日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

韓国建築便り(9) 興味深かった三国の近代建築保存へのスタンス

2008-03-13 16:42:02 | 韓国建築への旅

手元にシンポジウムの資料として配布された冊子がある。
セッション1で行われる国際シンポジウムのパネリストの主題解説(講演)の原稿が、バイリンガルで掲載されており、更にセッション2と3に分けて一日をかけて行われる近代建築研究成果の報告が記載された134ページに及ぶものだ。ちなみに僕の日本語で書いた原稿は、英語とハングルに翻訳されている。

興味深いのは、基調講演をした金晶東前会長の書かれた、1987年と1999年に開催された、韓国、中国、日本の三国による国際シンポジウムの記録だ。
1989年は台湾(自由中国と書かれている)で行われており、日本からは神奈川大学の富井教授と、まだ東大生研藤森研究室の院生だった西澤泰彦現名古屋大准教授が講演をしており、記念写真には若き日の藤森照信教授、同じく藤森研の村松伸さんや、金晶東教授、尹(ユン)教授などが写っている。

1999年には「東北亜都市環境会議」として中国の瀋陽で3日間に渡って行われた。日本からは、槇文彦、伊藤滋、三宅理一、陣内秀信、益田兼房、北澤猛各氏、それに西澤さんや志村直愛さんなど、17名もの発表者がいるという大きな会議だったようだ。韓国からも金晶東教授を始め数多くの方が参加している。この会議で、中国と韓国の国旗が初めて同時に上がり、地元の韓国人が涙を流したとの逸話が残っていると、尹教授が感慨深けに話してくれた。

僕は日本の文化財行政について、文化財保護法や指定や登録の文化財を管轄する文化庁のシステムなどを報告した後、JIA、DOCOMOMO、建築学会やそれをバックにして行ってきた僕自身の保存活動と共に、草の根といってもいい市民の活動にもふれた。そして、高度成長期に建てられたモダニズム建築保存の抱える課題、市民になかなかその魅力が受け止めてもらえない状況と、財界、政界の経済優先問題に直面して、次々と解体される現状の悩みを、パワーポイントによって建築を紹介しながら伝えた。
最後に、ジャーナリストとの信頼関係を築くことによって、市民との建築文化共有の期待ができるのではないかと会場の方々へ問いかけた。

1stセッションが終わった後、日本からは同行した山名理科大准教授が参加して、意見交換が行われた。そこでの好奇心に満ちたChong、Jae UK壇国大学教授(M。Arch)のコメントに、今回の近代建築保存についての3国の問題意識が上手く総括的されていると思った。
『韓国は、都市を生誕時からの変遷を説き起こしながら現在を把握してその是非を考察し、中国は建築単体(その価値についての)保存への関心はなく、開発の中で一街区を残すことに興味を持つ。日本は単体の建築の価値、建築家の存在や建っている建築への記憶の必要性を把握してその保存の持つ意味に関心があり、三国のまち(都市)としてのアイデェンティティが異なるのが興味深い。』そしてそこに、探っていくべき東北アジアの課題があると思ったというものだ。

僕が歴史の研究者ではなく建築家だということもあるような気がするが、近代建築の保存は、国のシステムや国情によって異なってくるという実感を改めて得ることになった。中国のDOCOMOMOへの加入は検討案件かもしれないが、自分がかかわろうとは思わないという、ユンジェ副教授同済大准教授のコメントも伝えておきたいことだ。

シンポジウムの後、尹教授に案内していただいて、ユンジェ副教授や山名さんと共に未だ観ていないという三星美術館を訪れた。記念写真の撮りっこをした。シャープで論旨の明快なユンジェ副教授は30代半ば、それでも400名ほどいる教師陣の中ではもう年輩のほうなのだそうだ。将来へ向けての、中国の底力のようなものも感じ取れる。

年の開けた1月12日、建築学会大ホールに於いて、三宅理一教授のコーディネートによる「朝鮮通信使」に関するシンポジウムが行われた。パネリストとして招かれた金晶東教授とがっちりと握手し、尹教授が金正新教授を引き継いで、DOCOMOMO Koreaの代表に就任すると報告を受けた。
尹教授とは、来春Seoulの近代建築見学ツアーを、DOCOMOMO JapanとKoreaの連携によって企画する約束をしてきた。
韓国の丹下健三とも言われた金寿根の傑作、空間工房のホールで会合を行い、庭で懇親会を開きたいものだ。あの楽しかったDOCOMOMO Koreaの設立総会の一瞬を蘇らせたい。

