日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ホドラーの山と小林春規の初冬

2014-11-30 21:02:32 | 愛しいもの

今朝(11月30日)のNHK日曜美術館で、スイスの画家ヘルディナンド・ホドラーの作品群を見ながら考える。
貧困の中で生まれ、父や母や兄弟を亡くすなど、必ずしも豊かではない人生を過ごし、65歳の若さで没するが、クリムトと並び証される巨匠といわれることになるその経歴に瞑目した。同時に晩年近くになって描かれる風景画の中に、僕の親しい新潟の板画家、小林春規の「初冬」と題した作品が重なって見えてくる。

この「初冬」については、数年前にこの欄でも触れたことがあるが、TV画面に出てくるホドラーの山を捉えた風景画に匹敵する自然への憧憬とそれを捉える力量に心打たれるのだ。

ホドラーの作品には幼少時の母や兄弟の死への感性が宿っているといわれるが、山を捉えた明るい色彩のなかにもその匂いが漂っている。小林の冬の新潟を捉えた雲間から注がれる光の中に、何故か同じものを感じるのだがどうだろうか!


過ぎ去る秋を偲んで 北大の銀杏並木

2014-11-28 18:06:43 | 自然

ふと気が付いたら、来週の冒頭から師走、冬の始まりだ。
時の流れが速くてついていけないような気もしてくるが、今年の訪札はひと月前の10月の後半、あっという間に一月が経ってしまった。
建築家上遠野克さんに案内してもらって、北星学園大学キャンパスや、北の星白石保育園、カトリック星園子供の家、などを拝見。ふと思い立って克さんにお願いして晴天のこの日曜日(10月24日だった)、北大銀杏並木に出向いた。

家族連れの大勢の人がハラハラと舞う黄葉を楽しんでいる。幾度かこの時期、この見事な並木の黄葉を味わったことがあるが、とりわけこの日の様は一期一会、こういうこともある。
そしてその夜、「蛇之助」での一献、うまいのなんのって!
でも克さんとの建築談議、いやJAZZ談議。話が弾んでメモを取りそこなう。

その北海道、初雪が降って大変だろうと、盟友moroさんに電話をしたら、いやすぐに溶けますよ!とあっさりした一言、その繰り返しがあってホントの冬になるのだ。そして春を迎えて雪が溶けると、広い庭に青々とした芝生が突如として現れる。

カルティエ・ブレッソンの「決定的瞬間」について

2014-11-23 15:03:11 | 写真

何気なく図書館の本棚から抜き出した今橋英子東京大学教授(現)の著書(中公新書:2008年)「フォト・リテラシー」に好奇心が刺激された。
フォトは言うまでもなく「写真」である。リテラシーは、「読み書き能力」を意味する用語とのことだが、今橋は報道写真をターゲットにしながら、写真の深層に踏み込んでいく。大雑把に言い換えると、`写真を読み解いていく時に浮かび上がる様相とその課題を論考する`といっていいのかもしれない。

第一章で取り上げるのは、カルティエ・ブレッソンの「サンラザール駅裏、ヨーロッパ広場」、写真に興味を持つ人が誰でも知ることになった「決定的瞬間」という写真にまつわる論考である。
発刊されてから既に16年にもなるこの著書に眼を奪われ、写真の持つ原風景のようなものを改めて考えてみたくなった。図書館の本には書き込みが出来ないので、この新書を出版社から取り寄せた。

こんなことを知ることにもなった。
カルティエ・ブレッソンはブレッソンといわれることを嫌がり、カルティエをつけることを望むとか、決定的瞬間といわれるようになったことで、この写真に対する撮影者自身の言い方が、変わっていくこと、そしてこの鏡のような水を渡る男(飛ぶ男)は、カルティエ・ブレッソンの友人で詩人レイモンド・クノーであることなど、様々な文献を探って解き明かして行き、僕の好奇心もそれに引きずられていく。

