日々・from an architect

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旅 トルコ(14) 垣間見たトルコの抱える問題

2007-05-10 17:06:20 | 旅 トルコ

トルコへ行く直前、イスタンブールで爆破テロが起こった。一瞬出立をどうしたものかと戸惑った。そのほぼ一月前の8月27日にもイスタンブールと、エーゲ海に面した観光地マルマリスで計4件の爆発があり27人が負傷している。その翌日の28日トルコ南部のアンタルヤでも爆発が起こり、3名が死亡、数十人が負傷したという。アンタルヤは地中海に面したリゾート地で、観光客でにぎわう都市だ。

「クルディスタン開放のタカ」を名乗る組織がインターネット上で27日の事件について「トルコは安全な国ではない。観光客は来るべきではない」とする声明を出したと朝日新聞が伝えている。
観光はトルコのドル箱産業である。真偽は不明だが、反政府武装組織PKKがクルド人による独立を求めて武装闘争を続けており、トルコ軍が掃討作戦を行っているが、観光地の爆破は政府に打撃を与えるためだろうと報道された。

トルコは共和国建国以来80年以上にわたって国是としている政教分離の世俗主義と、国民の大半が信仰しているイスラム教との亀裂が起きている。EU(欧州連合)加盟を目指しているが政治の場でのイスラム化が難しい問題を引き起しているのだ。

EU加盟のもう一つの課題はキプロス問題だという。地中海にある島国キプロスは、ギリシャ系キプロス共和国と北キプロストルコ共和国に分裂して対立し、トルコは北キプロスを承認したが他国は拒否し、北キプロス共和国は2004年5月に単独でEUに加盟してしまった。それを受け入れたEUへの反発から過激な民族主義が台頭し始めている。
僕が国策だと感じたイスラムの都市風景にはこういう難しい問題が内在しているのだ。

イスタンブールにある日本領事館はテロを恐れて中心街から離れた高層ビルに移転した。
この領事館は大使館が首都アンカラに移った後もイスタンブールに残ってつかわれていた。オスマン朝末期の様式を伝える木造建築で文化財にも指定されている。
その建築が売りに出されたという。親日家として知られる研究者たちがその価値と保存を訴えるために、2006年末日本を訪れた。
「建築学的に重要なだけでなく、日本との友好、知的交流の証、それを売るなんて日本はそんなに貧しくなったの?」とは日本近代史の研究者ボアジチ大学のセルチュク・エセンベル教授の言葉だ。

こういうシビアな事態を垣間見た二つの事例を書いておきたい。
早朝に着いたイスタンブール、アタチュルク空港の出国の列がなかなか動かない。数人の検査官が現れ二人の男を連行した。「良くあるのよ・・偽のパスポートが露見して密入国者が捕まった」のだと、僕の後ろにいた日本人の団体客を案内しているガイドがいう。
僕は彼女のコトバを聞き、異国に来たことを実感し、さりげなくこのガイドが引き連れる観光客の後ろにくっついて薄暗く閑散としている両替所に向かった。

アンカラ空港で爆破があった。
イスタンブールの空港で篠田夫妻と待ち合わせ、アンカラで行われるDOCOMOMOの総会にむかう。そのアンカラ空港で篠田夫人がトイレに行った。なかなか戻らない。空港の出口が閉鎖された。篠田さんが心配して探し回ったがいない。十数人が取り残されたが突然出口の外で爆破音が起きた。

しばらくして正面のガラスの扉が開いた。篠田夫人が駆けてきた。ちょっと表を覗こうと思って裏口を出たら扉が開かなくなって戻れなくなり、離れて待機するように言われたという。不審物(もしかしたら不発弾)を爆破したようだ。
なぜか空港の係員も待機していた旅客も平然としている。

実はこうやって僕のイスタンブールとアンカラの旅が始まったのだ。

<写真 今振り返ってみると、ことのほか面白かった新市街の裏通り>


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2 コメント

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日常 (moro)
2007-05-13 14:16:03
爆発音がしても、平然としている人々…。
そこは、やはり外国なのですね。妙に生々しい感じを覚えます。
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外国ですね、やはり・・ (penkou)
2007-05-14 20:02:05
まあ日常なのかどうなのか、実は良くわからないのですがおかげさまで僕たちもビビルという感じにはなりませんでした。街の中には全く危機感もありませんでしたし。しかし、宗教と民族の問題はやはり難しいですね。クルド族はイラクとも無縁でもありませんしね・・・
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