日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

土曜日の朝 花子とトンイ そして、こころ旅

2014-04-26 18:41:41 | 日々・音楽・BOOK

小さな風が吹き、新緑に満ち穏日差しがそそぐ土曜日、大嶺實清の手捻り「萱葺きの家」の後ろに、気にいっている六代目清水六兵衛の「菖蒲(あやめ)」の絵皿が置かれた。今月中に書かなくてはいけない3本の原稿を抱えているのに(あと4日しかない!)、ここに短文を書いておきたくなった。

今朝はこうやって始まった。
6時半に眼が覚める。寝不足、あと一眠り、と思いながらもトイレに行った後、新聞を取ってしまった。ボブ・ディランを音を絞ってかけ、新聞に眼を通し、うつらうつらとした。気がついたら7時55分。

もそもそと起き出して、浴槽にお湯を入れる水栓を捻り、NHK8時からの「花子とアン」を見る。昨朝の続きを見たくてこの時間に眼をあけていたかったがうまくいった。吉高由里子の花子と仲間由紀恵の葉山蓮子が終生の友になるとのナレーションにそういうことだろうと得心。
痛くなった腰を温めると少しはよくなるかと思って湯に浸る。それから「トンイ」だ。一度見ているのに、いつものことながらその再放送にしびれる。

花子とアンの始まるまえは、この8時半と言う時間にあわせて起きたものだ。珈琲をいれる。
妻細君が起きてきて朝飯の支度、と言ってもいつものようにパンだ。
DENONのアンプにスイッチを入れると流れてきたボブ・ディラン。そしてこの一文を書き始めた。ふと思い立って「優美堂」に電話。午後1時から、痛い腰の治療をしてもらうことにした。

そして「こころ旅」。
京都錦町の銭湯の前で、火野正平が読み上げる学生時代の思い出を語る手紙にはグッときた。思わず涙組む。無くなってしまった下宿や・町家の2階の広間を借り、寄り集ってくる同級生たちと錦町市場で安い食べ物を買って食事、雑魚寝をした朝この銭湯に仲間と湯に浸りに来たというエピソードだ。何故か心を打たれる「若き日」という一齣。火野の声も震えていた。

<写真 UPが夕方になってしまった>
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JIAのHPに「建築保存物語」の連載スタート

2014-04-20 12:50:29 | 建築・風景

JIA(日本建築家協会)は、僕の建築家としての社会活動の拠点である。振り返ってみるとJIAに入会すると決断した一瞬が僕の建築家としての自己認識の始まりだった。同時に「ひげ」を伸ばそうとの決意と重なる。その旨妻君に伝えたのは、何故か小諸あたりの高原だった。

そして想い起こすのは、JIAの保存問題委員会の委員長を引き受けた途端、国立西洋美術館で行った日本で初めての免震構造に関するセミナーの開催を前委員の一人から要請されたことだ。西洋美術館のあり方を検証する委員として関わった鈴木博之東京大学教授に基調講演をお願いしてそのメンバー構成の相談をしたのが17年前になる1997年だった。それが鈴木教授との出会い。それ以降JIA関連のシンポに出ていただくなど鈴木教授との信頼関係が築かれていき、DOCOMOMO Japan創設を共に担うことになる。

と書いてきたのは前段。
数多くの建築の保存活動に関わってきた経緯を「新建築家技術者集団」(新建)の機関誌「建築とまちづくり」に連載することになった。その切っ掛けは、東京中郵での保存活動を共にした新建の編集者小林良雄さんからの要請だった。

そしてJIAでの「建築家写真倶楽部」を共にしている広報委員の岡本寛さんからの打診を受け、新建の了解を得て、この「建築保存物語」をJIA関東甲信越支部のHPに転載することになった。写真の構成やカラーでのUPなどを検討し、冒頭に「はじめに」を書いて記載し、第一稿は、僕が保存に関わる切っ掛けになった母校「千葉県立東葛飾高校」である。
是非ごらん戴きたいとおもいます。検索するのは結構厄介、下記にて試みていただけると嬉しい。

JIAを検索(このブログにリンクしている僕の事務所のHPからJIAを検索すると出てくる http://www.kt.rim.or.jp/~kk01-kad/でも可)、右側の関東甲信越支部を検索、タイトルの右手にある「市民向けサイト」をクリック。左側にある「建築ガイド」をクリックすると「建築保存物語」が現れます。
是非お試し下さい。

―余話―
ちなみにJIA九州支部HP冒頭には、僕の撮ったDOCOMOMO100選に選定した九州の建築の写真をトリミングしてレイアウトされ記載されています。

<スケッチ・「建築保存物語」の第一稿、母校の無くなってしまった校舎>


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吉原英雄とルイス・ポールセンのコラボ

2014-04-12 22:55:33 | 愛しいもの
桜吹雪、欅の緑葉が色濃くなり、憲法9条を守りたいと思う穏やかな春日。食卓の壁に掛けてある吉原英雄のリトグラフと、映ったデンマークの作家ルイス・ポールセンのコードペンダントとのコラボを楽しむ。ペンダントを変えることはないが、吉原のリトは時折野田哲也のいくつかの作品や李禹煥のエッチング、或いは小林春規の木版画に架け替えたりする。その一つ一つに僕にとっての物語が宿っている。その僕の物語のどこかに、妻君や娘との物語がコラボしている。
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タウトとレーモンド

2014-04-05 13:14:57 | 建築・風景

「てりむくり」から、タウトとレーモンドを想起するのは奇妙と思われるような気もするが、タウトの日向別邸とアントニン・レーモンドが1928年40歳の時に設計した日光中禅寺湖南岸に接して建っている旧イタリア大使館別邸での二人の「一言」を想い起こした。そしてこのエピソードは、モダンムーブネントを考察する上で明解に解き明かせない、とは言え面白がる課題として僕のどこかに居座っている。

二人とは、日向別邸を初めて訪れたときの鈴木博之教授と、旧イタリア大使館別邸での建築家林昌二さんである。
その一言は「兼松さん、変ですねえ!」だ。
鈴木教授は変ですねえ!で、林さんの一言は変だねえ!だったが、僕の返事は「うーん!」だった。変だが面白い。

旧イタリア大使館別邸は、日光近辺で生息する杉の樹皮を外壁にも室内の壁や天井にも多用した、他に類を見ない建築である。
タウトの日向別邸は1936年、レーモンドの旧イタリア大使館別邸は1928年で、モダニズムの目覚めたレーモンドの東京女子大は1924年から38年にかけて建てられモダニズムを考察する上で欠かせない建築でもあるが、その端境期ともいえない建築家の奥深いところで持っている多彩な側面を映し出しているようで「人間」と言う生き物の面白さを映し出しているような気がするのだ。

僕はかつて、ドコモモセミナーナーで、鈴木博之教授と対談したこともあり、また僕がコーディネーターを担った数多くのシンポジウムでやりとりしたことがある。同じくセミナーで林昌二さんと語り合ったこともあり、写真家村井修さんを招いてJIAの大会で鼎談をしたこともあった。
今思うに、鈴木博之さん、林昌二さんとこの二つの建築を題材にし、モダンムーブネントをテーマに鼎談をしてみたかったと、お二人を偲びながら思ったりするのである。詮無いことだが・・・
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