日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

フォクトレンダーで撮ること・写真家飯田鉄の触感

2010-11-28 14:36:09 | 写真

現像所に来たんだけどちょっと時間が出来たので行ってもいい?と飯田鉄さんから電話があった。今日はずっと事務所にいるからいいですよ!なんて返事をしたら15分ほどたって`ヤア`という感じでニヤリとしながら現れた。

四方山写真談義。
街歩きの人たちと、四谷のギャラリーで写真展をやるという。おやまたあそこで!と眼をむくと、あすこじゃ駄目かなあ、といいながら今の若手の写真家が仲間と小さなギャラリーを開いて自分たちの写真公開をするのが多くなったが、さてね!という話になった。指折り数えると四谷から新宿の間に10軒の写真ギャラリーが誕生している。
ニコンやキャノンあるいはミノルタなどのステータスのあるギャラリーは審査が厳しいからそれを避けてなのかと問うと、そうでもなくてとにかくやりたいらしい、多くの人に見てもらうというよりただやりたい、わかるような気もする。
今の若者と社会状況の相克のような、とちょっと考え込んだ。

飯田さんが取り出したのは古色に満ちた蛇腹の6×6版。どこか変だと思ったら蛇腹に黒い幅広のテープが張ってある。穴が開いて光が入っちゃうので応急措置をして撮っているのだという。まとまったら作品展をやる。
ボディにはうっすらと`フォクトレンダー`の名が。距離計がなくて目測で距離をあわせる。このレンズがねえ!味わい深いのだと言うのだ。3枚玉だが、ソフトフォーカスではなくて芯はしっかりしているが周辺が流れたりするのがなんともいいというのが飯田さんらしい。

つい最近(アサヒカメラ10月号に)ハッセルC/M500・200ミリプラナーで撮った見事にシャープで繊細な切れ味のいい「博物譜」が紹介された。撮影ノートには「命の美が存在する触感」というタイトルで、「このところ撮るものに対する自分の意識が変わってきていて」「モノの質感や肌理、表面が見せる表情に興味がある」と飯田さんは述べていて僕は共感を持っていた。
このフォクトレンダーで撮るのは路地や街にあるモノ、これで女を撮ると面白そうだと思った僕は、人は?と聞くと、いやモノとして、手や足の一部は撮るけど!といった感じ。それも解る。それが現在(いま)の飯田鉄の「街に対する触感」なのだ。

さてライカM9チタンの飯田さんのレポートが日カメ(日本カメラ)に出ているが、三百数十万円もするこのカメラをリーズナブルといったのはどうだろうか?と?で問うと、いやそうなのだけど手に取ると微妙に大きさが違い、そこには様々な想いが塗り込められていての手づくり、そうとしかいえないのだとこれも、ライカの社長と同じく彼ならではのカメラに対する想いなのだった。
じゃあ、今度は軽く!と右手を杯を持つ様にひょいと上げてあっという間にいなくなった。


吉田秀和と庄司沙矢香、そして「カザルスホール」シンポジウムでの鳥の歌

2010-11-24 10:45:13 | 日々・音楽・BOOK

今朝(11月23日)の朝日新聞「音楽展望」で吉田秀和は、ドイツの知人から送られたマティアス・キシュネライトという音楽家のCDを聴いて、音楽というものは楽譜という「氷の塊」に閉じ込められた生き物で、演奏家は心の熱で音の世界を開放するのだと思わずにはいられないと書く。
そして、庄司沙矢香とジャンルカ・カシオーリがベートーヴェンのヴァイオリンソナタ「春」や「クロイツェル」などをひくのをきいて、これも楽譜の氷の魂をとかして、新しく音楽をとり出してきたような演奏だったと述べている。