<写真、三星美術館にて、中央に尹教授、向かって右にユンジェ副教授>

韓国建築便り(8)近代建築保存についての国際シンポジウム

2008-03-02 17:26:36 | 韓国建築への旅

そもそも!10月(2007年)の旅は、27日に行われた韓国、中国、日本の三国による、シンポジウムに参加するためだった。テーマは(主題)は、「東北アジアの近代建築保存と展望」である。
簡単にシンポジウムの概要を伝えようと思っていたが、4ヶ月を経て振り返ってみると、このシンポは三国の交流にとっても、建築の存在を検証する上でも、また僕自身の軌跡を振り返る時にも、とても大切だったと考えるようになった。あまり理屈っぽくならないように気をつけながら、2回に渡って報告することにしたい。

開催趣旨はこのように書かれている。
『最近急速な経済成長と都市開発で、東北アジアの都市は急変しており、近代遺産は消滅の危機に直面している。韓国は、2001年登録文化財制度の導入以後、近代文化遺産に対する認識が高まっている。しかし、地域均衡発展、ニュータウン,再開発などによる人為的消滅の脅威が加重されている。
先経験を持つ日本や、今現在中国も開発と保存の均衡と調和において、類似な悩みを持っている。近代における多様な遺産をどういうふうに保存・活用し、経済的成長をなしつつ、持続可能な歴史文化都市の未来を準備することができるか?韓・中・日3国の専門家が顔をあわせ、互いの経験と情報の交流を行い、正しい方向を模索する』

会場は、ソウルから車で南へおおよそ1時間くらいの龍仁市(Yong In)に設立された壇国大学竹田キャンパスである。
壇国大学(Dankook University)は、設立60周年にあたって、新しくキャンパスをつくり、建築学科(ここでは建築大学という)などがソウルから移転した。このキャンパスは龍仁市竹田地域を眼下に見下ろす高台に建てられ、盆唐線(地下鉄・鉄道)の竹田駅が新設され12月に開通するとパンフレットに書かれているので、既に開設されていると思う。今後壇国大学が町のシンボル的な役割を担い、町や韓国の教育界に於いて大きな役割を果たしていくことになるのだろう。

このシンポはそれを記念して開催されたのだ。主催は壇国大学とDOCOMOMO Koreaである。Dean(学科長というより実質的に建築大学長という立場)に就任された金正新(キム・ジョンシン)教授がDOCOMOMO Koreaの代表なので、この企画がなされたのだ。

金正新教授の挨拶の後、DOCOMOMO Koreaの前代表(創設時)金晶東牧園大学教授が基調講演をされた。会場に詰め掛けた学生に語りかけるような口調だ。
ハングルなのだが、僕の隣に座った尹(ユン)教授が概要を小声で伝えてくれた。
・これまでは日本の植民地時代の建築についてなど、国内を考えることで勢一杯だった。特に朝鮮総督府問題では親日派ではないかと批判されるなど、様々なことを言われた。韓国の場合は植民地時代の問題を抜きにして建築の保存を考えることは難しいが、世界各地を廻ってきて、今ではそれを乗り越えて、アジアの中での建築を考えて行かなくてはいけないと考えている。
・ソウルからここへ来る車中すざまじい開発の状況を見て恥ずかしい思いをした。今の若者は変な形に興味を持っているようだが、先達の培ってきた近代建築の基本を学ぶことが必要だ。正新先生による壇国大学が新しい時代を創っていくと楽しみだし、期待している。

中国からは、上海の同済大学建築、都市計画科シャ ユンジェ副教授が、「中国上海の都市開発と都市景観」について英語で講演し、韓国を代表して、ジュ スギル延邊科学大学副総長が「延吉市の変遷と近代遺産」と題して、ご自身の研究成果をハングルで報告された。

