父と母が書き綴ってくれた「吾が児の生立」と題した僕の育児日誌を紐解きながら書き進めたこのブログを、僕は時折読み返したりしている。

東京杉並の2軒長屋で僕は生まれた。父が招集された後、母の兄の会社の社宅があった千葉県の柏(現在は市)に疎開したので、東京空襲も長崎での原爆体験もしていない。だが、上記した父の実家から通った戦後の新生中学一期生としての長崎での生活は、何時までも僕の中に留まっている。

さて「生きること」の22項、最後の一言でこう〆た。
「僕も児の親だ。『生きること』に思いを込めて僕はもう少し生きていく」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてこのブログの『「補遺」のなかの、8月15日を書いた箇所を抜書きする。8年前になるが、韓国を訪ねたときの一稿です』。

―あまりの暑さに地球の異変を実感した「終戦記念日」。
韓国では「光復節」という。日本の植民地支配から開放されたことを祝う祝日だ。
日本人の建築家の設計したソウル市庁舎の存在は、嘗て大きな話題となった。後ろに高層の庁舎を増築することになって存続が決まり、道路を挟んだ前面に芝生を張った大きな広場ができた。
15日の夜、大勢の市民が集まったことだろう。新聞報道によると、今年のソウル市庁舎の外壁には、ペットボトルの素材で作った国花・ムクゲの花が飾られた。昨年は反日の被いに震撼としたが、今年の咲いたムクゲの花にホッとする。

<写真 長崎の実家座敷に掛けてある曽祖父の写真>

暑い夏の朝のひと時

2015-08-05 15:17:14 | 自然

ピイ・キスイ・ムスイ…(鳥のさえずりだ・さてどんな鳥?)すぐに、カーッ、カーッ、とカラスが、グーグ、グーッ、グーッは鳩のようだ。
枕元の目ざまし時計を見る。表はすでに明るいが、早朝4時15分!参った、と思いながら止まっている扇風機のスイッチを入れる。
ツイッツイッツイッという音が聞こえたので、ベッドを降りて4階の僕の寝室の窓から外をのぞくと、赤いTシャツの若者が自転車をこいで目の下を通りぬけていく。新聞配達なのだろうか!
しょうがないなあとぼやきながら、CDのスイッチを入れた。
ピンク・フロイドの「永遠」。昨夜の子守歌だ。音を絞ってかけたが、いつの間にかまた寝むってしまった。
うつらうつらしていたら、電車の走る音が・・・小田急でもなさそうなので、JR茅ヶ崎行きの始発だろうか?
時計の針は5時45分を指している。

新国立競技場の課題を 参議院会館会議室で考える

2015-08-02 10:48:20 | 建築・風景

3日前になる7月30日、参議院会館会館会議室で行われた´新国立競技場´を考える集会に参加した。主催者は「神宮外苑と国立競技場を未来へ手渡す会」である。
200人ほど入る会場が20人ほど来場した国会議員も含めて満席となり、会議等があって遅れてきた議員連も壁際に立つことにもなった。報道陣も多数集り、実態が見えてこないこの問題への関心の高いことを実感する。
2013年の10月に、僕とも懇意な女性陣が立ち上げたこの会`…手渡す会は、この周辺の見学会やシンポを時に応じて開催してきた。今回の『国会請願』に当たってと題した11項目を制定し「みんなの「真国立競技場実現のために、以下のことを基本事項として下さい」と真と題したたペーパーを資料の一つとして会場で配布した。(下記概要を記載する)

(1)建設費は1000億円以下年、管理費、ライフスタイルコストも考慮する。
(2)神宮外苑の景観に対応して出来るだけ高さを押さえること。
(3)可動式屋根はつけない。
(4)固定席は5万程度としてそれ以上は仮設席とする。
(5)VIP用施設やホスピタリティ施設は、諸外国のオリンピックスタジアムの実績に準ずる。
(6)常設のサブトラックの設置。
(7)JSC新社屋建設計画を見直す。
〈8〉totoの売り上げを新競技場建設費には使わない。
〈9〉強勢立ち退きを迫られている霞ヶ丘アパートは改修して存続。
(10) 神宮外苑の森に配慮して高さ制限を見直す。
(11) 上記をふまへ、建築、環境、市民、アスリート、法律家などを含む第三者委員会を設置、基本条件を作り直す。

ちまた?では、デザインビルド(設計と施工が一体となる仕組み)説が浮上しているが、僕は建築家の主体性が見えなくなることに危惧を覚え、また同じ過ちを起こすことを懸念する。
そして何よりも、その経緯を聴いているとは言え、霞ヶ丘アパートの年老いた住民から、この地に生まれこの地で育った私たちに、情報の提供もなされず、その思いを伝える機会も与えないまま強制立ち退きを迫る国の仕草を、涙ながらにこの集会で訴える姿に息を呑んだ。
国は今回の競技場改築に乗じて、住民との会話もせずにこの界隈一帯の再開発をしようとしている…

ところで登場した議員からのコメントでも、有識者からの提言を聞いていても、国は(安倍政権!)は一体何を考えているのか、その実態がまだ見えてこない。