吉田秀和の論評は軽やかで臨場感に富んでいて、読む僕の心の襞がふるえ歳をとって書く文章もいつまでもこうありたいと思うのだが、今朝のこの一文には驚嘆した。
二人の演奏を聴いてベートーヴェンはこんなにP(弱音)やPPを要所要所に用意した音楽家だったのだ、と率直に述べる。ベートーヴェン感が変わった、吉田秀和がそういうのだ。
そして二人の音の響かせ方に触れたあと、遅いテンポが独特でチェビリダッケが指揮したブルックナーの交響曲を思い出してしまうと書き、こんな大胆なことは、かつてのシゲティだって、今日のツイマーマンもテツラフもやらないという。
さらにこう続ける。「すざましい緊張の集中があって、アツ!と思った瞬間、音楽は途切れてしまったが、凄い演奏だった」。

読み終わった一瞬僕は、11月16日に北沢ホールで行った「カザルスホールを考える」-音楽家と建築家からみる価値―と題する`カザルスホール`についてのシンポジウムの最後に演奏された「鳥の歌」の終わった瞬間の、息を呑む空気を思い起こした。
ジョン・F・ケネディの前で演奏したパブロ・カザルスのカタロニア民謡「鳥の歌」は音楽界の伝説となっているが、世界で活躍しているチェリスト岩崎洸、堀了介に堀沙也香が加わった三人に岩崎淑のピアノという信じ難いメンバーによる演奏は、しみじみと心を打つと同時に息を呑むような緊迫感があって、終わった後この空気を壊したくないと`間`が起きた。
音楽は凄い。カザルスホールで演奏をしたい、聴きたいという会場の人々の想いが凝縮したのだ。

かつてこのブログでも記したことがあるが、深夜BSで放映された庄司沙矢香のリゲッティのヴァイオリン協奏曲を聴いて動けなくなり、リゲッティという作曲家を知らなかった僕は、その後吉田秀和が`音楽展望`でこの演奏を絶賛するのを読んで、僕の音楽への感性も満更ではないと思ったと岩崎淑さんに伝えると、子供のときから庄司沙矢香さんを指導した淑さんは、何しろ努力家、納得するまでヴァイオリンを離さない子だと慈しむように言う。
磯崎新さんも会場に来てくださったカザルスホールのシンポジウムについては折を見て詳述したいが、コーディネートした僕でさえも様々なことを学ぶことになったのだ。

冬になったと思ったら秋が戻った。今日は少し温かく空が青い。
僕はYO-YO MAのひくボッケリーニのチェロ協奏曲ロ短調を聴きながらこの一文をしたためている。物思うことの多い枯葉舞う晩秋の一日である。

小樽北運河の北海製罐工場とプレスカフェ `昼`

2010-11-20 14:30:37 | 建築・風景

小樽運河とその周辺に建つ木骨石造倉庫や、大正から昭和にかけて建てられた鉄筋コンクリート造の工場や倉庫群は、訪れる僕たちの心を震わせ豊かにさせる。
とりわけ魅かれるのは明治28年(1895年)に建てられたプレスカフェの入っている澁澤倉庫と、大正10年(1921年)から昭和10年(1935年)にかけて鉄筋コンクリート(RC)でつくられた北海製罐工場とその倉庫である。

木骨石造倉庫は、飲食店や商店などに転用されているものが多いが、澁澤倉庫が建てられてから100年を経て、木骨(梁や小屋組み)を見せながら魅力的なカフェとして使い続けられていて、歴史的な建造物の保存活用の格好の事例だとも言える。
贅沢なことにコーヒーを飲みながら、僕たちは100年と言う時を味わっているのだ。

そのカフェの大きな開口から北運河をはさんで見える北海製罐工場が、また、なんとも味わい深い。端正な四角い窓によって構成された外壁は正しくモダニズム。ちょっと汚れていて現役感があるのがいい。
ターマスによると工場は24時間稼動していて作業交代時にはサイレンがもれ聞こえてくるという。その空気の切ない震えが窓越しに僕にも聞こえてくるような気がした。この工場の製罐、つまり缶詰の生産量は、全国の70%程にもなるのだという。本当かと驚く。小樽の産業の一角を担っているのだ。