僕はまず、鈴木博之DOCOMOMO Japan代表のメッセージを代読した。「アンニョンハセヨ」からスタートし、「チョヌン、カネマツラゴハムニダ」。これは洪さんに教えてもらったのだ。
僕の主題は「日本の近代文化財保存運動の成果と課題」である。
「私は貴重な経験をしています。数年前になりますが、DOCOMOMO Koreaの設立総会に招かれてお話しした折、会場から近代建築史を研究している学生さんに、日本統治時代の日本人の設計した建築(の保存)をどう考えているかと質問され、答えに窮しました。この質問によって、建築が社会的な存在であることと、建築の持つ重さに震撼としたのです」
僕の講演はこの一節から始めたのだが、これは僕が建築の存在を考え、保存問題に取り組むときに、常に感じる命題なのだ。<つづく>

<写真 檀国大学竹田キャンパスと町>

韓国建築便り(7)見事にコンバージョンされた遊仙島公園

2008-02-01 11:52:49 | 韓国建築への旅

SEOULを北へ向かう漢江の中に、島が浮かんでいる。遊仙島(Seonyudo)だ。かつては浄水場だった。その遺構を生かして公園にした。

SEOULの中心街から金浦空港へ向かって漢江沿いに走ると、一体なんだろうと思わせるダイナミックな半円形の橋が現れる。遊仙島へ渡る橋だ。
そこへ上るスロープは、まるで山田守が設計した東海大学湘南校舎に設置されているような、半円形になっている踊り場のあるコンクリートでつくられている。このスロープは浄水場があったときの遺構だが現役だ。
階段も在るが、このスロープをゆっくりと歩くと、高さが変わっていく廻りの景色が楽しめてなかなか乙なものだ。上りあがると「遊仙橋」と漢字で掛かれた案内板が、ハングルと英語併記で欄干に設置されている。

「遊仙橋」と「遊仙島」そして「遊仙島公園」。SEOULの人々の命を掌る(つかさどる)水瓶にふさわしいネーミングだと思った。架け直された橋にはウッドデッキが敷かれており、大勢の人々が楽しそうに渡っている。
まず僕たちが出会うのは、改造された円形の水槽だ。半面は円形劇場のような階段状の勾配になっており、下りると公衆便所がある。思わず手で触ってみたくなる割り肌のレンガで外壁が造られ、この公園は「只者ではない」と、建築家の僕は早、心が躍りだす。

上からこの情景が見えるようにウッドデッキと鉄骨、ワイヤーロープの手すりでつくられた通路(橋)が掛かっており、このデザイン構成は、この公園全体のモチーフになっている。通路に沿って水路があったり、水路から落ちる水が滑らかな帯状になる仕掛けもされたりしていて、思わず見とれてしまう。
10月なのに既に紅葉が始まっていて、潅木の中の風化したコンクリートの遺構を巡る散策は、とても気持ちがいい。コンクリートも風化していくと味わいが出てくるのだ。

そして現れるのが、やはり肌割りレンガによる管理棟と展示館だ。そのレンガの外壁の前の樹木は白樺だ。そして敷地の高低を支える塀は、錆びを生かしたコルテン鋼。釘で引っかいたり、白墨で書かれたハートマークの落書きも、ここではなんとも微笑ましい。
このコルテン鋼の錆びの質感と色は、韓国の人々の感性に合うのか、BOOK CITYに設置された彫刻や、町の店舗の外壁にも、無造作に使われたりしている。レンガの肌との風合い、僕も好きだ。
公園の仕組みと建築のコラボレーション。楽しんでつくっているなあ。だから楽しい。

展示館には、この浄水場の歴史資料や、遺構を生かしてつくった公園の紹介と共に、この建築を設計したときのスケッチや断面図なども展示され、このプロジェクトへの関係者の誇りや、市民にその経緯を伝えたいという想いが伺え嬉しくなる。
帰りはウッドデッキ通路を下りて,遺構の中を歩いた。密生した木々の中をL字型にくぐらせる路地の仕掛けがあったりして、仲のいいカップルが楽しんでいる。それを見る僕たちも、ふっと気持ちが暖かくなってきた。
この公園は、ソウル大学環境大学院ソン・ジョンサン教授によってつくられ、SEOUL市民愛賞を得た。建築の設計はイオンSLDである。




韓国建築便り(6) アンヤン アート・パーク

2007-12-23 00:05:48 | 韓国建築への旅

ソウルとスウォン(水原)のほぼ中間にある、アンヤン(安養)市の郊外ピュオングチョンの山裾に、アンヤン・アート・パークができた。
アンヤン市は人口約62万人、ソウルからおよそ25キロ、ソウルの衛星都市(ベッドタウン)として知られており、駅周辺には高層共同住宅が建ち並んでいる。中小規模の軽工業地域として位置づけられていたが、近年ハイテク都市として発展しているようだ。

