日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

夏の終わりに! 秋が来る

2017-08-31 11:32:23 | 自然

 8月31日、今日は夏の終わりの日。

新宿駅から事務所に向かう途中の中央公園沿いの欅並木。昨日はささやかだが蝉の音が、それでも声を振り絞っている様が感じ取れて、各々方、頑張っているなあ!と敬意を表したくなったことを思い起こした。

ところが今朝の並木道、小雨降る、それも小粒な・・・でも蝉の音が聴こえない。歩く歩道にひっくり返っている蝉が・・思わず手に取って繁みの中に横たえてやる。秋が来るのだ。

 

 


夏の終わりに―腱鞘炎と向き合って― & 築地市場

2017-08-29 14:41:26 | 東京中央郵便局など(保存)

 上記写真を見ていただいても、何のことやらと思う人が沢山いることだろう。愛しき我が右手の親指・腱鞘炎治療(手術)の余波だ。余波、夏の余波はまだ続き(まだ8月、まだ真夏だぜ!という人も沢山いると思うが)、暑い日々が続いてはいる。蝉の音が何となく弱くなり、晴れてはいても熱気が妙にうっとうしくてさっぱりとしない。残暑とはこういうものなのか!

今朝の、僕の住む海老名の団地、大和市の厚木飛行場から府中へ飛んでいく戦闘機の轟音が時折聞こえてきて、コンチクショウ!と窓から見遣るとそれなりの低空飛行、何時もの事とは言えこれ又どうもすっきりしない。

 処で新宿の我が建築事務所。この一文を書いていたらヘリの轟音が! 都庁あたりの上空を旋回している模様、ウルサイ!と内心ぼやいたら、どこかへ飛んで行った。と思ったらまた近づいてくる。さて、ソロソロ都庁の議員室行、都議会議員との面談のためだが!この続きは明朝に起稿・・・・・・・・・・・・・

 一夜明け、昨8月28日の都庁で行った4人の女性都議会議員との面談を振り返っている。僕に声がかかったのはパネリストとして参加した5月27日に築地市場で行ったシンポジウムを聴講された議員が、都議会議員の同僚と相談してとのこと。「築地市場」の`存続・移転`問題に関して、此の市場を日本の代表的な建築の一つとして選定したDOCOMOMO Japan 100選選定時の委員或いは建築家としての考えを聞きたいとのことだった。

 そしてこの一文の前段を起稿しながら、8月23日に「築地女将さん会」が都庁で行った記者会見を思い起こした。僕の事務所は、新宿駅から都庁を通り越した新宿中央公園の向かい側にある。都庁までは6,7分。さて女将さん会の方々は築地市場への想いについて述べ、た後、会場の質問をと進行役が問いかけた。記者連の質問がなされた後、僕が手を挙げて述べ始めた途端、記者でない者の発言は拒否と進行役のある新聞の記者から拒絶された。僕が聞きたかったのは、あの築地市場を使いこなしている女将さんたちが、あの建築をどう感じどう考えているのかというその一言だったのに!昭和の初めにあの大空間、半円形に構築したその建築としての魅力と見識、まあ記者会見なので記者ではないものが此処に居ることは具合が悪いようだが、終わった後女将さんたちから肩書をうまく述べるとか、パネリストの一人として女将さん連と共に壇上に居てもらえばよかったなどとも言われた。 

その築地、知事は豊洲へ移転して築地市場の建築は取り壊すと繰り返して述べている。当初と話が違うではないかと追記しておきたくたくなった。さて我が右手の腱鞘炎、痛みがなくなって親指周辺と手首までもの鬱血(うっけつ)も徐々に退いていく。さて写真の上段、指の手術をしてもらうために、小田急線伊勢原駅から東海大学病院へ行くバスの中である。


晩夏の光景:新潟の・・・・

2017-08-20 20:58:49 | 自然

朋友・新潟の板画家、表具師でもある小林春規さんからの残暑見舞いは逸品。額装し自宅の僕の部屋の作業台(机)の隅っこに鎮座させた。 

背景に青空が広がっているが、白雲が峰を覆い、黒い雲が漂い、右手の山裾には微かに茅葺と見える民家が感じ取れるが、雲の悪戯(いたずら)だろうか!その青空や白雲の中を6羽の鳥が飛んでいる。目を凝らし、何時まで見入っていても、見尽くすことが出来ない光景。風に吹かれて飛ぶ鳥と共に雲が動いていくような気がしてきた。


建築と風土と人に思いを馳せてのひととき

2017-08-14 16:28:54 | 添景・点々

前稿は、現在(いま)の僕の立つ位置を記録しておくための起稿。起稿を`記憶`と書き直したほうがいいような気もしている。後日、僕自身の軌跡を振り返るときの為に! 