さて更に魅力的なのが、運河と小樽港に囲まれた小島!に建てられている北海製罐第3工場である。4階建ての運河に面した外壁には先端が微妙な円を描いている片持ち梁に支えられたバルコニー(通路)があるが、鉄骨で囲まれた2機のリフト、荷物を滑らせるスロープ、螺旋階段と通常の階段が鉄骨で作られていて、おもちゃのような面白さがある。
産業遺産でもあり建築文化遺産でもある。運河があるからこの工場、倉庫群があるのだろう。

だが昭和40年代、東京オリンピックが開催された頃、運河に沿った札幌に向かう道路拡幅問題が起こって運河埋め立て論議がなされる。藤森茂男という一市民が声をあげ「小樽運河を守る会」が活動をはじめて運河の魅力が浮き彫りになった。この活動は昭和59年バイパス着工がなされて終止符が打たれたものの、この精神は全国の町並み保存運動へ引き継がれていったという。

小樽に在住し、特攻に捕らえられて拷問によって虐殺された小林多喜二の名が一瞬頭をよぎる。高校生時代、多喜二の「蟹工船」を読んだが、読みこなしきれたのか、その時代を受け止め得たのかどうか覚えていない。小樽が身近になった現在(いま)、1920年代の初めの世界と日本の社会構造を考えてみたくなる。モダニズムという時代の側面が見えてきそうな気がする。
こういう歴史がこの地に内在しているのだ。

プレスカフェでの昼食。
僕はカルボナーラ。午前中、田上義也の設計をした坂牛邸を、北大でドクター取得を目指す原さんに案内していただいてその余韻に浸りながらのコーヒーは!マンデリン。MOROさんも変わらぬマンデリン。11月3日の文化の日。
奥深い小樽の歴史にほんの少し触れることが出来たが、僕の小樽はやはり「プレスカフェ」。小樽北海製罐工場をガラス越しに見ながらの一時だった。

今年も小樽の「プレスカフェ」で `夜`

2010-11-13 15:26:41 | 日々・音楽・BOOK

今年も「プレスカフェで」何をするかというと、分厚いカウンターの前の椅子に腰掛け、コーヒーを飲んで、美味いものを喰い、ターマスとボソボソと四方山話をするのだ。
眼鏡をね!と、同じデザインのいいのが見つかったので取替えたと顔からはずして見せてくれた。昨年、老眼?レンズを上縁に細工した兆番でめくりあげるこの眼鏡はどう?とちょっぴり自慢されたが、このレンズ分重いのだそうだ。そこで単レンズを!僕たちは去年と同じことを悦にいって語りあっている。
北海道大学と上遠野邸のあと訪れた小樽は雨、みぞれ、晴れ間。これが北国の自然なのか!それに雪にはならないが寒い。寒いので店に入るとホッとする。暗くなるのも早い。

ところで今日のメニュー。
MOROさんはマンデリンで僕は相変わらず苦めのイタリアンだ。下ごしらえした店長から湯注しを受け取ってドリップペーパーに注ぐ。一瞬垣間見て取れる集中力にプロを感じる。ダンディ。伊丹十三も斯くありナン。こだわりの車在りし。
しっとりと流れているトリオによるJAZZを聴きながら飲むコーヒーに、ああプレスカフェに来たのだとなにやら感慨を覚えた。高い屋根を支えている梁にセッテイングされている4基のスピーカーはJBL。小さいがいい音色だ。
食事はメニューにない特製オムレツ。MOROさんと一緒にいる特典だ!MOROさんはマンデリンをお変わりし、僕は少し酸味のあるモカにした。運河の対岸にある缶詰工場の姿がもやって来て夜になる。

