日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄を愛でて(3) 瀬名波ガー(湧き水の泉)の浜辺で

2018-02-25 20:25:12 | 沖縄考

前稿、高志保の浜辺にたどり着くには車を留めて、急傾斜の曲がりくねった坂道(コンクリートで整備されている)を降りていくことになる。その浜辺の海際には、平たい岩石が顔を出していて味わい深い。訪れた時は引き潮だったようだ。

 その山側には、湧き水の出るという岩石で覆われた空洞があり、坂道にある案内看板には「豊かに湧き水流れ出て、戦前から水道が普及するまでの人々の生活を支えた」(此の一節の他省略)と書かれている。そして、`現在でも瀬名波では水の恩に感謝して大御願(うふうがん)、フトウチ御顔(うがん)で拝んでいる、とある。

 此処を訪れたのは初めてだった。遠くの海は、水平線の先に太陽が落ちていく絶景。その水平線には小さく見える客船がゆったりと通り抜けていく。浜辺は左程大きくはなく、山地際・岩壁の麓には寄せ波によって(と思われる)履き潰したズックやジュースのボトル、何故か竹箒、ごみなどが散乱している。残念ではあるが妙に人の気配を感じ得て、一瞬しかたがないか!  などとも思った。 

 そしてその異物の一角に蟹の姿が、引き潮時に海に戻れなかったのだと、瞑目したくなった。

 

 


沖縄を愛でて! (2) 絶景・陽の沈む読谷村高志保の海

2018-02-21 14:21:26 | 沖縄考

・・・時を経ても、つと想い起して瞑目したくなる光景がある・・・

洛陽する読谷村高志保の海。観入っていて`微動だにしなかった`と後に言われた我が後姿のこの写真。撮影者・上記の一言は根路銘安史。前項でも記した、那覇に生まれ、沖縄県島尻郡南風原町にオフィスを持つ建築家・僕より一回り若き盟友である。

沖縄に魅せられるのは、陶芸家・大嶺實清さんやJAZZ・ドラマーの津嘉山善栄さんをはじめとした数多くの、大学の後輩・建築に係わる友人・不思議なご縁の知人、がいるからだ。とりわけ今回の訪沖で多数の方々との旧交を温めたこの5日間、沖縄に惚れる!


沖縄を愛でて!(1) 『ありがとう』: まずは「聖クララ教会でのコンサート」

2018-02-18 19:38:33 | 沖縄考

今年の沖縄紀行には、特段の想いがあった。その一つは与那原の丘の上に建つ『聖クララ教会』でのコンサートです。

 このコンサートが、12回目を迎えた2月12日(日)・この日で終演。僕は第6回目から7年に渡って拝聴し、DOCOMOMO Japanで日本の代表的な建築の一つとして選定したことなどを含めて冒頭に挨拶をさせて頂いてきた。主催は沖縄県建築士会島尻支部だが、実質的な企画・構成・実施は、南風原(はえばる:沖縄ことばではでは、ふぇーばる)の建築家・盟友根路銘安史さんだと言ってもいいだろう。そして手探りでコンサートを始めた根路銘さんを支えたのは、ラサール神父、そして修道女中村睦子さんだった。 

ラサール神父は高齢となって引退されたが、僕と気心が一致し、嘗て演奏会が終わった後の`飲み会`に参加してくださったことは忘れ難い。脚の具合が万全ではなくて飲み会の座敷に靴をはいたまま上がって戴き、お店の人が低い座椅子の下に座布団を積んで腰掛けていただいた神父と、会堂に併設された修道女の宿舎に2度に渡って宿泊させていただいたシスター中村睦子さんのお姿とお名前を僕は、終生忘れない。 

コンサートの始まる前に、現役の神父にご挨拶いただくのが通例となったが、今年は神父の方々が教会での会合が重なって不都合になり、奇しくも中村睦子シスターがご挨拶をされた。ふと思い立ってご挨拶が終わった中村さんに近寄り『お久し振りです!』と頭を下げたところ、「兼松さん!」と破顔、僕の名を覚えていて下さったことにグット来るものがあった。その一言だけでも沖縄へ、そして此の会堂へくることが出来てよかった!と想ったものだ。改めて根路銘さんに此の一文を通して御礼を言いたい。『ありがとう!』

<聖クララ教会のコンサート終演後の記念写真(左端:中村睦子シスター:修道女、前列中央兼松、右端:根路銘安史さん>


終わりがあれば、始まりがある。聖クララ教会でのコンサートの終焉、PCの画面にあるヒンプン

2018-02-04 15:08:08 | 沖縄考

自宅の僕のPCの画面に気になる一枚の写真がある。

画像の下には更新日時2014年6月7日とあるが、此の年の訪沖は2月の9日(土)から12日まで。帰郷の前日11日の欄には、建国記念日に行われた`聖クララ教会でのコンサート`を拝聴とあり、その午前中に「大嶺實清先生訪問」と走り書きがあるので、例年のように根路銘安史さんの車に同乗させて戴き、實清先生の陶房を訪ねた。となると、この画像の日時の記載は何を伝えているのだろうふと想ったりもする。此の写真の沖縄の`ヒンプン(屏風)`というタイトル。何故ぽつんと此処にあるのかと他愛ないわがこととは想うものの、不思議な感覚に捉われた。

 まあ、そんなことに想いを馳せることでもないが、今年の訪沖が間近になった。上記コンサートは今年で最後になるという。 

とはいえでも我が想い、「始まりがあれば終わりがある。終わりがあれば、始まりがある」。さて盟友根路銘さんはどう思い、どう考えているのだろうか!何が始まるのか!

 何はともあれ時の経つのが早い。晴天の此の冬の一時、我が歳を胸に秘めて、またもやコルトレーンの`バラード`を聴きながら「時」、とどのつまり`時が経ていくこと`を想っている。

<追記:悪鬼などの侵入を防ぐためだという`ヒンプン`のこの写真、現地で見とれていてうっかり撮り損ねたとぼやいたら、画像を送っていただいたことをふと思い出した。とは言いながらも誰から頂いたのか、想像はつくが、情けないことに? である。さて、この9日からの訪沖、間近になった。改めて想う。時の経つのが早い>