夏休みの一時、下記を再考・思い起こしたりしている。 

先月(7月)の中旬、二人の建築家にヒヤリングする為に長野県の松本市と飯田市に出かけた。その様相は7月17日の項に記載したが、訪ねたのは、松本に在住の川上恵一と、飯田に拠点を持つ松下重雄である。川上恵一は一回り若いが僕の言わば建築仲間、盟友の一人でもある。打ち合わせに出かけている川上を待って、事務所の一室で所員の入れてくれた珈琲を味わいながら書棚から建築の本を引っ張り出してページをめくったりする。気になっていた「擬様風」建築(オフィス)のさまは変わらず、此の不思議な建築は故あって川上が継承することになったという。僕と川上の干支は龍。ふと思い起こし、架空の龍、妙に嬉しくもなったものだ。 

飯田を訪れるのは初めて。天竜川の左右に聳える山並みに、小学生時代を過ごした熊本県の天草郡下田村(当時:現在は天草市下田)を想い起こした。山地に囲まれた下田の集落を流れるのは下津深江川。飯田と違うのはその集落が小さくて深江川は海に流れ、僕たちは潮の満干に魅せられたこと。でもいまは過疎になり小、中学校はなくなり、子供達はかつての隣村の学校に通うことになっって久しい。

ともあれ松下はオフィスをその大きな街の中心地に構築。この地の風土の捉え方に、建築家の存在とその建築の存在する意義を再確認することにもなった。ふと思い立って盆前に天草の下田に居る小学生時代の盟友の携帯に電話をしたら,本渡の病院での定例検査中、久し振りにお互いの近況を取り交わしたことを敢えてこの項に書き留めて置くことにする。 

・・・写真:数日前の我が家の一室から見る丹沢連峰の夕焼け:文中敬称略・本稿と7月17日の稿を合わせてお読み戴きたいものです・・・

ー文中敬称略:一部改定(20170823)ー


この夏の最中に独り言!

2017-08-08 16:30:03 | 日々・音楽・BOOK

僕は70歳になった時に筆を折った。

文筆家ではないので「筆を折る」とは奇妙な言い方だが、要するに「建築家」としての主要な仕事、つまり建築の設計をしないことにした。乞われて一軒だけ関わり、そこには様々な物語が内在していて一項を設けたくなるものの、いわゆる年金生活を味わっている。`味わっている`と記したが、それはそれで生半可なものではなく、考えることもあるものだ!と、まず我が身の昨今に目を向ける。 

その一つは、先達の建てた建築を検証し、後世に伝え続けていきたいという思いを形にしていく作業(と言うと語弊があるかもしれないが)に関わっていること、ex、吉村順三・奥村昭雄の設計による、愛知県立芸術大学の「施設整備委員会建築環境評価専門部会」の委員。熱海市の「旧日向別邸等研究委員会」の委員。母校明治大学建築学科の「明建会」の副会長、等々の委員会に参画。築地市場建築存続の課題(DOCOMOMO Japan関連)!そして五反田にある従兄のオフィスビルの監修等々・・・ 

さて、月刊`建築ジャーナル誌`に連載を始めて5年目の半ばを過ぎ、この夏の8月号には大分の建築家`衛藤元弘さんに登場戴いた「建築家模様」。日本全国各地、まさしく沖縄の宮古島から北海道北端までの各地を駆け巡り、建築家を訪ね、設計をして建てた建築を拝見して写真を撮ってヒヤリング。`物を生み出す人種`としての共感を形として「書き表す」そのシリーズは僕の`終生の友`でもある。 

そして次は2005年7月から12年間書き綴っているこのブログだろうか!

`四方山話の集積`と書くと物議を醸し出しそうだが、我が身を映し出す`鏡のようなもの`だとつい言ってみたくもなる。いい歳になっても学ぶものがある。つまり「人の生きること」の多彩であることを`ある種`の形にすることになったことに!と言っていいような気がしてきている。`ある種`と言っていいのだろうかと自問自答。とどのつまり、僕にできることの一例でもある 

「夏の最中に」と銘打ったが、僕の心の中には「夏の終わりに」と記したい心根が蠢いている。さてどうしたものだろうか! 

<写真 8月5日 相模川での花火>