ユージン・スミスが登場し、ウイリアム・クライン、ロバート・フランク、エドワード・スタイケン、などなど写真集を持っている写真家が次々と現れる。
ユージン・スミスの「スペインの村」「水俣」へと今橋は踏み込むが、彼自身はスペインの村は失敗作だった感じていたとの論考、その経緯を解き明かしていく。

今橋は、新書でなくては成果を伝えることが出来なかっただろうと`あとがき`で出版社の担当者にお礼を申し上げたいと記すが、巻末の「図版典拠一覧」や「参考文献」の膨大なリストに研究者の心根は凄いものだと感銘を受けた。

ところで気になることがある。
写真月刊誌「アサヒカメラ」2014年4月号のWORLD欄に、「カルティエ・ブレッソンの決定的なまなざし」と題したパリのポンピドウセンターで開催されたカルティエ・ブレッソン回顧展(2014・2・12~6・9)の紹介がされている。そこに「サンラザール駅裏」と題したその写真と共に氏の代表作とされているが、文中にこうある。
「画面いっぱいに広がる水たまり。次の瞬間にはそこに飛び込んでしまいそうな少年が、水面を境にその陰と触れようとしている」。執筆者は村上華子とされているが肩書きはない。

僕がこの誌面を見て気になっていたのは、飛んだのは「少年」だと書かれていたからだ。
今橋の「フォト・リテラシー」を興味深く読んだ僕は、執筆を依頼してこの一文を掲載した編集者は、余りにも有名なこの写真を、どう捉えているのだろうか?と問いたい。

プレスカフェ・小樽2014

2014-11-16 12:18:51 | 日々・音楽・BOOK
一年振りなのにターマス(マスターです)は、つい昨日も会ったように微笑んで頷く。オッ!元気だなと思いながら、moroさんの隣に腰掛け、いつものように分厚いカウンターにそっと触れた。
moroさんは、インドネシアにしましたよ!という。彼の好きなコーヒー、マンデリンだ。無論OK!僕が気に入っていることを知っているからだ。
1年ぶりなので店に入る前に、車を降りてからほんのちょっと回りを歩いてみた。当たり前だが、当たり前のように変わっていない。ここにも僕の居場所がある。
今年の夕食は特製オムレツだ。

アイヌの神様:フクロウの木彫

2014-11-09 15:47:15 | 文化考

何処の地名にも歴史的な経緯があるが、とりわけ北海道の地名には独自の趣があって興味が尽きない。新千歳空港から間近い太平洋に面する「苫小牧」という名がなぜか気になっていた。
今年の訪札で、何とかやりくりして一日道内を案内してくれる諸澤(moro)さんは、僕の口から毎年苫小牧の名がでるので、よし今年は!と苫小牧港に案内してくれた。

大きな客船が停泊しているが、港町特有の塩の匂いに満ちたざわつきが感じられない。駐車場に車は止まっているが人影がないからだろう。そして白老(シラオイ)に向かう。

白老は「ポトロコタン(アイヌ民族博物館)」のあるアイヌの郷だ。
ポトロ湖とコタンの森に囲まれた平地に5軒のアイヌの家を復元し、ポトロコタンには民具や様々な資料展示がなされている。ポトロ湖の向かい側の森林地にはアイヌの集落があったという。

諸(moro)さんは、プレス・カフェのある小樽の反対側にあるこの地には今後来ることもできないだろうと考えて行程を組んでくれた。特段の思いのある沖縄とアイヌ民族とに通じるものがあるのではないかと言われることがあるが、その学術的な検証がなされているのかどうか僕は知らない。しかしパンフレットにある「イランカラプテ(こんにちは)」から始めよう、という一言に感じるものがある。

さて博物館で絵葉書と一筆箋を求め、おみやげ物屋を覗いてみた。眼に留まったのは北海道の樹、槐(エンジ)を刻んだ「フクロウ」の木彫である。お土産品だがその風情に魅かれた。

フクロウは北海道の先住民、アイヌ民族がこの世の最高神として崇めていたいわばアイヌ民族を考える時の象徴でもある。

そしてこの郷に思いを残しながら車は苫小牧に戻り、小樽に向かった。1年ぶりにプレス・カフェに行くのだ。