日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

機械が人のものになる「札幌ドーム」

2012-08-21 17:44:20 | 建築・風景

千歳空港へ車で送ってもらうついでに足を延ばして`苫小牧`へ行きたいと言った。
moroさんは、特段見るところもないんだけど!と困惑していたが、僕はなぜか苫小牧という地名に惹かれていた。そう言われるとなおさら、そのなんでもない街にも人が住んでいて、住む人には故郷なのだろう、ついでに工業製品を積み出すという波止場にもちょっと行ってみたくなった。「その人たちにとっての原風景」とはなんだろう・・・

ところが往く道、光り輝くシルバーの大屋根が見えてきた。札幌ドームだ。ふと寄ってみようかとmoroさんを見やる。「日ハム」と「コンサドーレ」。負けるとうなだれ、今年のコンサのことは聞いてくれるなと言う熱烈大フアンの顔が緩む。苫小牧は次の機会でいい!
ドームが企画して可愛くも厳しい子(娘)(遅れないように、どこかに行ってしまわないように!)が案内してくれるツアーがあるのだ。そして、この夏休み、子供連れの家族でいっぱいのこの「札幌ドームツアー」は大当たりだった。原因不明の何とも様にならない、づっこけも経験したし・・・

日ハムとコンサのホームグランド「札幌ドーム」の設計は、京都駅の設計者「原広司」である。そしていかにも原広司らしい仕掛けに満ちた鉄を駆使した建築(建造物?)でもあった。
日ハムもコンサもアウェイの戦いに出かけていて、ドームのグランドは人工芝をどこかに収納してたくさんの作業員が何やら働いている。サッカーの時は、清掃のために撤去された外野席の先の屋外に見える人工芝グランドを機械でドーム内に移動させてぐるりと回転させ、サッカー場に変身させるのだという。あっけにとられた僕は、一瞬スケール感が麻痺し、moroさんに、狭いねえ!そして、なんだか機械の中にいるようだね!とグレーやシルバーで彩られた場内を見やった。そのmoroさんの反応一言が僕には応えた。

曰く。「東京ドームを超えている、つまるところ一回り広くてホームランが出にくい、そして試合になると人が埋まって人間空間に満ちる」。言葉だけでなく微かに顔色が変わったのだ。僕は一瞬たじろぐ。そして、ああ!ここに地元をこよなく愛する一人の男がいるのだと心が打たれる羽目になった。4万人を超えるこの地を愛する人の息遣いでこのドームは満ちるのだ。

さて次の問題だ。
このツアーは、選手のロッカーや監督室などを回るのだが、アウェイのブルペンで、マウンドから投球をさせてくれるサービスがある。投げたい人?とガイドが誘うがなかなか手を上げない。良しと手を上げたら子供さんとお母さんにもと言われて手を下す。そして人数が決まったらサブ案内人の可愛い子(娘)が、ぜひどうぞ!
まずと譲り合って第一投の30代と思しきたくましき男性が豪速球を投げてストライクゾーンの2枚のプレートを弾き飛ばした。
さて僕はと言えば右の写真をご覧あれ!かつて、と言ってもその昔、エースとして鳴らした僕は自信満々だった。その通り、一見様になっているが、顔がホームプレートに向いていない。そして気が付いたら、マウンド上でひっくり返っていた。何が起きたのかいまだにわからないが、リリースする前に既に転んでいたのだ。でも転んでよかった。危ないところだった。

写真を見ると僕の右手に子供と父親がいる。ボールはコロコロと転がりそこまで届かなかったのだ。
いやなんでもないですよと心配してくれる人に述べたが、ズボンの下の、したたかに膝を打って血まみれになった傷が癒えるのに2週間かかった。
なんとも情けなや!残暑厳しき晩夏のお粗末の一席なり!

全身を翔けようと想う8月15日が来る

2012-08-14 22:43:19 | 建築・風景

今年も8月15日が来る。
いままで感じたことがなかったが、お盆と終戦の日の重なりが今年は妙に気になる。悲喜こもごもだったロンドン・オリンピックが終わったが、そのどれにも、一人ひとりにも、国々にも、登場できなかった全てのアスリートにも、それぞれが多彩な物語を持っていることに思いを馳せることになった。
当たり前のことだと言えば当たり前のことだ。
その当たり前のことを考えている。

終戦の日を明日に迎えるこの時間、この一文を書きながら聴いているのは、ベーシスト金澤英明の「ベース・パースぺクティブ」である。
1966年にリリースされたこのアルバムの、日野皓正のトランペットの一瞬不協和音とも受け取れるアドリブには鳥肌が立つが、このコラボレーション「慕情」と、ブルースシンガー近藤房之助の天に向かって叫ぶようなバラードとのコラボに、ここに「人」が居るのだとため息が出るのだ。
中本マリとケイコ・リーも歌う。
そして冒頭の東原力哉のドラムスとトのデュオと、最後の金澤のベースソロとその後の、ラフマニノフのピアノコンチェルト2番の第2楽章をモチーフにしたストリングスとの競演によってこのアルバムは閉じられるが、人の生きることの悼みと祈りを僕は感じ取ることになった。
全身を翔けると人の営みへの祈りになるのだ。