市はアートによって町のイメージを一変させて、ハイテク都市にふさわしい「ハイグレードシティ」としての町づくりを目指すという。2004年8月に市はパブリック・アート プロジェクト(APAP)のタスクホース チームをつくり、2年前の2005年には1st APAPをオープンさせたのだ。
このプロジェクトは進行中で、アートによる公園づくりから次第に街(ダウンタウン)づくりに移行して行く。

案内されて一帯を歩いたが、既に川の対岸に新しい建築群が出来上がっている。アート・パークのパンフレットがあるが、この川沿いのガラスを多用したシャープなプロジェクトはまだ記載されておらず、誰の設計か僕たちにはわからなかった。(いや実はパンフレットはハングルで書かれていて今みてもチンプンカンプン、ハングルを勉強しなくてはいけない・・とづっと思っている)

訪ねたのは日曜日だった。
大勢の人がリュックサックを背負い、キャラバンシューズを履いて川沿いの並木の紅葉の中を連れ立って歩いている。山歩きをするのだそうだ。韓国の人は自然の中を歩くのが好きなのだと、ユン先生が解説した。この素朴な人々のスタイルと、アートプロジェクトが僕の中ではどうも一致しない。
アルド・ロッシの設計した小さな白い美術館が建っている。このプロジェクト(市)のアートセンターでもあり、この地域、ピュオングチョン・アートホールでもある。まあそれなりの建築だ。(と切り捨ててしまうのは失礼か!)

川を渡りアート・パークに入る。このプロジェクトは、様々なジャンル分けがされているようで、駐車場に建つ小さな展望台と、歩き始めるとまず出会う、上っていくと行き止まりになってしまう歩道は、HOSPITALITYつまり訪れた人を歓迎するシンボルとして表記されているし、道路標識のようなアートはALLURE(魅惑的な誘い込み?)とされている。

木々の茂る傾斜地に様々な作品が点在している。
隈研吾さんの作品があった。ARTに位置付けされている。折り紙のように、鉄板を折り曲げて構成した建築的な作品だ。タイトルは「PAPER SNEKE」。いやいや韓国のここまで隈さんが、となんとなく感慨を覚える。
木の箱や、竹の籠の中を通り抜けていくPILGRIMAGEというジャンル、PAUSEとされた腰掛けて休める作品もある。

僕が気に入ったのは、ビール瓶を納めるような色の違うプラスチックの箱を積み上げて部屋にし、外から入る光によって非日常性を実感させられるバラック建築。ドイツのウオルフガング・ウインターとベドフォルド・ホバートの共同作「ANYANG CRAT OUSE」。この作品はパンフレットやこのプロジェクトのHPでもシンボリック的に掲載されている。面白いと感じるのは皆一緒なのだ。

このアーパークの手前に金寿根さんと並ぶ韓国の代表的な建築家、キム・ジョングアップさんの設計した会社のオフィスプロジェクトがある。残念なことに日曜日なので門が閉まっていて入れない。守衛所が見える。コンクリートでつくられた円形の建築で、只者ではない。
ユン先生はこの一連の建築を文化財として登録したいという。帰国して僕の持っている作品集を見たが載っていなかった。中に入れなかったのがとても残念だ。建築に出会うのは一期一会だと思うので。

<写真 左:隈研吾さんの「PAPER SNEKE」右「ANYANG CRAT OUSE」>


韓国建築便り(5) 建物が歴史になって近代を語る「仁川開港場近代建築博物館」

2007-12-08 23:06:18 | 韓国建築への旅

仁川(インチョン)という港町がある。ソウルからおおよそ西へ45キロ、漢江河口に開かれた町だ。釜山に次ぐ第二の港町だというが、かつての租界を思い起こさせ、そこはかとない風情を感じる。チャイナタウンがあり、日本人の住んだ街区が残っているからだ。

この町の中心に、「開港場近代建築博物館」が建っている。
尹先生を中心としたチームが町の近代建築調査を行い、朽ちかけていた「日本18銀行」を改修して近代建築博物館として蘇らせたのだ。
傷んでいた屋根の小屋組みに手を入れるとき、建設時の木組みを考察し、オーセンティシティ(原初性)を大切にして、どの部材を残しどれを取り替えるかを検証した。その有様を伝えることも大切なことではないかという、僕の問題意識と共通したところがあり、話しが弾む。
結局天井を張らずに修復した小屋組みを見せるようにした。