北国の鮮やかな紅葉 市立大、北大の銀杏並木、そして上遠野邸の見事な・・

2010-11-07 12:32:14 | 建築・風景

生憎の雨、時折霙(みぞれ)、一瞬の日差しが・・そして10月に降った初雪が寝雪になりそうだという北国札幌の鮮やかな紅葉に眼が痺れた。
11月1日(月)札幌市立大羽深教授に招かれた院生や学部生への授業で、DOCOMOMO Japanでの活動やDOCOMOMO Koreaとの交流で見えてきたモダニズム建築の内在する様々な問題を講義するために札幌を訪れたのである。

市立大校舎は、東京工業大学で教鞭をとった建築家清家清の設計した、吹き抜けやガラス屋根からの採光を大胆に取るなど、内部空間構成が変化に富みながらもモダニズムの旗手に相応しい直線を駆使した羽深さんご自慢の建築群だ。
羽生さんは、東工大の平井聖研OBの建築史の研究者。僕が建築学会でDOCOMOMO対応WGの主査だったときに、北海道支部建築歴史意匠委員の代表として参加された本委員会での出会い以来の交流である。
学会の北海道支部大会で話しをするために札幌を訪れた折、モエレ公園などを案内してもらったこともあった。その大会会場もこの市立大、当時は四大になる準備をしていた市立高専だった。

羽深教授は多少ガラッパチ、そこがなんともいいのだ。興に乗って二コマ三時間も時間を貰ってしまった。日本と韓国のモダニズムと現代建築を紹介したあと、時間があったので、どこかで話したときに組んだ沖縄のPPを使って、名護の市庁舎や今帰仁の中央公民館建築などと共に、タコライスや市内のいたるところにある屏風(ひんぷん)のある亀甲墓の写真と、重文になっている「中村家住宅」とその塀、つまり屏風を映し、風水について触れたが反応はいまいち。
ハテ!と沖縄にいったことのある人?と問いかけたら誰からも手が上らなかった。
夜の懇親会で、羽深さんや、この講座の仲介役をしてくれた社会人院生のMOROさん、僕の講義を聴いてくれた気鋭の建築家、市大の講師でもある那須聖さん達と一杯やりながら聞くと、沖縄の話しは興味深かったが、北海道人は沖縄に行くなら外国だねえ!ということになるのだという。
遠いのだ。だからKoreaなのかもしれない。僕には琉球文化を北国の学生に伝えたいと言う思いもあるが、そうなのかと学ぶものがあった。

それはさておき、市大の残雪の中の鮮やかな紅葉に眼を奪われた。そして豪雪だった初雪で、枝振りが見事だった白樺の幹が雪の重みで途中から裂けていて無残。自然の厳しさを垣間見ることになった。
翌2日の朝。北大の角研究室を訪問。雨なのにカメラを持った`おじさん`たちが沢山いるし、`おばちゃん`たちは連れ立って銀杏並木見学だ。TVのニュースで今日が見ごろといっていた。
いや凄い。

角教授にMOROさん<2010年JIAあかり大賞受賞の市大社会人院生であると共に、彗星のごとく現れたデザイナー(笑)>、それに角研博士課程で学んだ原さんと、サファリン(樺太)の建築調査事例を聞く。昨1日にロシヤの大統領が国後訪問をして嫌な感じが漂っているが、サファリンは日本とロシア(サファリンの行政庁と日本とが)が建築を介して信頼関係が築かれているともいえる。

午後、上遠野邸を訪問した。
徹夫人やご子息の克さんにお花をお渡しし、居間の遺影の前に置いていただく。昨年の訪問が11月1日。その日時を奥様が覚えていてくださった。徹先生はその8日後にこの庭で斃れた。丁度1年経った。
徹先生が昨日の雨で散ってしまったと残念がった紅葉が、小雨だとはいえ今年はなんとも綺麗だ。この見事な紅を楽しませていただいたことで、徹先生が喜んで下さるような気がした。