26年前、母と僕は、従兄弟に案内されて父が没したルソン島のモンタルバンに行った。疎開先の柏に、同じ部隊にいて帰国して訪ねてくれた同僚がいたそうだが母は生前そのことを言いたがらなかった。部隊は全滅したとの報があったが、生還した人も居たことが、没して67年にもなるのに僕のどこかに引っかかっている。

昨朝の朝日新聞の「俳壇・歌壇」には、15日を控えて思わず瞑目したくなる歌と句が幾つも掲載された。その中での投稿句を一句を記載させていただく。
「雲の峰父の戦死の島知らず」(吹田市・小井川和子)。
選者、大串章氏の評がある。太平洋戦争中、多くの島々で尊い命が失われた。「戦死の島知らずが切ない」。

父の遺骨はない。野に埋もれているのだろう。`父の戦死の島知らず`と書く同年代と思われる小井川さんの一句は、明日を迎える僕にも重いのだ。被災し帰らぬ人を待つ東北の人々を想う。

<写真 2012年の夏の日>

小樽「プレスカフェ」での今年の夏の日

2012-08-07 17:53:16 | 日々・音楽・BOOK

今日は立秋、8月に入ったばかりだというのに、残暑という日々の初日なのだ。心なしか日差しに影が漂っているような気がするが、暑いことには変わりはない。
汐入祭りで賑やかだった7月28日の小樽も暑かったが、それでも10月の末になると初雪があってほぼ半年に渡る雪景色に埋もれることになるのだ。自然の妙理にふっと目を閉じてみたくなる。

とすると、楠見朋彦という歌人の`次の百年のために`というエッセイが浮かんだ。
「昔のひとはよく遊んだ」という好奇心を呼びこす一言から始まるのだが、「年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとはいはん」という千百年前の古今和歌集をひいて、暦のうえではまだ12月なのに、立春という節季が、年の改まるのを待たずにめぐってくることが頻繁にあり、まずは春を迎えた喜びを「年の内に春は来にけり」という二句切れで表す、とある。
なるほど、これが古人の遊びなのだ。

ではこれはこうか!「夏の内に秋は来にけり」。

プレスカフェはいつものところにいつものようにある。
1年に一回しか来ないのに常連の僕は、やあと手を挙げて、磨きあげたぶっといカウンターの椅子に腰を掛ける。いつものように案内してくれるmoroさんあってのことだが、此処は常連さんのお席。

ターマスとひとしきり話がはずみ、ターマス(マスター)も常連、常連とにやりとする。
今年はメニューにない特製のオムレツ(試作品?ではない・笑)である。
コーヒーは決まっている。moroさんはマンデリンで僕は苦味に満ちたイタリアン。そしてオムレツの後のもう一杯にマンデリンなのだ。

さてもさても。
moroさんの今年の車は「あの赤い奴(ロータス・ヨーロッパ)」ではなくて、乗れ慣れているホンダのワゴン。安定感あり!

<追記>
一夜経て何か積み残したような気がした。`次の百年のために`をめくる。楠見朋彦は正岡子規と塚本邦彦に触れていた。冒頭の一句をもう一度最後に取り出してこう書いた。
ー昔のひとはよく遊んだ。言葉で。その遊びは、時に命がけだった。

神々が饗宴する真夏の天空

2012-08-02 01:06:10 | 添景・点々

ふと蝉の声に満ち溢れていることに気が付いた。市立大の院生に講義をするために出かけた札幌から帰ってきて事務所に向かう新宿西口公園に沿う路の朝だ。
8月になったのだ。ブログを書き始めて8年目に入るのだという感慨も湧いてくる。
ところでこのブログに突然大きな広告が記載された。僕の意に沿わないのでどうするか考えることにする。

それはともかく、千歳から羽田に向かうANA・B767-300の窓から見た、雲と夕陽の移りゆく光景に呆然とした。僕はそこに神々の饗宴を見ていた。

事務所には親しい女性群で活躍している建築家からの暑中見舞いが届いていた。雲と光を撮った写真葉書での返信を記載する。

『暑い日々が続きますね!まったく!! 7月26日から29日まで札幌に行って来ました。小樽にも足を伸ばして「汐入まつり」を見たりしたのですが、蒸暑さは同じ、なんとしたことか!
でもまあ皆様方はお元気そうで何より、だんだん歳取ってくると、女性のパワーには勝てないと実感することになるのです。
2月に手術をしたこともあって、朝は「梅ちゃん先生」を見た後、ロマンスカー通勤、その窓から見る町並み(建ち並ぶ建築)の面白さにぞっこん。この写真、札幌から帰るときの見事な陽光と雲のコラボレートの一齣。こんなこと楽しんでいます』