ゾーンは三つに別れている。第二ZONEには、オーセンティシティを検証した仁川に現存する8棟の近代建築が、写真や資料によって展示されており、韓国戦争で焼却された3棟が模型によって併せて紹介されている。
この館内第二ZONEのタイトルは、先生の想いがふつふつと湧き上がってくる「建物が歴史になって近代を語る」。

第一ゾーンは、鎖国のあった19世紀の開港時の時代状況と、ソウルー仁川間の鉄道開設など近代化が始まった様が、`ジェムルポが開ける`として紹介されている。(「ジェムルポ条約」と書かれているが、韓国の歴史に疎いので残念ながらうまく説明できない)
第三ZONEは開港期、清国、米国、日本、英国による租界の設置と、1910年の日本統治によって租界を一括廃止して、仁川府管轄行政区域に編入される経緯が、写真や資料によって展示されている。

尹先生が僕と意見交換したかったのは、韓国戦争で焼却した1905年にイギリスのジェームスジョントンが建てた夏の別荘だ。残されていた写真などを参照し、学生を指導して作った模型が展示されている。
この建築を、市長が観光政策の目玉として、丘の上に復元しようとしたことに猛反対して取りやめさせた。
図面がなく、正面を撮った写真を参照して模型は作ったが、建てるとなると想定復元になってオーセンティシテイが問題になる。建っていたところには既に他の建築が建っている。場所も替わる。つまり「歴史の捏造」になるという認識だ。

宇治平等院の前庭にある池に橋が掛かった。無論図面はなく資料もない。ただ文書にかつて橋があったとの記載だけでの想定復元(復元ともいえないと僕は思う)に抗議して鈴木博之教授は委員を退いたそうだが、僕の問題意識も一緒だ。嘘はつきたくない。尹先生と共通認識の確認がなされ、お互いの信頼感が深まってくるのを感じる。

日が落ちた。街に灯りがともる。かつての日本人街は街灯の光の中でひっそりと佇んでいるが、チャイナタウンはネオンやライトアップされた看板でにぎやかだ。尹先生の運転する車は、ゆるゆるとチャイナタウンを通り抜ける。
「建物が歴史になって近代を語る」。そうなのだ。よい町だ。
この町は、韓国の近代史を刻んでいる。

<写真 左チャイナタウン 右「開港場近代建築博物館」 この美術館展示には日本語表記があるし、パンフレットも日本語版があって、近代建築マップが記載されているのがうれしい>


韓国建築便り(4)つくられたオフィスCity、紙の郷「PajuBookCity」

2007-11-27 13:55:09 | 韓国建築への旅

8月に訪れたPajuBookCity。
坡州市(Paju―City)に入ると、街道の左手に、有刺鉄線を設置し、監視所を配置した非武装地帯が現れる。
有刺鉄線は螺旋状に巻かれていて、監視所は迷彩色に塗装されている。銃を持った兵士がいて、双眼鏡で非武装地帯を監視している姿も見受けられる。川がありその向こうは北朝鮮だ。街道沿いなので誰でもその有様を実感できるが、軍事施設なので写真掲載はしないほうがよさそうだ。

僕と藤本さんを案内してくれた尹先生と洪さんは、時折起こる機密漏洩のエピソードを、柔らかい口調で面白くおかしく披露してくれるが、厳しい状況がずしりと胸に沁みこんで来る。
今僕がいるのは日本ではないことをふと思う。紙之郷(Pajubookcity)やHeyri ArtValleyはそういう場所につくられたのだ。

紙之郷(Pajubookcity)は、Book Cityとあるように、出版関係のオフィスを集めた建築団地だ。打ち放しコンクリートの骨格に、錆を意匠にした鉄板(コルテン鋼)や、ベニヤパネルを無造作に使った間仕切りで構成された管理棟へ案内してもらった。会議や展示のできる天井の高い大きな部屋がいくつかある。食事をする場所もあるし、「Jijihyyang」と名づけられたホテルも併設されている。
一階の各部屋の前には、池に張り出しウッドデッキのテラスがあって、休憩時間には人が集まるのかもしれないが、人っ気がない。がらんとしているが、なんとなく建築家魂を揺さぶられる建築だ。

