日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

僕の部屋の棟方志功と小林春規

2018-05-20 12:02:28 | 愛しいもの
この稿を(上記)こんなタイトルにしてみたが、掲示する写真は、僕の部屋の一角に掲げた小林春規の木版画と、棟方志功の作品を取り込んだ手拭(てぬぐい)である。棟方志功先生(時折文中敬称略・小林春規さんと共に)とは縁在って、妻君と結婚したときにお仲人をしていただいたが(御夫妻は他界された)、小林春規とも長いお付き合いになった。

 小林春規さんここの名前だけが`さん`付け・あとは失礼を:笑)のこの作品(木版画)は、新潟お絵屋での個展を拝見したときの購入、新潟駅・プラットホームの光景である。初めての出会いは、小林春規展を拝見する為に京都に出かけたことによる。案内を戴いた手紙には、棟方志功の名が書かれており(なぜだったのか失念)行かざるを得ないと思ったことは憶えている。其れからの数十年になるお付き合い、その根幹に同じもの創り人間としての価値観(生きていくことの!)の共有があるからだと思っている。

 この板画(版画ではなく板画と記載するのは、志功夫人`ちや`さんからの指示だった!が小林さんもまた同じ趣旨のことを述べられた!)もまた僕の宝物となった。そして新潟の駅に着くとこの板画の光景を想い起こすが、今は新幹線に乗ることになってこの風情を味わうことが無くなったことが残念である。

 何年前だったか、駅に早く着いたので、駅員に相談したらどうぞ!と言ってもらい、急行が発着する当時の面影が残っているプラットホームに立つ事ができた。この作品を観るたびに、そんなことが頭に浮んでくる。


一言ご苦労さんと!オーディオとのお別れ

2018-05-12 22:55:56 | 日々・音楽・BOOK

 この稿は、このタイトルの一言に尽きる。

僕の生活、大袈裟に言えば`生きること`に連れ添ってきてくれたことにこの場を借りて感謝したい。相手が音を紡ぎ出す`機械`だとは言え・・・メーカーはDENON。1NTECRATIO・・・コロンビアで仕事をしていた弟(一昔前に死去)の推奨によるもの、我が家(僕の・・・部屋の)の一角を担ってきてくれたオーディオの、アンプの調子がおかしくなって音がでなくなった。妻君が気の毒がって自分の部屋にある一組を譲ってくれた。BOSEである。なかなかの音だ! 

その妻君は、よりコンパクトなPANASONICのSC―HC400を購入する。

ところで我が家のメインオーディオは、一昔前にリビングに設置したこれも弟の推奨してくれたDENONのオーディオシステムである。ただスピーカーはスペースが狭いので小型しか入らず、それでもこだわって、弟と共に試聴して手に入れた小振りなONKYOの逸品。このシステム、この音に惚れている僕は当面このシステムで聴き続けることだろう。主として聴くのはJAZZである。 

ex。KEITH JARRETT のソロ、THE CARNEGIE HALL CONCERT。そしてMILES DAVIS QULTET(ex。1965-68)の「死刑台のエレベーター」オリジナル・サウンドトラック版は、何ともいえない味わいに満ちていて得も言われない。メンバーは、JOHN COLTRANE、MOCOY TYNER、JIMMY GARRISON、そしてELVIN JONESである。

この一文も、上記CDを音を落として聴きながら起稿している。


御殿場のビナヲークを訪れた! 妻君・娘と共に

2018-05-06 15:00:53 | 添景・点々

此の春の連休・昨日、来宅した我が娘(こ)と妻君に連れられて(チョッピリ情けない言い方だが…小文字で記す)御殿場の`ビナヲーク`を訪れた。2年ぶりか3年ぶりの(僕にとっては!)ササヤカな出来事であるが、行き着くその行程が興味深かった。 

自宅のある小田急線厚木駅から本厚木に行き、急行に乗り換えて新松田で降り、JR御殿場線に乗り換えて御殿場へ、そこからビナヲークの用意したバスに乗る。

満員のバスが出たその後を追うように来たバス、我が家族は一番手、立ち身でギュウギュウ・晴天の中の富士山はこの天候に気押されたように其れに溶け込まされたように薄っすらと佇んでいる。まあ、お前らのことなど知ったことか!という王者の風格なのか(嗚呼:あああ!苦笑)。

ビナヲークは賑やか、家族連れの笑顔の人々で溢れかえっている。思いようによっては其れもよし!こういう「場所」派賑やかな方が好い。さてっと、まず昼食をと想ったものの駄々広い食堂も満席、路端に座り込んで手に入れたサンドイッチを頬張る若き夫婦がいてフッと笑みを交わし、僕らも其れに習う。

 買いたいものを決めている妻君と娘に連れ添って、まずは館内へ。そして羽織るコートやリュックサックを検索、彼女等はお洒落な名品!を手に入れる。僕も其れに習い二人に見え方を確認してもらい、黒いPUMAのリュックサックを購入。明日からはこれを背負って新宿の事務所へ通うことになった。 

さて今朝の我が家、何はともあれ薄日の差し込むリビングで、YouMust Beliere In Springgを架けてこの一時を味わう。その後このBILLY JOELのスタンダード・ナンバー:ストレンジャーやピアノ・マンなどを聴講しながら昼食を・・・つかの間、一服したら、中野の住いへ帰宅するという娘と共に厚木駅へブラ歩きをし、僕は通勤する明日の、ロマンスカーのチケットを購入し、改札口で娘を見送った。


此の春の一時に:終わりと始まり!…を

2018-05-03 21:14:44 | 自然

微かに薄日の漏れる此の春の連休、自宅から丹沢につながる山並みを見遣りながら此の一文を起稿する。

既に2週間ほど前になるが、盟友連と新宿で酒を酌み交わしたものの、転んで胸を打った。その時は然したる事はなかったが、翌朝痛くなって病院に行き、レントゲンを撮った後.医師が特殊な包帯で縛った右胸の状態・体調を気遣いながらも今朝は、コルトレーンの「バラード」を架けて`日ハムと楽天`の戦いをTVで観戦しながら此の一文を起稿している。さてっ!とモタモタしていたら9回の裏、日ハムの逆転勝利。北海道の友人の喜ぶ顔が幾つも浮かび上がり思わずニコリとする。

 ところで見入っているのは、朝日新聞の「文芸・批評」欄の池澤夏樹書の「終わりと始まり」欄。タイトルは`主体的な思想なき政府`。サブタイトルは、■米国への「異様なる隷属」というかなり過激な文言、そして本題は上記『主体的な思想なき政府』である。

 僕がこの一文に見入るのは、池澤の歯に衣を着せぬ文言が、そのどれにも共感・共鳴するからである。

例えば、2004年の沖縄国際大学通りの日本機墜落事件の折、消防・警察さえ現場に入れなかったとの一文は、その直後の訪沖の折り、現地へ案内してもらって状況を確認した。その折、沖縄と本土(奇態な言い方だと気になっているのだが!)での情報公開の差が気になったことを想い起こすし、次の欄の一言,「歴史は過去をなぞり、われわれは1940年代と同じ誤りを犯している、との文言の後の一言゛『冷戦後、衰退するアメリカにまだ日本がしがみついているのは、国を担う思想基盤がないからだ』との想いを池澤は敢えて書き連ねてるからだ。(この一言は我が文体`に置き換えている)。そして、池澤の存在が僕の中に留まることになると共に、日本の行く末が気になってくる。<文中敬称略>