尹先生は、僕と山名さんの10月訪韓のホテルをここにすると、僕たちの好奇心に応えられると思ったそうだ。8月に見学したときに、あまりにも僕が面白がったからだ。でも、シンポジウムを行う壇国大学とは反対方向、ちょっと遠くて無理ですね!とSUWON(水原)のホテルに入る時、二人で頷きあった。

この団地の企画はHeyri ArtValleyとよく似ているが、違う面白さがある。
この建築群が、総てオフィスなのが興味深い。デザインコンセプトは、フラットルーフ(陸屋根)であること、建築は素材を生かしたデザインとすることだという。
コンクリート打ち放しによる外壁に、ピンを細かく取り付けてその影を楽しむなど、様々な工夫がなされているのもコンセプトに沿ったものだ。
他の建築と差別化するために、建築家は苦労したに違いないと同情もするが、うらやましくもある。さてさて、魅力的な建築もあるが、首を横に振りたくなるのもあってそれも一興だ。

ここで働く人に、かつて尹先生がヒヤリングした。
空間構成は面白い。だがデザイン先行で、働く私たちの事をなにも考えていない。外に窓がなくてせっかくの景色(建築も景色だ)が楽しめないと、ぼやく女性が沢山いたそうだ。さもありナン。
置いてある案内パンフレットはハングル文字だ。残念だし申し訳ないが読めない。英語版があったようだがなくなってしまったそうだ。パンフレットに大きく「紙之郷」という墨で書いた文字がある。何故だ?それだけが日本語なのは!

ところで坡州市(Paju―City)は、僕の住まいのある神奈川県海老名市から、伊勢原市を通った西側に位置する秦野市と、友好都市協定を結んでいる。人口約26万人、秦野市の1,6が倍だという。面積は約6、4倍だそうだ。
市の鳥は「鳩」。平和を願う市民の、シンボルなのかもしれない。

韓国建築便り(3)魅力的な新しい建築群「Heyri ArtValley」

2007-11-18 15:13:01 | 韓国建築への旅

ソウル特別市から北へ35kmほど行った坡州市(Paju―City)に、二つの興味深いプロジェクトが進行中だ。一つは「Heyri ArtValley」、もう一つは`紙之郷`「Pajyubookcity」である。
坡州市は韓国の最北端に位置し、北朝鮮との軍事境界線や非武装地帯に接しているが、板門店や、統一展望台などの統一保安施設があって、観光客が訪れている都市でもある。
僕が新しい建築に興味のあることを知っている尹教授は、歴史的な建築だけでなく、幾つかの思いがけないプロジェクトに案内してくださった。ことにこの二つの建築群には、建築家としての好奇心を抑えきれない。

<Heyri ArtValley>
日本の若手の建築家の間で比較的知られているHeyri ArtValleyは、Pajyubookcityより北につくられた複合文化の街(コミュニティ)だ。約370人のアーティストや文化に関わる人によって、丘陵を生かした自然の中に建築群がつくられた。
いずれも大規模ではないが、美術館、ミュージックホール、ギャラリー、本屋、工房が在り、カフェがある。何より住宅(別荘)があって、大勢の人が住んでいる。

1999年に延世大学よるResearch Centerが設けられて企画され、2006年には80棟の建築が建てられたが、2008年にはそれが300棟になるのだという。
このコミュニティには、4名の建築家による建築デザインを審査するシステムがある。ここに建つ建築の設計ができることは、建築家のステイタスになっていて、お呼びのない建築家は、自分で土地を購入して自分で建てたりするのだと、尹教授は笑った。

コンクリートとガラスと鉄(錆を利用するコルテン鋼をうまく使っている)やアルミ、それに木の板を巧みに組み合わせ、敷地の高低を利用して複雑な空間構成が演出され、どの建築も魅力的だ。

僕たちは、`The book house`に入って本を物色し、この建築群の作品集を買った。右側に本棚のあるスロープを上がったカフェでコーヒーを飲んだ。ガラス越しにウッドデッキによるテラスが見える。皆で溜息をついた。
面白いしそれこそ建築家魂が揺さぶられる。日本で試み始められた、鉄板壁による建築こそないが、もしかしたら世界の最先端、国籍のない建築群だ。しかし!

「ゲニウス・ロキ」、鈴木博之さんのいう「地霊」というコトバをふと思いだした。モダニズム建築を考えるときの一つの命題は、建築とその場所の関わりや「伝統」をどう捉えるかだ。日本でも1960年代に論議を呼んだが、韓国でも同じ論争があった。40数年という時を経て考え込む。建築とは何なのだろう。そして今の時代とは・・・

<写真 The book houseのスロープで。同行してくれた朗らかな洪(ホン)さん>

韓国建築便り(2) 建築家魂を触発されるLEEUM三星美術館

2007-11-13 14:50:31 | 韓国建築への旅

Seoul(ソウル)市街の、どこからでも望めるソウルタワーの建つ南山の麓に、LEEUM(三星美術館)がオープンした。
スイスの建築家マリオ・ボッタ、フランスのジャン・ヌーベルによる二つの常設展示館と、オランダのレム・コールハウスの、企画展示と教育機能を持つサムスン児童教育文化センターを併せ持った、世界的な建築家三人のコラボレートによって建てられた美術館である。

僕たち建築家にとっては、この個性豊かな建築家達が、どんな建築をつくったのかと好奇心を抑えきれないが、一般の人々の評判も高いようだ。オープン当初は予約制でスタートして、それがソウル観光のガイドブックにも記載されていることからも伺い取れる。現在は予約なしで自由に入場できるが、建築だけを観てもそれぞれの建築思潮が読み取れ、期待を裏切らない。

三人は日本でも建築をつくっている。
建築家としてだけではなく、理論家でもありその都市の考察は、世界に大きな影響を与えているコールハウスは、福岡市のネクサスワールド、レム棟・コールハウス棟で1992年度日本建築学会賞を受賞した。
東京で仕事をしている僕に馴染みがあるのは、神宮前の`JIA会館`や`塔の家`の近くにある美術館マリオ・ボッタの設計した「ワタリウム」と、ジャン・ヌーベルが新橋駅近くの汐留め再開発の高層群に建てたオフィスビル「電通」だ。ヌーベルはパリの「アラブ研究所」で一躍注目された建築家で、ずい分前になるが、見学したとき記念にと、ギャラリーショップでアラブの大皿を2枚も買い込み、持ち帰るとき重くて閉口したことを思い出した。

僕は8月と10月、いずれも尹(ユン)先生の案内で訪れたが、藤本さんも山名さんもコールハウスの空間が面白いという。
ヌーベルの担当した黒コンクリートを試用したMUSEUM2の外観は、パリのブランリー美術館を彷彿とさせるが、僕はこの建築の展示室のガラス越しに観る、鉄のフレームの中に石才を積み上げた地下庭園の石垣に魅かれる。その黒っぽい石垣と展示室のガラスの間の上部から、微かに自然光が注がれるのが好きだ。
展示空間に入る前のホールには、三人がDVDの数面のモニターよって紹介されていて、建築家の存在を際立たせていて嬉しくなるが、この美術館の魅力は、無論それだけではない。

一つはコレクションの素晴らしさだ。ことにボッタのMUSEUM1に展示されている先史時代から朝鮮時代(李朝期とは韓国では言わない)の陶磁器は、汲めども尽きぬ奥深い美しさだ。日本語のイヤホーンによるガイド機が用意されているのもうれしい。
MUSEUM2の、現代美術のコレクションもいい。ジャコメッティやフランシス・ベーコンなどの代表作と共に、韓国の近現代美術作家の所蔵作品も興味深い。

LEEUMが、このように先史から朝鮮時代に至る韓国が培ってきた美術品と、近現代の作品とともに、それに現在(いま)活躍している作家の作品を、コールハウス館(!)で企画展示して紹介していることは素晴らしいことだ。自国の美術史を展望できるだけでなく、現在が過去との繋がりの中にあり、それが将来に示唆を与えることを考えているからだ。

もう一つは、保存研究室の存在である。民間企業が私立機関としてサムスン文化財団を設立し、1989年にアジアで最初の保存科学室を設置し、現在に至っているという。
ここでは国指定の文化財や収蔵品の修復・保存を行うと共に、所蔵資料を外部の研究者に公開し、利用することが可能だということである。韓国の見識をここでも感じ取れるのだ。

<写真 コールハウスの設計した、企画展示室エントランス>



韓国建築便り(1) 仁寺洞の「サムジギル」

2007-11-07 12:09:26 | 韓国建築への旅

8月9日から12日まで韓国を訪ねた時は、DYNAMIC KOREAと書かれた横断幕があちこちの街路に掲げられていて、同行した建築家藤本幸充さんと「凄いね」と溜め息をついた。
それから2ヵ月半後の今回の訪韓は、10月27日に行われる「東アジアの保存」に関する韓国、中国、日本の三国による国際シンポジウムで講演するために出かけた26日からの3日間である。
垂れ幕こそなくなっていたが、空港からSeoulの中心街に行く途中でも、会場になる壇国大学のあるSUWON(水原)へ向かう途中でも、高層の住居(コンドミニアム)が林立し、また工事中の大型のクレーンが街道筋に立ち並び、同行した東京理科大山名善之准教授と、またまた溜め息をつくことになった。

8月に大邱(デグ)へ新幹線で行ったときにも、停車する地方都市の駅の周辺に、高層のコンドミニアムが建ち並び、工事中の箇所も沢山あって唖然としたものだ。
この分譲される高層住居は高額で、一般市民には高嶺の花なのだと言う。どういう人が入居するのだろうと、SUWONへ案内してくださった尹(ユン)成均大学教授に聞くと、二コリとされたが答えてもらえなかった。

という状況だとは言え、韓国の建築界が必ずしも好景気とはいえないようだ。山名さんとパリ大学で同級生だった韓国で売り出し中の気鋭の建築家K・Dさんは、設計料もなかなか厳しいと言う。さて日本では・・実は、これでは建築に志す若手がいなくなってしまうと、ラージファーム(大手事務所)の僕の親しい建築家でさえ嘆く有様だから、ましてアトリエ派の建築家の状況は更に厳しいのだ。
K・Dさんがふともらした設計料を聞くと、日本と同じようなものではないかと思った。

それはさておき、この国際シンポジウムを間に挟みながら、2回の訪韓で見学した興味深い韓国の建築をいくつか紹介しようと思う。

Seoulに韓国旅行をした人々が必ず訪れる、仁寺洞(インサ・ドン)通りが賑やかだ。韓国の大学では中間試験があり、僕達が訪れた10月28日は、その試験が終わった直後で開放された学生で溢れかえっている。
さらに子供の手を引いた家族も沢山いて、皆ニコニコしている。なにやら怪しげな虫(?)を食べさせる屋台が出たり、独楽を売る屋台もある。日曜日だからかもしれないが、まるでお祭り騒ぎだ。

2年ほど前に、そこに建った「サムジギル」が大変な人気だ。この建築は、若手の人気建築家チェ・ムンキュさんの設計による商業建築で、中庭に面して三方に緩やかな勾配の外廊下を巡らし、エレベータで4階に上ったお客さんは、ぶらぶらとウインドウショッピングなど楽しみながら下の階に降りてくる。2階から1階へは階段を下りることになるが、さりげなく上手くできている。

コンクリートの中空パネル(と思う)を敷き並べた廊下の幅も広く、僕達が気にする、レンタブル比なんて関係ないみたいだね、と山名さんと思わず顔を見合わせた。でもこれは綿密な計算があっての設定なのだろう。こんなに人が乗って大丈夫かと心配になるほどの人出だ。

開放的だし、デザインはシャープでありながら、外壁に木を張ったりして質感にもこだわり、何より建築が威張っていない。あっけらかんとしている。大きな建築でないのもいいのかもしれない。Gパンで歩き回るのに最適な建築だ。
仁寺洞の骨董店や、人気スポット韓国喫茶などの古い建築とも共生している。
チェ・ムンキュさんは、韓国の名門延世大学を出て、ポルトガルのアルバロ・シザの元で学んだ建築家である。

ふと思うのは、安藤忠雄さんの設計した表参道ヒルズだ。同じように中庭(中空)に回廊を回す手法は似ているが、空を覆っているので開放感がない。また黒川紀章さんが指摘していたように、周辺に閉じている。建築家の建築の建つ場所の解釈なのだ。何故か安藤さんは、ここでは閉じるべし、と思ったのだろう。
ぐるぐる回るのは、F・ライトのグッゲンハイム美術館や、芦原義信のソニービル。でも全くそれを意識させないつくりかたに魅かれる。